950(1985)_==天正13年==


>_<あくまでも司空流の「こうかも」年表ですので、誤りがあっても司空は一切の責任はとりません。>_<
>_<ご利用に際しては、解説・注意をご確認の上、各人で十分に史実をご確認ください>_<



 天正13年(1585)、亀井茲矩、従五位下武蔵守となる。
 天正13年(1585)、秀吉、関白に任ず。
 天正13年(1585)6月、羽柴秀吉が、弟秀長を大将として総勢十一万で四国の長宗我部元親攻略を開始。毛利氏が先鋒を命じられる。
 天正13年6月、安国寺恵瓊、羽柴秀長の一隊として四国攻略に参加し、淡路島洲本から阿波国に渡る。⇒これ以降、二カ月の間に大坂と四国の間を四度往来し、秀吉と秀長の情報伝達を果たす。
 天正13年7月、土佐の長宗我部元親が、羽柴秀吉に降伏する。
 天正13年8月、小早川隆景が四国の役の恩賞として伊予三五万石を羽柴秀吉から与えられる。このうち、和気郡二万三千石が安国寺恵瓊に与えられる。
 天正13年12月19日、小早川隆景と吉川元長が安国寺恵瓊の案内で堺に到着。
 天正13年12月21日、小早川隆景と吉川元長が大坂城で羽柴秀吉に対面。


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