昔、ある小説(播磨灘物語?)で山崎の合戦のくだりを読みながら、「なぜ、山崎を迂回する選択肢がないのか」と悩んだことがあるが、喉元を過ぎて調べるのを失念していました。 山崎の地形をよく知っている人からすると、愚問中の愚問になるのかもしれませんが、わたしは現地に立ってみて、はじめて理解できました。 男山の南から西にかけては広々とした平野が広がっており、兵の移動に全く問題はありません。 ただ、今の山崎周辺の状況を見ると、そこかしこに橋梁が架かっています。名神高速、京滋バイパス、京阪電鉄などなど数は数えませんでしたが、橋梁の百貨店のような様相です。 橋梁のない昔のことを相続すれば、上洛の途上で山崎と男山を越えると、木津川、宇治川、桂川の三つの河川を渡河しなければならないということでしょうか。しかも、堤防がなかった時代は、山崎と男山に挟まれた三河川合流域は一面の沼沢だったと思われます。 このため、京都を出撃する側も、襲撃する側も、必然的に山崎の天王山の南麓あたりを通ることになるのでしょうか。 さて、男山を離れて、駐車場に戻る途中に、木津川と宇治川を隔てる背割り堤の付け根辺りに設けられた淀川三川合流域さくらであい館の展望台に立ち寄りました。 360度、周辺が一望できる展望台です。 背割り堤にはたくさんの桜が植えられており、春になれば美しいことでしょう。 桜はさておき、三川合流域という珍しい地形を眺望するという施設を作るという発想に大感謝です。 一枚目は展望台の遠景、以降は展望台からの360度の眺望です。