>_<あくまでも司空流の「こうかも」年表ですので、誤りがあっても司空は一切の責任はとりません。>_<
>_<ご利用に際しては、解説・注意をご確認の上、各人で十分に史実をご確認ください>_<
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天正14年(1586)、日本国使橘康広、その国王秀吉の書を持ちて、来る。//懲毖録にあり。康広は宗氏の家臣柚谷康広で帰国後、朝鮮が秀吉の書にある約定を無視したことから、秀吉に殺される。
天正14年(1586)6月、島津義久が羽柴秀吉の最後通告を無視し、豊後大友領に侵入。
天正14年(1586)6月25日、九州の役開戦。黒田孝高と安国寺恵瓊が検使となる。
天正14年(1586)、吉川元春、元長父子が九州の役に出陣。
天正14年8月、羽柴秀吉が越中国の佐々成政攻略を開始。
天正14年8月、上杉景勝が、天正9年に織田信長に内通して背いた、新発田城(新発田市大手町)城主新発田重家討伐に向かう//落城せず。
天正14年8月25日、佐々成政は剃髪し、降伏する。
天正14年(1586)9月9日、羽柴秀吉が豊臣姓を賜る。
天正14年(1586)10月、安国寺恵瓊が九州の役に出陣。
天正14年、長宗我部元親の軍勢が戸次川で島津勢と衝突。
天正14年冬、吉川元春が悪性の腫物を患い、九州の役の陣中の小倉城で逝去。
天正14年、戸次川の戦いで長宗我部元親らが率いる四国勢が惨敗。
天正14年12月25日、豊臣秀吉が太政大臣に就任。
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