高松市の御殿浄水場は香東川の右岸、峰山の麓にあります。
そこには、大正10年(1921年)に高松市に初めてできた浄水場の建物跡が残っており、高松市の水道資料館として整備されています。
大正3年(1914年)に事業認可、同年着工で、完成までに7年の歳月と当時のお金で144万円の費用がかかったそうです。
大正時代独特の上品な雰囲気を醸しつつ、軽やかな作りで、和洋が巧みに組み合わされ、まずモダンな色使いや細かい作りが目を引きますが、全体的な構図に抑えが効いていて、自己主張が強すぎない好ましい佇まいの建物です。
実際に働いていた建物というのは、建物そのものの内側から滲み出す自信のようなものを見る者に感じさせます。
資料館の庭には往時実際の浄水設備に使用されていた煉瓦が通路のブロックとして敷設されています。
技術力が未熟な時代にもかかわらず、しっかりと原型を留めており、 高松で初めての水道事業であったからでしょうか、 当時、心を込めて焼かれたものだと感じました。
そこには、大正10年(1921年)に高松市に初めてできた浄水場の建物跡が残っており、高松市の水道資料館として整備されています。
大正3年(1914年)に事業認可、同年着工で、完成までに7年の歳月と当時のお金で144万円の費用がかかったそうです。
大正時代独特の上品な雰囲気を醸しつつ、軽やかな作りで、和洋が巧みに組み合わされ、まずモダンな色使いや細かい作りが目を引きますが、全体的な構図に抑えが効いていて、自己主張が強すぎない好ましい佇まいの建物です。
実際に働いていた建物というのは、建物そのものの内側から滲み出す自信のようなものを見る者に感じさせます。
資料館の庭には往時実際の浄水設備に使用されていた煉瓦が通路のブロックとして敷設されています。
技術力が未熟な時代にもかかわらず、しっかりと原型を留めており、 高松で初めての水道事業であったからでしょうか、 当時、心を込めて焼かれたものだと感じました。
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