950(1558)_==永禄1年==(旧版)

>_<あくまでも司空流の「こうかも」年表ですので、誤りがあっても司空は一切の責任はとりません。>_<
>_<ご利用に際しては、解説・注意をご確認の上、各人で十分に史実をご確認ください>_<


 永禄1(1558)2月、吉川元春が石見に進攻し、石見温湯城(城主小笠原長雄)を攻めるが、城方の抵抗が強い。>弘治2年に続いて再度進攻の形。
 永禄1年、尼子晴久が本城常光を石見に派遣し、大森銀山の糧道を絶つとともに、尼子晴久自身も大田に出陣し山吹城を攻める。
 永禄1(1558)6月、尼子晴久が石見へ出兵。
 永禄17月中旬、毛利勢が、尼子勢が攻められていた山吹城に兵糧を入れるようとしたところ、大田市川合の南方1里の忍原(オシハラ)で、尼子勢と激突し、毛利勢が大敗>「忍原崩れ」と呼ばれる。
 永禄193日、尼子勢が石見山吹城を落とし、本城常光を城将に任命し、富田に凱旋。
 永禄111月、室町第13代将軍足利義輝と三好長慶が、六角義賢の仲介により、和睦。義輝が5年ぶりの入洛。
 永禄112月、三好長慶が、将軍義輝とその腹心細川氏綱と和睦し、幕府相伴衆となる。実権は長慶が握り、義輝も氏綱は傀儡。

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