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小豆島タートルマラソン記念品

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小豆島タートルマラソンの記念品でーす。 Tシャツとタオルが両方ついているのは、豪華だなぁ! 醤油がついてました。これは、小豆島ならでは。 プラス、ラー油も。 こちらは意外。

小豆島タートルマラソン

2015年11月29日、小豆島タートルマラソン(ハーフ部門)に参加。 現在、7時40分発の高速艇にて土庄港へ移動中。 前日にフェリーの乗船券を購入していたものの、7時20分発のフェリーが定員到達(陸から見ると座席にはかなり余裕があるように見えましたが、たぶん救難艇が足りないのでしょう)ということで乗船できず、結局、行列に並んで、高速艇の乗船券を購入するはめに…。 7時00分に臨時便フェリーが出ていた様ですが、7時20分のもうひとつ後の便を設定してもらえると利便性が向上すると思う。 ともあれ、時間内に会場に着けそうなので、一安心。 8時15分頃、土庄港に到着し、土庄から専用の送迎バスで会場の旧土庄町役場に直行。 受付を済ませて、更衣室で着替え。更衣室は男子が2会場、女子が1会場。男子は適当な広さがあり、混雑することもなく、適切な設定。 珍しくトイレがそれほど混雑しておらず、行列もほとんどできていませんでした。これは素晴らしい!どうやってスタート前のトイレの行列を解消できたのかを是非世間に広めてほしーい。 スタート地点はお土産物や食べ物、ランニング用品の屋台があり。小豆島名物素麺の無料配布がありました。オリーブマラソンの時は冷やし素麺でしたが、タートルは晩秋から初冬なので温かい系です。 名物だけに、温かい方も美味! スタートはフルマラソンから始まり、10分おきにハーフマラソン、10kmがスタート。 土庄から北、そして、東方向に向かい、折り返して往路をそのまま戻るコースです。 小豆島のマラソンはアップダウンが激しいとは聞いていましたが、タートルはオリーブマラソン以上のアップダウン。 ハーフでも片道で3つの大きなアップダウンがあり、折り返し後も同じ道を通るので、往復で合計6つの山を越えることに…。しかも、往復と復路が同じなので、往路の登坂でしんどい思いをしながら、「帰りも此処を通るのか…」と思ってしまいます。 登りがきつーい。なので、風景や折り返し地点を撮影する余裕なし。 概ね5km毎に給水所があり、ボランティアの皆さまが優しくレモン水を手渡ししてくれました。どの大会でもボランティアの皆さまには感謝感激です。ありがとうございます❗ 道端で応援してくれる地元の方々に感謝しつつ、激しい太ももの疲労を感じながら、なん

高松カントリークラブ城山コース!

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香川県坂出市にある高松カントリークラブ城山コースをラウンド! 香川県のゴルフコースの中でも老舗といえるコースだと聞いています。 グリーンが狭くて、バンカーが多い。 そして、短めの、狭めというところです。 海に近い独立峰の上にコースがあるので、眺めはサイコーです。 瀬戸内海と瀬戸大橋が一望でき、天気が良かったので、対岸の倉敷水島コンビナートも鮮明に見えました。 各ホール、喘ぎ坂とか、無情とか、グランドキャニオンとか愛称がついています。 個人的にはINの10番、17番の谷越えがプレッシャーでした。 また、OUTの2番で+6、8番で+5は痛かったです。特に8番は打ち下ろしのショートで、改心のショットにも係わらず、風で押し戻されて、バンカー手前。そこからチョロッてバンカー、さらにホームランして、さらにさらに、脱出に失敗と、散々でした。 高松CC城山コースはミスが連鎖するコースかなぁ。 写真は高松CC城山コースから見下ろす瀬戸内海の風景です。空気が澄んでいたので、よい写真が撮影出来ました(^^)/

レオマ高原ゴルフクラブ!

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季節もちょうどよく、コースコンディションは抜群! 天気も秋晴れ・快晴で、風もなし。 徳島県三好市のレオマ高原ゴルフクラブでラウンド。 コースもクラブハウスも綺麗に整備されていて、好印象。 IN→OUTでラウンド。 OUTもINもスタートホールはロングホールなので、朝一のティーショットは重要になります。 個人的にはINの方が難易度が高く、特に、10番の距離の長いミドルはツーオンが不可能に思えるほど厳しい設定。 あと、特徴的なのは池が多く配置されている点。印象に残っているのは、INの13番ショートはティーからグリーンまで全部池ですし、INの10番もティーの右前方に池、OUTの9番もグリーン手前が大きな池といったところ。 最後に名物ホールだと思われる、OUT1番のレオマ高原ゴルフクラブマークをしたバンカーで一枚!

トレッドミル中心の日々

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平成27年8月にスポーツクラブの会員となる。真夏、真冬は外ランがきついので、エアコンの聞いたスポーツクラブに入会。 初めてトレッドミルを走ったが、ラン終了後に自分の経験的感覚と止まったまま走っているという事実が脳内でうまくリンクせず、立ち眩みのような感覚に襲われることを知る。 久しぶりに屋外ラン、外は秋の景色が深まっている。 写真はサンポートから眺めた秋の瀬戸内。

直島(香川県)のつつじ荘

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ベネッセの地中美術館や瀬戸内国際芸術祭で一躍有名になった直島に、このたびは宿泊。 ベネッセのゲストハウスはわたくしにはとても手が届かないので、「ふるさと海の家つつじ荘」にある『パオ』に宿泊しました。 つつじ荘には他にも小さな長屋風の宿泊施設もございます。 つつじ荘の目の前にある砂浜はほぼプライベートビーチ状態です。 砂浜は沖にブイを浮かべて外と分離されており、その内側には3m×4mくらいのプラスチック製の黄色い浮き桟橋とテニスの審判が座るような椅子を少し大きくしたような足場があります。 満潮の時にはその二つの飛び込み台の周辺はとても深くなり、大人でも足が届きませんが、干潮になるとと遠浅に姿を変え、小学校1年生くらいでも歩いて飛び込み台に渡ることができるというのがとても不思議でした。 パオは真ん中に天井を支える柱が4本あり、パオの外周に沿ってベットが4つ並べられていました。 パオの外周は厚みのあるビニール素材のように感じます。パオの外周には所々に通気通風のための網が付けられていて、外側のびにを巻き上げると、窓になって外気が取り入れられるようになっています。 冷蔵庫と扇風機は備え付けられていました。さすがにエアコンはございませんでした。 真夏の熱帯夜だともしかしたらかなり寝苦しいかもしれないと感じます。 夕食・朝食はつつじ荘の喫茶店(レストラン)でそれぞれBBQとモーニングです。BBQは適量でおなかもいっぱいになりました。メニューにお酒もあるので、持ち込みの必要はありません。また、ビールと酎ハイなら自動販売機があります。ただし、周辺にコンビニはないので、ある程度買い物は済ませておいた方がよいですね。 今回は、芸術作品にはふれることなく、バカンスを楽しみました。 ちなみに、今回、つつじ荘に宿泊してみて、直島を訪れる外国人観光客の数に驚きました。つつじ荘に宿泊あるいは遊泳している人の半分くらいは外国の方だったような印象です。 写真はパオの中の風景や砂浜の風景、闇の中に浮かび上がるパオの姿です。最後の写真だけ、宮浦港の芸術作品です。

磁場の井戸:第四章 対岸(六)/長編歴史小説

 加茂城には毛利家から派された桂民部大輔広重が城主として入城していた。加茂城は小さいながらも、本丸、西の丸、東の丸の三つの郭を有し、城主として送られた広重は、当然の如く、本丸を守っていた。  その加茂城本丸の大手門前に東の丸の守将生石中務が松明の灯りに照らされて立っていたのは、この朝が明ける前の夜更けだった。 「生石中務でござる。民部大輔殿にお話したいことがあり、参った。開門。」 暗闇の中を良く通る声で生石が大手門上の櫓に見え隠れする門番に向かって叫んだ。 「このような夜分にお話とは何事でございますか。」 「民部殿のお耳に入れておきたいことがあって、参ったまでだ。」 門番は生石に、暫くの間、待つように告げると、開門の是非を確かめるために物頭に人を走らせた。門前に立つ影は確かに門番自身も見覚えた生石の影であり、昨日までならば門番は開門して、彼を招き入れていたに違いない。しかし、この日に限り、ある部将が、 「近頃、夜番の兵達の動きを見ておると、どうも気が緩んでおる。長の篭城では、何かと気が緩みがちになってしまうが、そこが敵の付け入る隙となることも多い。今夜からは、再び気を引き締めて、門を守るようにいたせ。」 と厳命したばかりだったので、一往、生石の来訪を夜番の物頭に知らせ、裁断を仰ぐことにした。  しばらくすると、生石の頭上から厳しい声が降って来た。 「籠城の真っ最中でござる。夜更けに不用意に開門はでき申さず。火急の御用でないのなら、明朝にしていただきたいとのことでございます。」 門番の返事は籠城中の城としてはしごく当然と言える反応だったが、生石の受け取り方は違っていた。 (悟られたのか。) 生石は直感的にそう誤解した。この男は加茂城の東の丸を預かっておきながら、秀吉方に通じていた。すでに内応の手筈は整い、宇喜多勢を城中に導き入れる時を計っていた。彼は、その塩梅を確かめるべく、夜更けにもかかわらず、本丸の大手門を叩いた。脛に傷を持つと、兎角、疑心暗鬼に陥りやすくなるもので、生石は門番の応対に過敏なまでに反応し、本丸に尻を向けると、脱兎の如く、鞭を上げて東の丸へ駆け去った。  東の丸に戻った生石は、事は露見したと勘違いしたまま、露骨な反逆行為を始めた。まず、寝静まっていた兵達を叩き起こし、郭全体が臨戦体制に入った事を告げ、垣盾や逆茂木を設け、弓

オクラ、豊作!

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家庭菜園が今年も豊作。 特に今年はオクラの取れ高がよいです。対して、昨年まで食べきれないほど出来ていたゴーヤが全くできていません。 去年のオクラは1つの苗に1から2個しか生らなかったのですが、今年は次々と出来ています。 去年までは肥料が足らなかったのかもしれません。 オクラってこんな風に出来るということ生まれて初めて知りました。感動です。 一枚目の写真、楓のような形の葉がオクラの葉です。 二枚目の写真、真ん中辺りにお馴染みのオクラが天を指しております。 三枚枚目は、オクラの花です。厳密には、開花直前の蕾です。薄い黄色の綺麗な花が咲き、その花の一つ一つにオクラが成ります。

ダッフィージェット!

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羽田空港にて!

JOYFIT入会!

本日、JOYFITに入会! 台風11号が過ぎ去り、昨日昼前に屋外ランを決行したのですが、気温32℃で7km走って、バテバテになりました。また、その前の早朝6時頃にも屋外ランしたのですが、こちらは突然の豪雨に見舞われ、途中で引き返すという無念な結果でござる。 やはり、気候が過酷な季節は屋外ランよりも屋外の方が良さそうです。 ということで、以前、体験利用をしていたJOYFITへの入会を決意! 月会費が5千円少々と経済的な負担は大ですが、熱中症でダウンするよりはましなので…。 マシン関係は使い方がよく分からないこともあり、また基本的にはランしたいので、トレッドミルを中心に、少しだけバイクをかじりました。 テレビを見ながらのランというのも悪くはないですね。 ちなみに、トレッドミルを下りた直後のふらつき感って、凄いですね。 始めて経験したときは、転びそうになりました。

小豆島タートルマラソン(ハーフの部)にエントリー

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神戸マラソンに落選しました。初出場枠でもハードルが高いです。 小豆島オリーブマラソンの印象が、激しい高低差をのぞき、非常によかったので、今度は小豆島タートルマラソンにエントリーすることにしました。 小豆島タートル…は、抽選ではなく、先着順(入金順)なので、確実なのがよいですね。 フルにするか、ハーフにするか迷いましたが、厳しい高低差を考慮して、とりあえずハーフを選択! ということで、今日はハーフを走りました。 参考  香川県で見つけた工事用バリケードです。  うどん県らしい趣向でございます。  その他はサンポートの防波堤から見た高松と女木島の写真です。

磁場の井戸:第四章 対岸(五)/長編歴史小説

 日幡城が落城した日の夜、久方ぶりに七郎次郎が宗治の元にずぶ濡れの姿で現れた。 「無沙汰であったな。」 宗治は久しぶりに見た七郎次郎の顔に向かってそう言った。外界の出来事を早く知りたいと言う心中とは裏腹に、宗治の口調はなぜか落ち着いていた。七郎次郎が自分の前に姿を現した事は、既に宗治の欲求を満たす十分条件となっていた。  七郎次郎は、濡れた頭髪から止めどなく滴り落ちる水滴を気にも留めず、片膝をついたまま、宗治の前で顔を伏せていた。七郎次郎の座っているところにだけ、黒い染みのように水溜まりができていた。七郎次郎はそれでも動くことなく、宗治の次の言葉を待った。 「外の戦は如何であった。」 宗治はそんな言葉で自分の求めるものを七郎次郎に対して表現した。 「日幡が寝返り、本日、その日幡を毛利勢が奪還、城を焼き払いましてございます。」 七郎次郎は顛末の末から話を切り出した。そこから、宗治は一部始終について七郎次郎に問うた。宗治は湖水の対岸で展開された事実を遅れること一日で知った。日幡六郎兵衛が上原元祐に殺された事、そして、日幡の城が地上から消滅した事を…。そして、これらの事実という液体の中に身を浸し、体中に染み込ませながら、思っていた。 (それでも秀吉は動かぬか。)  七郎次郎は、思案に入った宗治の顔を、無言で見つめていた。宗治は漆黒の闇を見つめ続けていた。 (秀吉は、この高松を落とす事に全精力を注ぎ込んでいる。) 秀吉は今や天下に聞こえた織田信長の一手の大将である。その秀吉をここまで引き付けている高松城にあって、その城主を務める自分に少なからぬ興奮を感じると同時に、宗治は鎖で繋がれたように身動きの取れない自らの境遇を心中で嘆く以外にやるべきことのない自分にもどかしさ感じ続けていた。  それから数日後の夜明け前、再び鉄砲の音とともに、備中の野に黒煙が上った。 (次は何か。) 宗治は思うと同時に、櫓へと昇る梯子に手をかけていた。黒煙の出所はどうやら加茂城の辺りと予想がついた。夜明け前の薄明かりを切り裂くような乾いた鉄砲の音が、遠近の草の上の朝露を震わせた。  宗治は隆景の本陣日差山と加茂の方角を繰り返し、見比べるようにして、毛利勢の様子を覗い続けた。加茂から上がる煙は、時を経るに連れて次第に激しく、濃くなっている。一方、日差山の方角はどっしりと根

トウモロコシが出来たー!

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今年もトウモロコシができました! 身が白めの品種なのかなぁ…。  去年は茹でたので、今年は、魚焼きグリルで焼いてみよー!

司馬遼太郎先生なら、昨今の集団的自衛権に関する議論をどのように語られるだろうか (その3)

抜粋終わり。 司空が思うに、"存立危機事態"などなど、新しい、あるいは、耳慣れない単語を使用するならば、その定義を明確にしておくことが、後世の日本国民に対する最低限の責務ではないだろうか。 この定義が中途半端のままだと、第日本帝国憲法第三十一条の二の舞になりかねない。 仮に、良識ある現代の政治家の方々や有識者の皆さまが未来永劫、その立場で良識ある判断をしていただけるならば、もしかしたら曖昧なままでもよいのかもしれないが、権力を持ち、行使する立場の人間が時とともに変わるということを念頭に置き、後世、悪解釈されぬよう、明々白々な定義付けをしておくべきではないだろうか。

司馬遼太郎先生なら、昨今の集団的自衛権に関する議論をどのように語られるだろうか (その2)

「事変ノ文字ハ仏語ニテ(インサルレクション)ト云フ」  (中略)  井上はさらに日本語で説明した。 「事変とは寧ロ戦時ニ属シ内乱又ハ暴民ノ蜂起スル等不時ノ事変ヲ云フモノナリ」  また、言う。 「政府ハ勢力ヲ以テ之カ鎮圧ニ従事シ人民ノ権利ヲ中止スルノ場合ニ云フモノナリ」  となると、"事変"というのは小規模なものではない。まずは日本でおこる可能性のないほどの大きいものである。山田法相は、 「いっそ内乱という言葉をつかったほうがはっきりするのではないか。」  といった。  この司法大臣は明治十年の西南戦争のとき、司法卿にいながらふたたび軍服を着、第二旅団をひきいて南九州で戦った経歴をもっている。  山田顕義が経験した内乱は、戊辰戦争では戦場が北日本と東北にひろがり、北海道におよんだ。西南戦争はその点、南九州を中心とした局地戦だったが、戦闘の激烈さは、類がなかった。非常大権が発動されるべき内乱とは、当然そのようなものだと山田はおもったにちがいない。  結局、採決の結果、原案どおり、事変になった。

司馬遼太郎先生なら、昨今の集団的自衛権に関する議論をどのように語られるだろうか(その1)

以下、『この国のかたち(司馬遼太郎先生著、文春文庫) 第四巻 81別国』より抜粋  この章は、昭和初期十数年間の"別国"の本質について書く。  "日本史的日本"を別国に変えてしまった魔法の杖は、統帥権にあったということは、この連載の冒頭のあたりでのべた。 (中略)  旧憲法的日本は、他の先進国と同様、三権(立法・行政・司法の三権)の分立によってなりたっていた。大正時代での憲法解釈では、統帥権は三権の仲間に入らず、「但し書き」として存在した。要するに統帥権は、一見、無用の存在というあつかいだった。さらには、他の三権のありかたとは法理的に整合しなかった。 (中略)  亡国への道は、昭和六年(一九三一年)から始まる。このとし統帥権を分与されている関東軍参謀らが、南満州鉄道の柳条湖付近で密かに線路を爆破し、それを中国軍のしわざであるとしてその兵営を攻撃し、いわゆる満州事変をおこした。 (中略)  この"事変"が日本の統帥権(参謀本部)の謀略からひきおこされたことは、いまでは細部にいたるまではっきりしている。  "事変"を軍部が統帥権的謀略によってつくりだすことで日本国を支配しようとしたことについては、陸軍部内に、思想的合意の文書というべき機密文書が存在した。 「統帥綱領」「統帥参考」  がそれである。(中略)  編んだのは統帥権の機関である陸軍の参謀本部であった。この書物は軍の最高機密に属し、特定の将校だけが閲覧をゆるされた。 (中略)  その本の中に「非常大権」という項目がある。  簡単にいえば、国家の変事に際しては軍が日本のすべてを支配しうるというものである。以下、直訳する。 「軍と政治は原則としてわかれているが、戦時または国家事変の場合は、兵権(注・統帥権のこと)を行使する機関(注・参謀本部のこと)は、軍事上必要な限度において、直接に国民を統治することができる。それは憲法第三十一条の認めるところである。この場合、軍権(統帥権のこと)の行使する政務'政治活動のこと)であるから、議会に対して責任を負うことはない。」  という。このみじかい文中で兵権と軍権という類似語がたがいに無定義に使われている。兵権も軍権もおなじ意味

新緑の志度CC(香川県)

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新緑の志度CCをラウンド。 高台から眺める快晴の瀬戸内の多島海が、陽光をきらきらと跳ね返す海面に浮かんでいて、心安らぐ美しい景色です。 志度CCの真正面の位置に小豆島が浮かんでいます。おそらく草壁あたりの大きな集落が一望できます。 香川県内のゴルフ場の中でも景色の美しさは三本の指に入るのではないかと思います。 天候、気温、風とも最高のコンディションでしたが、スコアだけはダメダメでした(T_T)

琴平CC(香川県)

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琴平CCを初ラウンド! OUT→IN! 1番ホールは左ドックレッグのロングホールでいきなり難易度高め。 OUTはトリッキーなホールの連続です。特に拙者の印象に残ったのは、4番ホール。 使用するティーグラウンドとグリーンによっても異なるのですが、拙者がラウンドした日は、池の手前のティーグランドで2打目も池越えになる非常に珍しいコースでした。 後から考えると多少距離が出る方なら完全ブラインドではありますが、1打目からグリーンを狙えるかもしれません。 INはショートからスタートです。池越えということもあり、血圧が上がり、アドレナリンが分泌されるように感じます。しかし、INはOUTに比べると、素直なコースだと感じました。 芝も青々としていてとても清潔感のあるコースという印象を受けました。

小豆島オリーブマラソン2015(その5)

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小豆島オリーブマラソン2015の参加賞はとっても豪華! 昆布の佃煮、素麺、マルキンの醤油という小豆島名物、さらには、オリーブオイルのハンドクリーム、タオル、そして、お弁当付き。 エイドステーションも約1kmごとにあり、さらに、完走証発行も行列無し。 帰りは臨時便のバスで土庄まで戻り、フェリーにて高松へ。 本当に印象のよい大会でした。 写真一枚目は参加賞、二枚目はわたしが個人的に購入したお土産でーす。

小豆島オリーブマラソン2015(その4)

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全体的な感想とお礼です。 給水所の皆様、本当にありがとうございました。みなさん一生懸命応援してくれました。沢山、飲み物やスポンジをいただき、助かりました。 1kmにだいたい1つは給水所があったので、水分が不足することはありませんでした。 太鼓で応援してくれた皆様、ありがとうございました。通り過ぎるごとに拍手とお礼でございます。 たぶん三時間近くボランティアや応援の皆さんはランナーをサポートして、励ましてくれていたのだと思います。重ねて、深謝です。 ゴール地点では、地元の中高生の皆さんがゴールテープを準備してくれたり、チップを回収してくれたり、また、ボランティアの皆さんが完走証を発行してくれたりと、本当に地元の方々がみんなで作り上げている大会だと感じました。 さらにさらに、ゴールのあとには、冷やし素麺まで食べ放題とお弁当の配布に感謝感激です。 素麺は小豆島名物だけに、とても美味でした! また、お弁当を配っていた地元の高校生らしき笑顔の女の子達にも大感謝! みーんな、笑顔で「頑張って!」、「お疲れ様」と声を掛けてくれました。 小豆島皆さまのハートを感じるマラソン大会でした。 最後に一言。 厳しい目標タイムを設定している選手の方々はさておき、そこそこのタイムの一般ランナーはエイドステーションで貰った紙コップやスポンジはゴミ箱に返してはどうでしょうか…。 みんなゴミ箱が置いてあるのに、平気で道端にポイポイ、ポイポイ捨てるのを見るのはあまりいい光景ではないですし、あとから拾っているボランティアの方々や消防士のお兄さん達を見るのが、忍びないです。 写真は素麺を振る舞っているテント周辺と素麺の写真です。

小豆島オリーブマラソン2015(その3)

岬の分教場にある第二折り返し地点辺りが概ね3分の2くらいに思えます。 言い忘れましたが、岬の分教場に向かう交差点を過ぎて少しすると、ハーフ部門だけが走るコースになりますので、1kmごとにハーフ部門用の距離表示が出現して助かりました。 ここから来た道を戻るのですが、あの3つの起伏をもう一度走るということで、特に上り坂では体力を温存するように心がけました。 残り5kmで1時間30分を少し過ぎており、2時間を切るのを少し諦めつつ、少しだけペースを上げてみました。 残り2km手前あたりからは平坦な道に戻り増しtが、それを越えて岬の分教場に向かう交差点まで戻り、坂手港に向けて右に曲がると、また、そこが上り坂です(T_T)ゲッゲー! 残り2kmでペースを上げていったのでこの上り坂は相当堪えましたです。最後の上り坂で歩いてしまう人が結構いました。 その坂を上りきると、ゴールに向かって下り坂になります。沿道のみなさんが「あと少し!」と応援してくれるのに背中を押して貰ってラストスパート! 参加賞の引き渡し場所を通り過ぎ、「そろそろゴールかな」と思いながら疾走しますが、いつまでたってもゴールは見えず、この道の先にゴールがあるのかと思いきや、右に曲がってグラウンドに入り、さらに右に曲がって、最初のスタート地点の護岸道路に戻って100m位走って漸くゴール!!! 予想外に長くなったラストスパートでかなり足に疲労が蓄積しました。 手許の時計では1時間59分40秒(^^)/ ギリギリですが2時間を切ることができました。 チップを外し、完走証を取りに行くと、残念ながらグロスタイム(2時間ちょい)しかなく、ネットタイムは記載されていませんでした。(T_T) まあ、自己満足の世界だからいっかな。

小豆島オリーブマラソン2015(その2)

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スタート後、坂手港を出ると、上り坂になり、草壁港に向かって走り、草壁港の手前に第一折り返し地点があります。 この辺は10km部門と同じコースを走るのですが、10km部門の距離表示しかないので、自分が何km走ったのかが確認しづらかったです。たぶん、10km部門のスタート位置が500mほど後方にあったので、第一折り返し地点は7km弱という感じでした。 そこから来た道を戻っていき、途中、岬の分教場へ行く交差点を右に曲がります。この交差点までは平坦な街中の道を駆け抜けます。道の両側には醤油屋さんが何件かあったのが印象的でした。 交差点を曲がって以降は海岸沿いのカーブと起伏が多いコースになります。カーブはいいですが、起伏が多いのは非常にきつかった(--;) 岬の分教場までに大きな起伏が3つあるので、復路と合わせれば、都合6回の起伏を通過することになります。  写真は岬の分教場へ向かう交差点を曲がって少し行った場所の眺望です。

小豆島オリーブマラソン2015(その1)

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2015年5月24日、小豆島オリーブマラソンに出場! 高松港から小豆島土庄港行きのフェリーに乗船し、7時20分に出発! マラソン大会参加割引で560円! 大会専用の坂手港行きフェリーの予約を忘れたので、定期便を選択。 定期便は、坂手港行き、草壁港行き、池田港行き、土庄港行きがありますが、会場から一番遠いながら、便数が多く、手頃な時刻に到着できる土庄港行きを選択。 高速艇もありますが、値段が少々お高いので止め。ちなみに、会場から近い草壁港行きの高速艇は乗船券販売場所に行列ができていました。 土庄港に8時20分に到着! フェリーターミナルから臨時バスが会場まで直通ででていました。料金は860円と結構高めでございます。無料送迎でもよいような気が…。 9時過ぎに坂手港のマラソン会場到着。 既にたくさんのランナーが集まっています。 バスを降りて、まず、参加賞などなど一式を券と引き替え、その後、トイレに行きたいと思いつつ、グラウンド内に設置された仮設テントの男子更衣室で着替え。 着替え後、もう一度更衣室近くの仮設トイレ(2基)に大行列ができていたので、他のトイレを探索。坂手港のバス待機場所にも仮設トイレが相当数ありましたが、こちらも大行列(-.-;) マラソン会場はスタート地点のトイレがどうしても不足します。 10時のハーフ部門スタートが迫り、スタート地点に選手が並びます。 5分前…1分前、30秒前とアナウンスがあったのですが、カウントダウンはなく、いきなりスタートの号砲が響きました。 拙者は2時間以上の所にポジショニングしていたので、号砲がなってしばらくしてからスタート地点を潜りました。

明日は二〇一五小豆島オリーブマラソン!

明日(五月二四日)は二〇一五小豆島オリーブマラソンです! 今回はハーフ部門にエントリーしています。 三年ぶりの大会出場ですのでは、目標は、完走という程度に設定しています。 オリーブマラソンは結構暑い時期に開催されるので、無理は禁物と考えています。 現在の天気は曇り、夜に向けて下り坂になる予報です。明朝には雨が上がることを祈っています。 あとは小豆島への交通手段が少し心配です。海を渡らないといけないので、フェリーや高速艇が満杯になって積み残されるのが心配です。 また、小豆島の港からマラソン会場までのバスについても少々心配です。 マラソン大会専用の臨時フェリーというのがあるのを知らなかったので、通常便で現地に向かうことになります。

生島 付録

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香川県生島ラン

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香川県の生島にある香川県営運動公園に行く用事があり、ついでと言っては何ですが、10kmを目標にラン。 運動公園の駐車場に車を停め、ランウェアに着替えて出発。 西側にあるテニスコートから、スタジアムを通り、サッカー・ラグビー場を一巡。 そこから場外に出て、北に向かうと、太陽光発電のパネルが多数に並んでいます。 そこから下笠井中学校に出て、運動公園に戻りましたが、それでは全く距離が足らず、公園内を追加でラン。 少し汗ばむ程度の気候で、ランには丁度良いですね。 春霞で瀬戸内海の多島海は霞んでいます。これも季節ならではの風情でございます。

「香南楽湯」のおまけ:冠櫻神社

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冠櫻神社です。

道の駅「香南楽湯」(その2)

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高松空港の少し北方あたりから、高松市内を眺めた風景です。 また、香南楽湯の外観です。

香南楽湯と周辺ラン

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最近、疲れが残るので、密かに自分だけの休日を取得しました。 トレーニングと湯治を兼ねて、道の駅「香南楽湯」まで自動車を走らせ、駐車場に車を止めて、高松空港方面へ出発しました。 ほんの一週間前までコートを着ていたのが嘘のような陽気です。春独特の花曇りではありますが、気温はおそらく20℃以上で、ランも半袖・短パンでも汗ばんできます。 周囲の景色は春爛漫の田園風景です。彼方此方にほぼ満開のソメイヨシノが咲き誇り、薄桃色の花弁が微風に舞っています。高松空港の北方は讃岐山脈の先端が讃岐平野に潜り込んでいく緩勾配の丘陵地帯で、緩い斜面の所々に黄色い菜の花が揺れています。 ランとしては緩いアップダウンが連続するので、所々、キツいところありますが、全体としてはトレーニングに丁度よいと思われます。 香南楽湯を出て、西に進路をとり、途中で進路を南に変え高松空港方面に向かいます。高松空港まではかなり距離があり、空港公園内にあるグラススキー場に着くまでに結構掛かりました。そこから進路を東にとり、高松空港行きの交差点で左に曲がって、アパホテルの横をとおり、冠櫻神社に参詣して、香南楽湯に戻ります。 冠櫻神社に初めて参詣いたしました。阿倍晴明に縁のある神社だそうですが、明瞭な所縁は不明です。冠櫻神社という名称から櫻が植えられているのかと思っていたのですが、境内に入っても櫻はございませんでした。 由緒は古く、貞観三年(西暦861年)とあり、智ショウ大師という方の建立とか。その後、室町時代の細川頼之や細川晴元が信仰して、領地を寄進したとされています。 10kmのランとなりました。 ラン後は香南楽湯に入湯しました。 大人料金630円です。 石の風呂と木の風呂があり、当日の男湯は石の風呂でした。おそらく、定期的に男湯と女湯を入れ替えるのだと思います。 石の風呂には、中心となる石湯、そして薬草やハーブが入った薬湯、立ったまま入る立湯、足を温める足湯、露天風呂の岩湯がありました。 石湯は熱めです。薬湯がぬるめで長時間入るにはとてもよい加減です。岩湯は小さな浴槽が上下に2つ設置されていますが、上側は使用中止になっていました。 香南楽湯のよい点は、休憩所がチケット売場の内側に設置されているので、入湯して温まったら、一度、服を着て、休憩所で一休み(寝そべるこ

京都太秦広隆寺

平成27年3月、京都へ旅行。 東映太秦映画村で遊んだ後、隣接している広隆寺に国宝弥勒菩薩半跏思惟像を拝見させていただきました。 弥勒菩薩半跏思惟像は広隆寺の霊宝殿(入館料大人700円)に他の数々の仏像とともに祀られております。 広隆寺は推古天皇11年(西暦603年)に建立された寺院で、別称としては太秦寺、蜂岡寺、秦公寺などと呼ばれていたそうです。 広隆寺の成立については、秦河勝が聖徳太子から仏像( 弥勒菩薩) を賜り、それを御本尊として建立したと言われています。 講堂は万延元年(西暦1165年)に建立された京洛最古の建物で、内部には中央に阿弥陀如来坐像(国宝)、地蔵菩薩坐像(重文)、虚空像菩薩坐像(重文)が祀られています。 そのほか、大秦明神などを祀った大秦殿、聖徳太子を祀った上宮王院太子殿、地蔵堂、薬師堂などがございます。 少し話題を変えて、弥勒菩薩は、須弥山の弥勒浄土と言われている兜卒天にて、菩薩の行をつとめ、諸天に説法し、御釈迦様に代わって全ての悩み、苦しみを救い、正しい道へと導く、慈悲の仏様です。 そして、半跏思惟像は「一切衆生をどのようにして救おうかと考えている」姿を現していると言われています。 それでは、霊宝殿にて 弥勒菩薩半跏思惟像を拝観させていただきます。 霊宝殿に入ると、まず、四天王(増上天、広目天、多聞天、持国天)のうち増上天が鎮座し、その横に、薬師如来と日光・月光菩薩を中心にして十二神将が並ばれているいます。そして、広目天が鎮座し、直角に折れると、諸仏がお並びになっている中心に 弥勒菩薩半跏思惟像が坐しておられます。 その対面には不空羂索観音立像、大日如来坐像、十一面千手観音立像が坐しています。 多数の仏像がございますが、拙者の感覚としては、 弥勒菩薩半跏思惟像の表情は時空を超越しており、何をどう悩んでいらっしゃるのかはわかりませんが、本当に悩んでいらっしゃるのだなぁとしみじみと感じさせるような、人々に感銘を与える何物かが存在しているように感じられます。 内部は撮影禁止ですので、弥勒菩薩半跏思惟像の表情をお伝えできません。是非、御拝観ください。写真とは違う立体感を体験して、様々な角度から弥勒菩薩半跏思惟像のお姿を御覧下さい。

シャンクが直ったような気が…

http://www.hm-golf.com/lesson/trouble_solve/shank.htm

クワイ芋のフライドポテト&唐揚げ

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実家で作ったクワイ芋がそこそこ大きく育ち、収穫できたので、ネットでクワイ芋の美味な食し方を調べてみると、一般的な煮物に加えて、ポテトチップスが出てきました。 ポテトチップスは油がたくさん必要で、かつ、油っぽいので、フライドポテトを作り、ついでに煮物にしたものを唐揚げしてみました。 ジャガイモのフライドポテトに近い食感ですが、ホクホクとした感覚はジャガイモよりも強く、味は程良い苦味があり、ジャガイモとは少し違う感じです。 材料は、 ○クワイ芋 ○醤油 ○日本酒 ○鰹節 くらいです。 クワイ芋は縁起物ですから、芽の部分を残して、出汁と醤油、日本酒で煮込みます。ここは、普通の煮物として作ればよいです。 これを、何も付けずに、180度くらいの油でからりと揚げると完成です。 ちなみに、フライドポテトは生のまま揚げれば、簡単に完成です。 KuniyasuTanaka拝

鳴門CCをラウンド

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今回は、楽天GORAの昼食付きの割引優待に当選した鳴門CCをラウンド。 少し鳴門市街から離れた場所にありますが、一般道からクラブハウスに向かう道路は右手に瀬戸内海から対面の淡路島が見えるオーシャンビューです。 IN→OUTでラウンド。 INは全体的に距離が短いものの、左右OBなど幅が狭いなど、トリッキーなコースが続きます。 拙者はNo13・15・16でOBをたたいてしまいました。 昼食は1,000円分の昼食券で対応。かきフライ定食やカツ丼などがありましたが、1200円のニンニク炒飯を注文。 午後のラウンド中、口の中にニンニクの香りが残る濃厚・美味な炒飯でした。 OUTはNo3を除くと全体的に距離があり、左右が広めの設定に感じました。特に、ティーショットの落とし所が比較的広く、1打目のストレスはINに比べると少な目に感じました。 No7で2打目をOB×2をしたこともありますが、グリーン周りはOBゾーンが多い印象です。このOBは当たりは良かったのですが、1つ目は左に、2つ目は右に若干曲がったためにぎりぎりOBという次回ラウンドにつながる感じでした。 写真はOUTから見えたオーシャンビューです。 2枚目は対岸の淡路島、3枚目はOUTNo9528ydのロングの景色です。 冬真っ只中のためかラウンドしている人がとても少なく、悠々と気楽にラウンドすることができました。 きれいなコースだと思うので、オンシーズンになると混むのではないかと思います。

東京ラン 2月4日 霞ヶ関・日比谷公園

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昨夜の夜ランに引き続き、芝公園から霞ヶ関・日比谷方面を朝ラン。 杉田玄白先生の墓所を発見。久遠山栄閑院という浄土宗寺院で、所在地は港区虎ノ門。江戸には色々とあるものだ。 官公庁の本省をみつつ、皇居方向に向かい、皇居のお堀を少し南へ走って、日比谷公園で進路を西へ。 日比谷公園の庭園を初めて眺めたと思いながら、日比谷公会堂を見つつ、芝公園方面へ。 それほどの距離ではないですが、まあ、ぼちぼち走ったという感じ。 写真は皇居お堀と日比谷公園。

1月7日 富士山

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平成27年正月7日、新幹線移動中。 車窓より富士山!

東京ランー青山・赤坂方面

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青山学院大学から赤坂離宮まで、青山は本当に広い! でも、青山通り沿線には歴史を感じさせる遺構などは見当たらなかった。 夜だったので、拙者が見つけられなかっただけかもしれないが…。 最後の高層ビルの写真は、何処か判らずに撮った。ずーと、目立っていたので、もし、ご存じの方がいれば、教えて下さい。