950(1534)_==天文3年==(最新版)

>_<あくまでも司空流の「こうかも」年表ですので、誤りがあっても司空は一切の責任はとりません。>_<
>_<ご利用に際しては、解説・注意をご確認の上、各人で十分に史実をご確認ください>_<

 天文3年(1534)1月、毛利元就と甲立五竜城主宍戸元源と和睦し、元源の孫隆家と元就の長女との婚約が決定。
 天文3年(1534)1月28日、摂津の西宮社(西宮市社家町)が炎上し、宝殿の剣と珠が消失。
 天文3年2月、三宅出羽守国村が浄土真宗に改信。//一向宗徒を味方につけるため?
 天文3年2月3日、石山本願寺において、寺内町の清水町の堀を深くする工事が始まる。
 天文3年3月10日、下間頼盛(浄土真宗)らが摂津や河内で遊撃を繰り返し、この日は御厨屋や杜河内を攻める。//石山本願寺の足元にある高津や渡辺も焼けた。
 天文3年5月11日、尾張那古屋城主織田信秀に嫡男吉法師(後の信長)が誕生。
 天文3年6月5日、三好利長が本願寺側に寝返る。//石山の西の野田(大阪市福島区野田)に陣取る。//利長は父元長が討死した原因が細川晴元にあることから、その敵方の細川高国についた。
 天文3年7月、毛利元就、備後宮城主宮下野守直行の子元盛を下す。
 天文3年、尼子経久は備後甲山城主山内直通を諭し、塩冶興久(尼子経久の三男で天文1年に経久に謀反し、直通の元に落ち延びていた)を自害させる。
 天文3年7月25日、下間頼桂が、討死。
 天文3年8月3日、木沢長政が、京近郊の西山の谷(西京区松尾谷松尾山町)に籠る一向宗徒を攻め落とす。//この際、西芳寺が炎上。//三好利長は椋橋城(豊中市庄内)に逃げる。//細川晴元は伊丹親興に討伐を命じるが、親興は敗れる。
 天文3年9月3日、近江坂本にいた将軍足利義晴が入京。
 天文3年9月17日、本願寺西隣にある法安寺の小屋が失火により焼ける。
 天文3年9月、越前に逃れていた加賀三カ寺方の加賀国人衆が、牛の谷に陣取り、しきりと加賀を窺う//大将の黒瀬左近四郎が本山方に寝返ったため、加賀三カ寺方の諸将は四散。
 天文3年10月20日、三好利長が、細川晴元方の伊丹氏・池田氏と潮江庄西田中(尼崎市潮江)で合戦。//一向宗徒が利長を助け、利長方が勝利。//しかしながら、この後、木沢長政が利長を説得し、利長は細川晴元方に寝返る。
 天文3年11月21日、九条稙通(タネミチ)が、関白職を辞し、大坂の本願寺証如を頼る。//証如は、稙通の父九条尚経(ヒサツネ)の猶子。
 天文3年11月28日、本願寺証如が、追放していた興正寺の蓮秀の帰参を、報恩講を期に赦免。//石山本願寺内でも穏健派と主戦派が対立。

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