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8月, 2019の投稿を表示しています

陳建一さんの麻婆豆腐屋さん

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高松サンポート三階、陳建一さんの麻婆豆腐屋さん。麻婆豆腐セット大辛と餃子を注文。 辛うまーー! 激辛もあったよーですが、わたしには大辛で十分でした。 ライスは無料で大盛りにできるようですが、小食のわたしは普通サイズで十分でした。大盛りライスが運ばれていくのを見かけましたが、丼飯だったので、普通で十分です! 同伴者は中辛にて十分と話していました。 レディースセットはマンゴープリン付きです。

高知県立高知城歴史博物館企画展「星を見る人」

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高知県立高知城歴史博物館において、6月28日から9月2日まで企画展「星を見る人 〜日本と土佐の近世天文暦学」が開催中。 「星を見る人」という名称に惹かれて観覧料700円を払って入館しました。 パンフレットには、 江戸、大阪、京都、そして土佐。 遠くて近い日本の各地から星を見て、語らい、暦づくりに情熱を傾けた科学者達の物語。 とあり、展示室には、改暦事業を成し遂げた渋川春海、その愛弟子で土佐南学者の谷川泰山(重遠)を中心に資料や書簡が展示されています。代表的なものとしては春海・昔尹父子自筆本「貞享暦」が展示されていました。 また、川谷薊山作の蒔絵地球儀、国友一貫斎作の反射望遠鏡、イギリス製反射望遠鏡、ドイツ製屈折望遠鏡、からくり人形、天球儀などが展示されています。 当時の暦作りは公家土御門家の専業だったのですが、その暦で予測できない日食や月食を、新たな暦で予測して言い当てることは暦を発達させていく上で、非常に重要なことであるということを認識することができました。 また、その研究に情熱を燃やす人が江戸時代にたくさんいたということを知りました。

家庭菜園 令和1年8月11日

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8月11日の家庭菜園の状況写真です。 下書きにしたまま投稿を忘れていたので、どのような状態だったか、忘れてしまいました。 まずは、トマト。  バジルと大葉。バジルは最初は心配だったのですが、夏本番で元気に成長しています。 大豆だったかと ニラはどんどん茂ってきます。料理に役立ちます。 レモン、葉が黒く変色しています。すす病か? 茄子です。 もう1本のトマトです。 大豆と茄子です。 茄子が実っています。 ゴーヤです。 ゴーヤの実もできています。ゴーヤチャンプルですね。 ミョウガです。地面の上にできている白い花の下に食べるところがあります。 無花果が伸び放題に伸びています。 実もたくさんついています。熟するのを待ちます。

高知県檮原町散策②

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旧掛橋和泉宅。 掛橋和泉は梼原町の神職だったそうで、同志とともに土佐藩を脱藩すべく資金などの用意をしている途中で義母に問い詰められて、嘘を突き通せず、最後は先祖の墓地に赴いて自害した方だそうです。 司馬先生の街道をゆくには、梼原が伊予國との国境にあって、いくつかの関所があったが、関所番のほとんどが梼原の郷士で、吉村虎太郎などの志士と気脈を通じており、脱藩者を見ても、見ぬふりをしたとあります。 土佐國幡多郡にあって、夏の湿度の高い曇天や冬の凍えるような寒天を見上げながら、心を透明にして、脱藩の道を行く志士の無事を祈りながら見送っていたのでしょう。 案内板で紹介されているのは、家主だった掛橋和泉殿と吉村虎太郎殿でございます。 吉村虎太郎は天誅組を組織して、大和國を制圧しましたが、幕府軍に包囲されて、吉野の鷲家(ワシカ)口で戦死します。 じっくりと掛橋和泉亭を拝見します。  那須俊平・信吾父子です。信吾は養子です。  信吾は土佐藩参政の吉田東洋を暗殺して、脱藩ですね。東洋暗殺を指示したのは、土佐勤王党の盟主武市半平太と言われていますが、おそらく事実なのでしょう。  父俊平は梼原の槍術家で、五十歳を過ぎて、脱藩し、長州に身を寄せて、最後は蛤御門の変で討死しました。槍術の腕は相当だったといわれていますが、蛤御門の変は近代兵器が導入されつつある中で、槍一本の働きでは軍功を立てることはなかなか難しかったと想像します。  話題を戻して、養子信吾は身の丈六尺に近く、健脚ぶりは馬以上で、梼原から高知城下までの約40キロの山道を、普通1泊して2日かけて行くところを、1日で往来していたということです。  信吾は、虎太郎とともに鷲家口で討死しました。  掛橋家の囲炉裏の再現です。  確かに何か密談の雰囲気を感じさせます。 わら馬と言うそうです。お盆に茄子やきゅうりで作る人形と同じような気持ちがこもっているのでしょうか。

高知よさこい前夜祭 花火大会

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高知よさこい祭り前夜祭の花火大会にて撮影。 一眼レフで初めて花火を撮影しましたが、美しい花火の写真は簡単ではないことがよくわかりました。 これからの勉強のために、下手くそな写真を残しておきます。