950(1550)_==天文19年==(最新版)

>_<あくまでも司空が各種資料に基づき独自に調査した結果ですので、誤りがあっても司空は一切の責任はとりません。>_<
>_<ご利用に際しては、解説・注意をご確認の上、各人で十分に史実をご確認ください>_<


 天文19年(1550)、毛利元就、有力家臣の井上衆を専横のかどで誅伐。
 天文19年(1550)1月、三好長慶が、自ら伊丹に出向き、伊丹城の伊丹親興を激しく攻める。
 天文19年(1550)、尼子晴久(詮久)、出雲大社の遷宮を執行。
 天文19年(1550)2月26日、越後守護上杉定実が逝去。法名永徳院殿天仲玄清。越後守護上杉家は断絶。
 天文19年(1550)2月28日、長尾景虎が室町十三代将軍足利義輝から白傘袋(シロガサブクロ)と毛氈の鞍覆(クラオオイ)の使用を許される。//事実上の国主待遇。
 天文19年3月28日、三好長慶と伊丹城主伊丹親興の和睦が成立。//これにより摂津一円が長慶の支配下に入る。
 天文19年4月、本願寺証如が、紀伊を訪れる。紀伊の門徒の中心である黒江の道場を訪れ、和歌浦などを周遊。
 天文19年5月4日、室町幕府前将軍足利義晴が近江の朽木で逝去。享年40歳。
 天文19年5月、室町第12代将軍・足利義晴が近江常在寺にて死去。
 天文19年5月6日、石山本願寺の阿弥陀堂前に鐘楼が建立される。
 天文19年6月、室町幕府13代将軍足利義藤が、三好長慶の摂津平定の多忙につけ込み、如意ケ岳の西北の中尾城(京都市左京区一乗寺中尾ケ谷)に立て籠もる。//長慶は直ちに摂津から軍を進める。//細川晴元勢がこれを迎えて北白川から鹿ケ谷にかけて合戦が続く。
 天文19年8月18日、蓮淳(浄土真宗、蓮如の実子)が石山本願寺で逝去。享年87歳。
 天文19年8月、ザビエルが、肥前平戸領主松浦隆信に迎えられる。//たちまち百人ほどの信者を得る。
 天文19年9月、ザビエルが、周防山口を訪れ、大内義隆の許しを得て、町に立って説法を行う。
 天文19年10月、近江国友村の鉄砲鍛治が、昨年7月に織田信長から受注した鉄砲5百挺を納入。
 天文19年、三好長慶が、将軍足利義藤の籠る中尾城を攻め、京の東方面を焼き払う。
 天文19年11月、将軍足利義藤が、三好長慶方の攻勢を恐れ、近江坂本を経て、堅田に逃げ延びる。
 天文19年11月28日、石山本願寺が、蓮淳(浄土真宗、蓮如の実子)の遺言により加賀の乱で追放された実悟、顕誓らを赦免。
 天文19年12月、越後守護代長尾一族の長尾政景(景虎の姉仙桃院の嫁ぎ先で、仙桃院は後の上杉景勝の母となる)が坂戸城(南魚沼郡六日町)に立て籠もり、謀反する。//長尾景虎(のちの上杉謙信)の母の実家である栖吉長尾家の勢力拡大に長尾政景が不満を覚えたことなどが理由か?
 天文19年12月16日、実悟(浄土真宗、蓮如の実子)が、吉野飯貝の本善寺にいる同母弟の実孝を訪ねる。
 天文19年12月、ザビエルが、山口から海路で、堺に上陸し、櫛屋町の豪商日比屋了慶の屋敷に入る。

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