高知県南国市の高知道南国IC近くにある「高知県歴史民俗資料館」を訪問。
平成3年に開館した比較的古い民俗資料館ですが、平成22年にはリニューアルしているため、設備はきれいです。
高知県の北側に広がる山脈と南国市の中心を形成する沖積平野(香長平野)が地形的に交差するあたりの標高100m足らずの独立峰の山腹を造成して建設されています。
この独立峰は岡豊(おこう)山と呼称され、往時、土佐の英雄長宗我部元親が居城とした岡豊城が山頂にあり、元親が浦戸城に移るまで、長宗我部家の本拠でした。
岡豊城址は数次にわたって入念な発掘調査が行われており、石積や礎石・建物跡、井戸、堀切などの遺構が確認され、土器や陶磁器なども多数出土しているようです。
同資料館は、岡豊城を本拠として土佐一国さらに一時的には四国全域を統一した長宗我部元親と、岡豊城跡の発掘調査結果と出土品の紹介を中心にした資料館でした。
1階は入口と資料室・休憩室、2階は長宗我部に関する常設展示室、3階は岡豊城周辺の発掘調査や土佐の民俗を紹介した総合展示室。
入館料は大人460円。JAF会員は割引があるみたいです。
2階の長宗我部常設展示はなかなか充実しています。特に元親が発信した書状関係は興味深いものが多くありました。
司馬遼太郎先生が小説「夏草の賦」において元親の書状好きに触れていたような気がしますが、「さもありなん」と思い返しました。
おそらく多くの書状は消失しているのでしょうが、書状が多かったお陰で、こうしてわたしたちが見ることができるのだと思います。
3階は出土品や仏像、仏具などを展示していましたが、複製品が多くて、少々残念でした。
2階の展示がすばらしかったのですが、もし、可能ならストロボなしで撮影を許可していただけると、非常に嬉しいです。古文書は原版の写真を撮っておきたいという気持ちが強いので、資料館には、是非、ご検討いただければと思います。
写真一枚目は岡豊城跡の詰に築かれた小さな櫓です。
こぢんまりとしていますが、往時を偲ぶという意味で、こういう構造物があって、中に入り、なんとなく元親が見ていたかもしれない眺望を感じるというのは、悪くはないと思います。
二枚目が櫓2階からの眺望です。香長平野の向こう側に太平洋(写真の左中央付近)が見えます。この景色を見ながら、安芸国虎を攻略する時、本山氏の時、さらには中村の一条氏の時、そして、四国統一を志して一領具足の制度を考案した時、それぞれ元親が何を考えていたのかと、想像を巡らせば、時間がたつのを忘れることができるような気がします。
三枚目は岡豊城跡のマンガ、三枚目は詰の発掘状況の説明看板です。
平成3年に開館した比較的古い民俗資料館ですが、平成22年にはリニューアルしているため、設備はきれいです。
高知県の北側に広がる山脈と南国市の中心を形成する沖積平野(香長平野)が地形的に交差するあたりの標高100m足らずの独立峰の山腹を造成して建設されています。
この独立峰は岡豊(おこう)山と呼称され、往時、土佐の英雄長宗我部元親が居城とした岡豊城が山頂にあり、元親が浦戸城に移るまで、長宗我部家の本拠でした。
岡豊城址は数次にわたって入念な発掘調査が行われており、石積や礎石・建物跡、井戸、堀切などの遺構が確認され、土器や陶磁器なども多数出土しているようです。
同資料館は、岡豊城を本拠として土佐一国さらに一時的には四国全域を統一した長宗我部元親と、岡豊城跡の発掘調査結果と出土品の紹介を中心にした資料館でした。
1階は入口と資料室・休憩室、2階は長宗我部に関する常設展示室、3階は岡豊城周辺の発掘調査や土佐の民俗を紹介した総合展示室。
入館料は大人460円。JAF会員は割引があるみたいです。
2階の長宗我部常設展示はなかなか充実しています。特に元親が発信した書状関係は興味深いものが多くありました。
司馬遼太郎先生が小説「夏草の賦」において元親の書状好きに触れていたような気がしますが、「さもありなん」と思い返しました。
おそらく多くの書状は消失しているのでしょうが、書状が多かったお陰で、こうしてわたしたちが見ることができるのだと思います。
3階は出土品や仏像、仏具などを展示していましたが、複製品が多くて、少々残念でした。
2階の展示がすばらしかったのですが、もし、可能ならストロボなしで撮影を許可していただけると、非常に嬉しいです。古文書は原版の写真を撮っておきたいという気持ちが強いので、資料館には、是非、ご検討いただければと思います。
写真一枚目は岡豊城跡の詰に築かれた小さな櫓です。
こぢんまりとしていますが、往時を偲ぶという意味で、こういう構造物があって、中に入り、なんとなく元親が見ていたかもしれない眺望を感じるというのは、悪くはないと思います。
二枚目が櫓2階からの眺望です。香長平野の向こう側に太平洋(写真の左中央付近)が見えます。この景色を見ながら、安芸国虎を攻略する時、本山氏の時、さらには中村の一条氏の時、そして、四国統一を志して一領具足の制度を考案した時、それぞれ元親が何を考えていたのかと、想像を巡らせば、時間がたつのを忘れることができるような気がします。
三枚目は岡豊城跡のマンガ、三枚目は詰の発掘状況の説明看板です。
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