950(1532)_==天文1年==(最新版)


>_<あくまでも司空流の「こうかも」年表ですので、誤りがあっても司空は一切の責任はとりません。>_<
>_<ご利用に際しては、解説・注意をご確認の上、各人で十分に史実をご確認ください>_<


 享禄5年(1532)、この年7月改元して天文1年。
 天文1年(1532)、尼子氏が美作の浦上宗景の勢力を排除して美作を制圧。
 享禄1年(1532)1月初旬、隠岐の尼子氏守護代をつとめていた京極清政(宗清?)が、都万(ツマ)城主隠岐宗林(ムネシゲ)/義秀父子や那隅(ナグ)城主隠岐刑部少輔清信ら隠岐一族が清政(宗清?)の下知に応じないことに憤り、尼子経久に援兵を乞い、尼子経久は森脇長門守/横道兵庫助/秋上善介/疋田一郎左衛門/高橋源ジョウ等1千余騎を派遣し、これらを平定。
 享禄5年(1532)1月26日、蓮悟の妻如了が、能登府中で流浪の中、逝去。享年62歳。
 享禄5年(1532)、畠山義宣と三好元長が、河内飯盛山城に籠る木沢長政を攻め続け、長政が細川晴元に救援を要請したが、余力のない晴元は兼ねて入魂の本願寺に依頼し、法主証如が晴元に協力することを約する。
 享禄5年6月5日、夜、本願寺証如が山科御坊から出陣。//河内救援の目的で、途中、大坂石山本願寺に立ち寄る。
 享禄5年6月7日、祇園会が中止となる。
 享禄5年6月15日、本願寺証如が率いる一向宗徒3万が河内方面に進出。//三好勢は勝時・勝宗兄弟ら200人余りが討死。畠山義宣は南の高屋城に退却するが、門徒衆と木沢勢により高屋城をすぐに落城し、義宣はさらに石川の道場(大阪府南河内郡河南町周辺)に逃げたが、6月17日に捕えられて自害させられる。
 享禄5年6月17日、木沢長政・本願寺証如の軍勢に追われ、河内石川の道場で捕えられた畠山義宣が捕えられ、自害。
 享禄5年6月19日、三好元長が、堺南庄の顕本寺(堺市宿院東三丁)に在陣していたところ、畠山義宣が敗れたことを知り、嫡子千熊丸(後の三好長慶)を阿波へ落ち延びさせる。//三好元長は熱烈な法華宗信者で、顕本寺も法華宗寺院。
 天文1享禄5年6月、細川晴元が、三好政長(三好元長の一族で木沢長政、元長の台頭を妬んでいた)らの讒言を容れ、法華宗の大檀那であった三好元長を憎む一向宗の力を借り、三好元長を堺の顕本寺に攻めて自害に追い込む。//これにより三好氏は一時、衰退。//この時、本願寺証如率いる一向宗徒は10万に膨れ上がっていた。//三好元長が奉じていた足利義維は捕えられ、堺の幕府は崩壊。
 享禄5年6月20日、三好元長が、堺の顕本寺で自害。
 享禄5年、本願寺証如が、武力行使に反対する興正寺の蓮秀や下間家の頼慶らを本願寺から追放。
 享禄5年7月17日、奈良興福寺の搾取に反発していた町衆の呼びかけで、興福寺の一向宗弾圧を恨む一向宗徒が立ち上がり、一揆が勃発。1万の一揆勢が興福寺や春日大社に乱入し、僧坊を焼き払い、宝物を略奪。
 享禄5年7月、奈良の一揆勢が殺生禁断の猿沢の池で魚を捕まえて食べたため、大和国人衆の越知利基と筒井順興がこれに当たり800人余りを討ち取る。
 享禄5年7月、奈良の一揆勢が、大和国人衆の越知利基の居城高取山城(奈良県高市郡高取町)に逃げ込んだ興福寺の衆を追う。
 享禄5年7月13日、相模の北条氏綱が、一向宗徒を警戒して、三浦の門徒を鎌倉光明寺の檀家に改宗させる。//三浦にいた多くの一向宗徒が相模国外へ逃げ出す。
 享禄5年7月28日、京において法華宗による一揆が発生。//一向宗徒が京に乱入して法華宗を討伐するとの風聞が京に流れたことが一つの理由とされている。
 天文1年7月29日、「享禄」から「天文」に改元。
 天文1年8月2日、一向宗徒が、細川晴元のいる堺北庄を攻撃し、数百の死者を出して退却。//下間頼秀が石山御坊において、先手を打って攻撃することを強く主張したため、出陣//これを契機に本願寺と細川晴元は手切れ。
 天文1年8月4日、木沢長政が浄土真宗の浅香道場(堺市浅香山町)を焼き打ち。
 天文1年8月5日、本願寺勢が堺北庄の攻撃を本格的に開始し、木沢長政と激突。同時に本願寺勢は摂津の池田城(城主は細川晴元方の池田久宗)を囲む。//堺北庄、摂津池田城ともに良く守り、本願寺勢は数百人の死者を出して退却。
 天文1年8月7日、3千人の法華宗徒が、武装して洛中を打ちまわる。
 天文1年8月、細川晴元と本願寺の手切れを受け、細川晴元方が京の浄土真宗系の道場を焼き打ちする。
 天文1年8月10日、武装した法華宗徒の討ちまわりが東山から山科に迫る。//山科には本願寺の山科御坊があり、危険になったため女房衆を醍醐村小栗栖に避難させる。
 天文1年8月、細川晴元方が京東山大谷にある親鸞の廟地に建てられた草坊を焼き打ちする。
 天文1年8月12日、近江南半国守護六角定頼が、本願寺と敵対した細川晴元に協力し、大津近松の顕正寺を焼き打ちする。//六角定頼は従来より一向宗徒を嫌っていた。
 天文1年8月15日、数千の一向宗徒が、東山清水寺周辺に布陣してかがり火を焚く。//京に対する示威行動。
 天文1年8月中旬、塩冶興久(尼子経久の三男)が佐陀城に今岡弥五郎以下27人、そのほか兵5百人を籠もらせ、尼子経久に謀反。尼子経久自身が7千余騎を率いて佐陀城を攻略。佐陀城危しと塩冶興久は出陣するも、中途で佐陀城が落城。今岡以下は降伏。佐陀城落城を知った塩冶興久は末次城に攻め寄せるが、月山富田城からの援軍が背後に迫ったため、家臣米原小平内、亀井新次郎が大軍と戦って塩冶興久を塩冶城間で逃れさせる。//その後塩冶興久は備後甲山城主で甥の山内直通を頼る。
 天文1年1月初旬、隠岐の尼子氏守護代をつとめていた京極清政(宗清?)が、都万(ツマ)城主隠岐宗林(ムネシゲ)/義秀父子や那隅(ナグ)城主隠岐刑部少輔清信ら隠岐一族が清政(宗清?)の下知に応じないことに憤り、尼子経久に援兵を乞い、尼子経久は森脇長門守/横道兵庫助/秋上善介/疋田一郎左衛門/高橋源ジョウ等1千余騎を派遣し、これらを平定。
 天文1年8月、中旬、本願寺は管領細川晴元、近江南半国守護六角定頼、法華宗徒を全て敵に回し、山城、摂津、近江で戦端が開かれる。
 天文1年8月、本願寺が、近江堅田の明宗の破門を赦す。//近江の戦力と富を確保するため、本山の蓮淳が画策か?
 天文1年8月16日、一向宗徒5千と法華宗徒1万が、京の東山の西の麓にある日吉口と渋谷口で激突//戦闘は翌日まで及び、一向宗徒は100人余を討たれて敗走。
 天文1年8月17日、夜、近江南半国守護六角定頼が兵船7隻を連ねて堅田に押し寄せる。//一向宗徒側は明宗やその子明誓らを中心に湖岸の備えを固める。
 天文1年8月19日、攝津の一向宗徒が、西国街道を東進して、山崎を押さえる。//これに対して、細川晴元勢と法華宗徒は、西岡でこれを迎え撃ち、一向宗徒を退ける。
 天文1年8月20日、越前に逃げていた旧三カ寺派の加賀国人衆が、加賀の江沼郡に討ち入ったが、大将の黒瀬五郎兵衛が討たれたため、退く。
 天文1年8月23日、大和の一向宗徒が、高取山城を攻撃していた所を、筒井順興に背後を突かれ、大和吉野に潰走する。
 天文1年8月24日、早朝、細川晴元、六角定頼、法華宗徒の連合軍3万が、京の山科御坊(浄土真宗)を包囲していたところ、総攻めを開始し、未の刻(午前10時頃)、寄せ手が水落ち口から乱入し、堂に火を放つ。//実従(蓮如の末子:35歳)が和睦を図ろうとし、下間融慶が交渉に立とうとしたが間に合わなかった。//大和願行寺の勝忍や下間頼益・融慶ら本願寺方500人が討死。//浄土真宗山科御坊および寺内町の在家が一屋残らず炎上。//実従(浄土真宗蓮如の末子)が下間頼玄とともに親鸞の影像(本願寺にとってこの親鸞の生身の像はかけがえのない至宝)を抱えて勧修寺村の五郎左衛門方に逃れ、近くの土中に埋める。
 天文1年8月、日蓮宗徒らによって山科本願寺が焼き討ちされる。//このため、明応5年(1496)に蓮如が建立した石山御坊が本願寺本山となり、以後「石山本願寺」と称される。
 天文1年8月25日、実従(浄土真宗蓮如の末子)が上醍醐の水本報恩院(伏見区醍醐山)の源雅を頼る。
 天文1年8月27日、実従(浄土真宗蓮如の末子)が8月24日に土中に隠した親鸞の影像を掘り出して、報恩院に移す。
 天文1年9月13日、実従(浄土真宗蓮如の末子)が親鸞像を宇治田原に移す。
 天文1年9月25日、大坂石山本願寺の一向宗徒が、細川晴元のいる堺へ寄せたが、数百の討死を出して退却。
 天文1年9月、薬師寺国長の率いる細川晴元勢と法華宗徒勢が、山崎で一向宗徒と衝突し、細川・法華勢が敗れ、京に逃げる。一向宗徒はこれを追い、西南から京に迫る。//この際、六角堂と革堂(コウドウ)の早鐘が夜通し鳴って急を知らせたといわれる。
 天文1年9月28日、早朝、細川・法華宗徒勢が、京近郊で一向宗徒勢と戦い、細川・法華宗徒勢が敗れる。
 天文1年10月16日、室町幕府奉行茨木長隆が管領細川晴元の奉公衆の所領を安堵し、一向宗徒との戦いで恩賞を与える。
 天文1年、管領細川晴元が、朽木に隠れていた室町幕府将軍足利義晴と和解し、桑実寺(滋賀県蒲生郡安土町)まで出てくる。
 天文1年11月、大内義隆が長府に在陣するとともに、重臣陶興房が九州に渡海し、少弐/大友連合軍に備える。
 天文1年12月10日、京周辺の農民が半済を求めて、洛中に押し入る。
 天文1年12月22日、細川晴元方の伊丹親興と池田久宗が攝津島下郡の浄土真宗の門徒道場を全て焼き払う。

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