950(1548)_==天文17年==(最新版)

>_<あくまでも司空が各種資料に基づき独自に調査した結果ですので、誤りがあっても司空は一切の責任はとりません。>_<
>_<ご利用に際しては、解説・注意をご確認の上、各人で十分に史実をご確認ください>_<

 天文17年(1548)、吉川元長誕生。幼名鶴寿丸、長じて、少輔次郎と名乗る。父は吉川元春で嫡男。
 天文17年(1548)3月22日、越前の朝倉孝景が逝去。//15歳の義景が相続。
 天文17年4月、細川晴元方の三好範長(26歳)と細川氏綱方の遊佐長教が、和睦。遊佐長教の娘を範長に輿入れ。
 天文17年4月26日、本願寺証如が、朝廷から借りていた御家流の祖尊円法親王が書いた「鷹巣法帖」を、金品を添えて返却。
 天文17年5月、摂津池田城主池田久宗が、細川晴元の下命により、細川氏綱に内応した罪で、自害。//この後、池田家中が、細川晴元派と三好範長派に別れて内紛。
 天文17年6月、本願寺証如が、御家流の祖尊円法親王が書いた「鷹巣法帖」を朝廷から下賜される。//4月26日に一度返却していた。
 天文17年8月、摂津池田城内で政変が起こり、三好範長派が細川晴元派を追い出す。//天文17年5月参照。
 天文17年8月、三好範長が、摂津池田城の政変を契機に、細川晴元とその配下で同族の三好政長と手を切る事を決意。名を長慶に改める。
 天文17年8月、美濃の斎藤道三が、尾張の織田信秀の侵攻に対して、和睦を求め、道三の娘濃姫が信秀の嫡男信長に輿入れ。
 天文17年8月、加賀の能美郡において、門徒の組の棟梁徳田縫殿助らが反乱し、江沼郡林村の超勝寺などを襲う//18日、本願寺証如は徳田らを処罰。
 天文17年10月、三好長慶が、細川晴元に反乱。//三好政長が、細川晴元に長慶について告げ口をしたことがきっかけとも?//長慶は、三宅に拠って、江口(大阪市東淀川区江口)に拠る政長を攻める。
 天文17年12月7日、本願寺証如が、北近江の浄土真宗僧侶の求めに応じて、浅井長政に書状を出し、誼みを通じる。
 天文17年12月26日、狩野元信が、8月から描いていた石山本願寺の襖絵を仕上げ、証如から100貫文を受領。
 天文17年(1548)12月30日、長尾景虎(越のちの上杉謙信)が、越後守護上杉定実の調停で、栃尾城から春日山城に入って兄晴景と「父子の義」を結び、守護代長尾家を相続。

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