坂の上の雲ミュージアムとその周辺

坂の上の雲ミュージアム

 本日の空模様は花曇り。
 四国山脈の山々は、春霞の向こうに薄く輪郭を浮かべている。
 今日は伊予松山に足を伸ばす。
 松山城の城山近には訪れた春を謳歌するように多数の桜花が五分咲き程度で咲き誇っている。
 その松山城の南麓、愛媛県庁の西側に位置する坂の上の雲ミュージアムに初めて訪れた。
 「坂の上の雲」は、言うまでもなく、司馬遼太郎先生が、明治期の日本を舞台に、秋山真之とその兄好古、真之の友人正岡子規の三人を物語の中心に据えて、江戸時代と言う身分社会が終焉を迎え、庶民でも努力次第で博士、官吏、軍人などになれるという新時代の中で熱い希望をもって成長して行く姿を描きつつ、日本人とはどのような民族なのかといった大きな課題を論じた小説です。
 最初に司馬遼太郎先生直筆と思しき「坂の上の雲」の冒頭部分の原稿が一枚だけ展示してあります。
ーまことに小さい国が開花期を迎えようとしている。
この文章から始まるフレーズはNHKのドラマ「坂の上の雲」でも毎回流れていたので耳に馴染みがあります。しかし、万年筆で書かれた字を目で追いながら、頭の中で文章を反芻してみると、明るい言葉の中に、ずっしりとした重みを感じます。
 最初の展示物が拙者にとっては非常に印象深かったこともあり、秋山真之・好古と正岡子規の生い立ちや日露戦争までの日本を中心とした経緯等が歴史資料ととともに年表形式でまとめられています。
 あと、小説「坂の上の雲」の産經新聞の連載を焼き付けた陶板が壁一面に展示してあったのは壮観でした。
 司馬先生が大好きな拙者としてはもう少し司馬遼太郎先生の遺稿や司馬遼太郎先生が「坂の上の雲」を連載して行きながらどのようなことを考えていたのかを知るよすがのようなもの、思考の欠片・断片を置いていただけると、さらに魅力的な博物館になると思います。

 ミュージアムの北西側には、桜の向こうに萬翆園という瀟洒な洋館が佇んでいます。
 大正十一年、旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨伯爵が当時新進気鋭の建築家であった木子七郎に依頼して作り上げた洋風建築です。木子七郎はこの依頼を受けて数ヶ月間西欧の建築を実際に見て回ったというのですから、意欲たるや誠に高かったでしょう。
 西洋建築については全くの素人の拙者がみても、誠に見事な、美しい建築物だと思います。
 木子七郎の妻の父が愛媛出身だったこともあったためか、伊予松山には愛媛県庁や愛媛県議会、そして、この萬翆園など明治期の洋風木子七郎の手による建築の名作がたくさんあります。

 最後は、松山城二の丸庭園。
 最近できたようですが、恋人の聖地として頑張っているようです。

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