950(1930)_==享禄3年==

>_<あくまでも司空流の「こうかも」年表ですので、誤りがあってもご容赦ください>_<
>_<ご利用に際しては、解説・注意をご確認の上、各人で十分に史実をご確認ください>_<


 享禄3年(1530)1月21日、上杉謙信が、越後守護代長尾為景の末子として、春日山城(上越市中屋敷)で誕生。幼名虎千代。母は栖吉城(長岡市栖吉)城主長尾氏の娘虎御膳。//この頃、越後守護上杉定実の実家上条城(柏崎市)城主上条定憲が謙信(虎千代)の父長尾為景に敵対する豪族たちを結集し、各地で長尾為景と交戦中。
 享禄3年(1530)2月5日、室町将軍足利義晴が、長尾為景(後の上杉謙信の父)と晴景(後の上杉謙信の兄)に小袖を贈る。//為景・晴景父子は幕府に返礼物を献上。
 享禄3年6月29日、細川高国が、浦上村宗の援助を受けて播磨で挙兵。//細川晴元と和して京に戻っていた柳本賢治が高国を討伐すべく出陣するも、高国は三木城に賢治を誘いだして殺す。
 享禄3年、柳本賢治が細川高国に播磨三木城で殺害される。
 享禄3年7月14日、下間頼秀・頼盛兄弟の専横を見た叔父の頼慶の息子達を初めとする下間一族が、加賀三カ寺の穏健策に与し、両者の確執が表面化。
 享禄3年8月下旬、細川高国と浦上村宗が、摂津神呪寺(西宮市神呪町)に陣を張る。
 享禄3年9月、細川高国と浦上村宗が、摂津富松(尼崎市東富松)に陣を張る。
 享禄3年9月28日、室町将軍足利義晴が、長尾為景(後の上杉謙信の父)の室に唐織物を贈る。
 享禄3年10月25日、京六角堂の執行僧である池坊専応が宮中に召されて花を立てる。//立花と呼ばれ、後の生け花に転じていく。
 享禄3年11月、細川高国が、11月に大物(ダイモツ)城(尼崎市大物町)を落した。
 享禄3年(1530)11月6日、上条城主(柏崎市黒滝)上条憲定が長尾為景(上杉謙信の実父)打倒を旗印に挙兵。 享禄3年11月6日、長尾為景は越後柏崎に陣を張り、蘆名盛氏の臣山内舜通に諸城を送る。
 享禄3年12月7日、越後本庄城城主本庄房長が、起請文を色部憲長に提出し、長尾為景に背かないことを誓う。

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