高知県梼原町散策①

高知県梼原町は司馬遼太郎先生の「街道をゆく27」で「檮原街道(脱藩の道)」を拝読し、この町が経験してきた歴史と文化が深すぎて、軽い気持ちで足を踏み入れることはできないと思い続けて十数年が経ちました。
この気分は、わたしが人間というものが理解できるようになるまでは読んではいけないと、書棚に置いたままにしている「坂の上の雲」を手に取ることができないという感情とよく似ているのかもしれません。

しかしながら、高知県に仮住まいしている間にこの梼原町という長い歴史が地層のように堆積した場所に行かなければ、一生訪れることがないかもしれないと、意を決して、足を向けることにしました。

梼原町は土佐のチベットとも言われているそうです。
その梼原町から幕末多数の志士が出るとともに、尊皇攘夷を志す土佐藩士達がこの梼原を通って脱藩しました。
梼原の冬は非常に厳しく、長期間下界との連絡が途絶するという事態があったようですが、いまでは道路が発達しています。
特に、愛媛県久万高原町と梼原町をつなぐ地芳トンネルが開通したことは大きな出来事だったかと思われます。従来、須崎市から葉山村を通って険しい山間地帯を羊腸と続く片側一車線の国道は整備されていましたが、愛媛方面からのアクセスが便利になったことは、檮原の発展に大いに貢献するのではないかと思います。

今回、わたしは高知市内から仁淀川を遡上して面河方面に向かって反転し、柳谷から地芳トンネルを抜けて梼原に入りました。つまり、坂本龍馬や那須慎吾が檮原を通って脱藩した道に逆流して檮原に入ることにしました。

曲線が連続する道路の片側は山腹斜面、もう片側は深い渓谷という景色が続きます。季節は梅雨真っ只中で、あちこちの沢から清水が湧いています。

檮原は周辺も合わせて、中世には「津野山郷」と言われ、そこに根付く生活習慣や風俗は「津野山文化」と称されたそうです。
代表的なものとしては津野山神楽があります。土佐には神楽が多く保存されていますが、津野山神楽もその一つです。

この津野山文化の影響でしょうか。
檮原町中心部には、近代的でありながら、地元材木をふんだんに使用した上品な建物が多く見られ、その他の商店・民家もこれらと調和して、佳景を形作っています。

アスファルト舗装さえも景色の中に取り込まれて、景色の中に一筋のインパクトを与えているように感じられます。


図書館の意匠に再び感動。



図書館内部はさらに想像を超える世界。


劇場。名前を忘れてしまいましたが、古色を帯びた歴史を感じさせる劇場でした。

檮原町役場庁舎。
すばらしい意匠です。

司馬先生が市町村史としては出色と絶賛した檮原町史です。(真ん中右あたりですね)

檮原は山間僻地であり、中心部にあるやや広い盆地地形以外はほぼ山岳地帯だと思われる。その山岳の急斜面に人々は何代にもわたって水田を作り上げた。その壮大な遺産が全国各地に散在する千枚田であり、その素晴らしい遺産が檮原にも存在する。
司馬先生によれば、水田というのは水平な棚を作らねばならず、山の斜面を掘り崩し、土をたたいて水平地を作り、砕いた石で石垣を築いて土壌や水が流出せぬようにしなければならず、さらに、水田には水が漏れぬよう底に粘土を敷き詰めなければならないらしい。
それだけの作業を千枚と比喩される小さな水田で行うのにどれだけの人が従事したのか、現代に生きるわたしには想像することもできない。
下の写真は「街道をゆく27」にも出てくる「神在居(カンザイコ)」の千枚田でございます。
所々に耕作放棄地らしき景色があるのは、現在のこの国の姿を象徴しているのかもしれません。


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