950(1545)_==天文14年==(最新版)

>_<あくまでも司空が各種資料に基づき独自に調査した結果ですので、誤りがあっても司空は一切の責任はとりません。>_<
>_<ご利用に際しては、解説・注意をご確認の上、各人で十分に史実をご確認ください>_<

 天文14年(1545)1月13日、石山本願寺において、本願寺証如のための新しい寝殿が落成。
 天文14年、堺の橘屋又三郎が、種子島において鉄砲の製法を学び、堺に戻る。
 天文14年5月25日、細川氏綱が、大和から山城に入るが、細川晴元が三好範長とともに宇治で迎え撃ち、氏綱を退ける。
 天文14年8月、今川義元が、冨士川以東の北条氏の勢力を討伐するため、駿河に進攻。//同盟関係の武田晴信も出兵して義元を援護。
 天文14年(1545)8月15日、山中鹿之助、月山の北麓広瀬川のほとり広瀬(富田)の山中屋敷に生まれたと言われる。あるいは月山山麓の新宮谷で出生。山中満幸の次男で、母は立原佐渡守綱重の娘。幼名甚次郎。(天文9年生まれとの説も)
 天文14年9月14日、北条氏康が、武田晴信に書状を送り、今川氏との調停を依頼。
 天文14年9月20日、織田信秀が、三河国安祥城を攻めていた松平広忠を破る。 天文14年(1545)10月12日、上杉家の老臣黒田秀忠が長尾景虎(のちの上杉謙信)の兄景康を殺害し、黒滝城(西蒲原郡弥彦村)に立て籠もり、謀反する。//春日山城危機の方に接した長尾景虎は「家国の瑕瑾」と憂い、兄長尾晴景のもとに馳せ参じ、黒田秀忠を討伐し、栃尾城に凱旋。
 天文14年10月29日、甲斐の武田晴信、遠江の今川義元、相模の北条氏康が同盟を締結。

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