京都 岩倉 実相院

最近、京都を訪れる機会に恵まれています。

新名神が開通して京都への道中が本当に便利になりました。阪神高速に比べて、道幅が広く、ゆったりとした気分で運転できます。名神高速の渋滞の名所「天王山トンネル」を上下線ともトンネルが2本の4車線化により通常の連休程度であれば、観光も含めた多量の交通量を円滑に捌くことができるようになっています。

さて、今回の京都行きは直前からあまり時間的、そして、精神的な余裕がなかったため、名所旧跡の訪問は困難と考えていたのですが、車中で仕事を進める中で数時間程度の空き時間を作ることができたので、岩倉で待機していたこともあり、岩倉周辺の古社古刹を探していたところ、「実相院」を発見しました。

以前から岩倉具視の寓居と合わせて、興味のある寺院でした。特に、紅葉で著名です。

実相院の由緒については、わたしの浅い知識では説明しきれないので、実相院で受けとったパンフレットの記載を参照します。

 実相院はもと天台宗寺門派の門跡寺院である。
 現在は単立寺院、不動明王を本尊とする。
 寛喜元年(1229)、近衛基通の孫・静基(じょうき)権僧正を開基とし、紫野に創建された。一度、五条通小川(京都御所の北西)に移転したが、応仁の乱が激しくなると、当時管理していた岩倉に移った。その後、しばらく厳しい時代が続いたが、江戸時代初期に足利義昭の孫・義尊の時代、母(三位の局)が後陽成天皇に仕えて道晃法親王(聖護院門跡)をもうけたことから、天皇家とのゆかりが深まり、後水尾天皇や東福門院たちが岩倉にしばしば御幸に訪れるなど、華やかな時代を迎えた。
 その後、皇孫の入室が続き、享保五年(1720)には東山天皇中宮・承秋門院の大宮御所の建物を賜った。
 今日まで伝わる四脚門、車寄せ、客殿は、女院のお住まいとして王朝建築美のなかにも風格のある佇まいを見せる。上段の間など各室には江戸時代中期に活躍した狩野永敬をはじめ狩野派の襖絵がめぐらされ、現存する数少ない女院御所である。

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