高知の観光名所のひとつに桂浜という場所があります。
高知城の南の方向、太平洋に面した小さな砂浜です。
ここには見えない外国に思いを馳せているような表情の坂本竜馬の銅像が立っています。
本物の竜馬もこの桂浜の浜辺に立ち、心の中で世界への思いを馳せていたに違いないとかんじさせてくれます。
私も、僭越ではございますが、竜馬の気分を味わうために桂浜から太平洋を漠然と眺めていました。
今でこそ、この海には大きな貨物船や下品なまでに目立つ黄色い浮標(航路ブイ)で少しにぎやかになっていますが、昔は何一つ浮かんでいない青一色の水面であったのでしょう。
この海を見ていると、現代人の持つ知識があれば、
-この海の向こうにはアメリカがあるのかなぁ。
などという感慨に浸ることができるかもしれません。
しかし、地球という意識のない昔の人々はそうはいかないと感じます。
この海の向こうに思いを馳せた人々は恐らく昔から多かったと拙者は思います。
そんな人々は、
-この海は果てしなく、無限に続いているのだろうか。
とか、
-この海の果てには、神や仏の国があるのではあるまいか。
とか、考えたりしたのではないでしょうか。
そういう、小さな疑問というのか、好奇心というのか、まあそういったものが土佐の方々の気質を作り上げる上で重要な要素になっているのではないかと思います。
土佐というのは地理的には比較的閉鎖された地域だと思います。
ある意味では、四方を海に囲まれた沖縄県(昔風に言うなら琉球かな)よりも閉鎖された土地であるような気がします。琉球は黒潮に乗って、土佐や紀伊まで交流していたというような話を聞いたことがあります。
土佐は、既知のとおり、南側は果てしなく続く太平洋です。
しかし、その反対側はというと、それはもう峻険な四国山地に完全に囲まれています。
例えば、昔、この四国山脈を越えて讃岐や伊予に出ようとすれば、有名(全国的に有名かどうかは別であるが、四国内では有名である)な大歩危、小歩危などという難所を始めとして、人が一人通れるかどうかという、羊腸たる道を歩いて旅する必要があったのではないかと思います。
他にも龍馬脱藩の道として知られる梼原街道などもありますが、これとて非常に細く、曲がりくねった街道です。
そんな地理的に閉鎖された土佐に生きる土佐の方々というのは、私が思うに日本各地の民族の中でも特に開放的な気質を持った民族だと思います。
なぜ、そうなったかはさておきますが。。。
瀬戸内や東海道沿いの民族も比較的開放的であるとは思いますが、土佐の開放性、ざっくばらんに言うと開けっぴろげさというのとは前者とは異質なものである様な気がします。
この開放性は、南国系の民族独特なものでしょうか。
司馬遼太郎先生の「歴史と風土」という著作の中に、「土佐と薩摩と琉球の民族は同一の血で形成されている」というような予想が書かれていました。
この南国民族系の血が土佐人に開放的な雰囲気を与える一因ではないでしょうか。
とにかく、土佐の方々は歯切れが良いです。
土佐の方言がそう感じさせるのかもしれませんが、そういう方言を育むことを否まない土佐の風土があったればこそという気がいたします。
「しちゅうが?」
「わかるろ?」
文章にしてしまうといささか違和感があるかもしれませんが、これが土地の人の口から出ると、独特の爽やかさが漂ってきます。
その上、土佐の方は話好き・会話名人が多く、上記のような言葉を流暢に話す人と会話していると、なんとなく説得されてしまうものがあります。
特に酒を飲むと土佐人というのは、異常なまでに活気づき、話好きになる人が多くなるように見受けられます。
そして、その宴の場は
-無礼講というのはまさにこのことではなかろうか。
というような空気になり、下の人間は目上の人間にずけずけとものを言い始めます。
そして、目上の人間に注意を受けたところでそんなことはお構いなしに、自論を曲げません。
こういう人のことを土佐の人は
-イゴッソ
というのかもしれません。
イッゴソとはわかりやすく言うと、頑固者といったふうでしょうか。(土佐の方にはいろいろと異論があるかもしれませんが、他国者ということでご容赦ください)
ただ、悪い意味ではないような気がします。
ある方が私にこう言いました。
「わしゃ、高知のイゴッソやき。」
そういった当の本人の顔を見てみると、いささか自嘲気味ではあるが、何となく照れ笑いのようなものを浮かべていたような気がします。
「イゴッソ」というのは、そういう雰囲気を持った言葉だと思いました。
酒の話になったので、土佐人と酒の話をします。
現在の高知は県民一人当たりの日本酒消費率が日本一であるそうです(今はどうかわかりませんが。。。)。
とにかく、土佐人は日本酒が好きですね。
老若男女問わず…。
これはある女性からうかがった話ですが、
「高知の若者は女性も含めて街路で座り込むことは珍しくもなんともないですよ。」
だそうです。
土佐と言うところは、そういう風土である。そう教えてくれた当の女性は、
「私はいくら呑んでも全然変わらんが。」
とおっしゃっていました。
そう考えると、高知の県民一人当たりの日本酒消費量を底上げしているのは土佐の女子かもしれません。(高知には「はちきん」という方言がありますが、これは皆さんで調べてみてください)
また、初めて高知市内でスナックに行ったときのこと、突然スナックのママが自分のコップを空にして私に差し出してきました。
雰囲気としては、
「お一つどうぞ。」
という感じだったのですが、目の前に差し出されているのは水割りのグラスです。
そのグラスを受け取るとそのママはなみなみと私のグラスに日本酒を注いでくれました。
-まあ、ちょびちょび飲もう。
などと、悠長な考えは土佐では現金です。
「一気に空けて返杯して下さい。それが、高知流です。」
といった風なことを言われて、一気飲み干しました。
それを差し出した人に返して、その人が再びそのコップで酒を飲むのです。
そんなこんなで土佐人は男女とも異常と言っていいほど酒がお強いです。
かなり話が逸れてしまったので話を元に戻します。
土佐人の開放性というのは何かという話であったと思う。そろそろ結論でございます。
閉鎖された土地に住む土佐人は外界への好奇心というエネルギーが他の日本人に比して非常に大きいのではないかと思います。
土佐という国では、外界への好奇心は、外界の情報を貪欲なまでに摂取しようとする力に結びついているのではないでしょうか。
その外界の情報を仕入れる手段として土佐人は自らが開放的に外界の人間と接する方法を選んだのではないかと思います。
そういう外界への好奇心というエネルギーが時代の節目において戦国時代の長宗我部元親や幕末の坂本竜馬などの傑物生むことになったのではないでしょうか。
単なる持論で失敬です。
拙者は土佐が大好きです(^^)/
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