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6時間リレーマラソン香川大会−RUNNETからのE-mial−

 先日、国営讃岐まんのう公園にてまんのうリレーマラソンが開催されました。  1日目の2013/01/13は比較的天候にも恵まれ、コンディションも良かったみたいですが、2日目の013/01/14はうっすらと雪が積もっていて、雨も降るなど、日本列島の大平洋側を通過した爆弾低気圧の影響でランには良好とは言い難いコンディションでした。  毎年、まんのうリレーマラソンの開催日は猛烈に寒くなるのですが、今年は雨と雪に見舞われ不運でした。雨天のリレーマラソンは着替えがたくさん要りますし、タオルも要るし、何よりも出番と出番の間の待ち時間が寒いですよね。  そんな中、RUNNETから「6時間リレーマラソン香川大会」のE-mailが届きました。  開催は2013/03/03、場所は丸亀陸上競技場でございます。  ちなみに、丸亀陸上競技場は、有名な丸亀国際ハーフマラソンのスタートとゴールになっている競技場です。  この競技場の1kmのトラックを10人までのチームで6時間走り続けて距離を競うそうです。  6時間走り続けるというのは逆にペース配分が難しそうですね。  興味はありますが、今回は回避かなぁ。  家族で気軽に出場できる制限時間が少し長めのリレーマラソンがないですかねぇ…?

au smart sportsがリフレッシュ

このたびau smart sportsが大幅にリフレッシュされました。 拙者にとってとても嬉しかったのは、JOGNOTEがプロデュースしたの、JOGNOTEで今まで貯めてきたデータをそのまま移行できたこと♪ 最高ー(^^)d でも、グラフのバリエーションやデータの閲覧などの機能は使い慣れているせいもあるのか、元祖JOGNOTEが数枚上手な感じはします。 でも、au run &walkからtwitterを通じたJOGNOTEへのデータ連携の必要がなくなったので、ひと手間省けるようになったのは助かります。 土曜日は15km、日曜日は所用で走れませんでしたが、本日月曜日は16kmと順調に距離を伸ばしています。来週は20kmに挑戦するつもりです。 もしよかったらau smart sportsを試してみてください。

この外郎(ういろう)は誠に美味!−おほげつ in 山口県−

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山口県のお土産に、美祢から長門に向かう国道316号線沿い、道の駅於福の少し北に行った所に、「おほげつ」という名前の外郎(ういろう)屋さんがございます。 写真一枚目が店舗の外観です。 山口県の外郎はとても有名ですが、その中でも、ここ「おほげつ」の外郎は逸品だと拙者は思います。\(^^)/ 恐らく、こだわり抜いた素材を使用し、保存料は一切使わず、一つ一つを丁寧に作り上げていっている、そういう印象を受ける一品です。(^^)d ただ、保存料無添加ということで、賞味期限が製造後数日しかなく、渡すまでの時間が長いお土産には少し不向きかも…。(-_-) しかし、この外郎は経験の価値ありだと思います。 山口県に行くときには少し遠回りしてでも、立ち寄ることをお勧めします。たとえば、湯田温泉から萩に向かうときに於福を通るとか、下関から萩に向かうときに少し遠回りになりますが、於福を経由するなどですね(^^)d ちなみに、御店に入ると、お茶と試食を出してくれますので、ぜひ、品定めしてください。 また、「時じくよもぎ」という求肥らしき和菓子も美味、美味、とても美味。(^^ゞ 求肥の食感と、胡桃だと思われる木の実の歯触りがとてもよく合っています。(⌒0⌒)/~~ 写真二枚目は、外郎とよもぎ外郎、そして、緑色の袋が時じくよもぎでございます。

950(1571)_==元亀2年==【旧版】

>_<あくまでも司空流の「こうかも」年表ですので、誤りがあっても司空は一切の責任はとりません。>_< >_<ご利用に際しては、解説・注意をご確認の上、各人で十分に史実をご確認ください>_<  元亀2年(1571)?月、清水景治(清水宗治の嫡子)が生まれる。  元亀2年(1571)2月7日、尼子家臣平野基久、伯耆国尾高城下の浄満原に夜襲をかけるが、尾高城主杉原盛重、尼子勢を城外に打ち破り、平野基久が討死。  元亀2月2月中旬、山中鹿之助、平野基久の弔い合戦のため尾高城(守将杉原盛重)を攻めるが、返り討ちにあい、尼子勢の馬田慶篤が討死。  元亀2年2月、浅井氏の属城佐和山城は元亀1年6月以来の籠城に耐えかね、城主磯野員昌は開城し、攻撃側の丹羽長秀と人質を交換し、高島に退きのく。織田信長は、磯野員昌の降を入れ、近江高島郡を与える。  元亀2年2月、織田信長が丹羽長秀に近江国佐和山城を与える。  元亀2年2月、足利義昭が参内。この際,辻固めに伊丹勝興が三千ばかりを率いて上京。供奉は細川藤賢・細川藤孝・伊勢三郎・飯川弥四郎・真木島孫六・安威兵部少輔・後藤治部少輔・沼田弥四郎・沼田弥七郎,奉行は諏訪時長・飯尾昭連。  元亀2年2月30日、織田信長,岐阜から入京して,明智光秀の陣を宿所とする。  元亀2年3月1日、織田信長,禁裏へ伺候。禁裏の修繕の作事を見て回る。  元亀2年3月16日、三好義継・松永久秀,織田信長を見舞う。申し次は村井貞勝。  元亀2年3月19日、高瀬城主米原綱寛、毛利勢に寝返った野村士悦を頼って開城。これにより吉川元春、高瀬城を攻略。城将米原綱寛は新山城に送られる。高瀬城は長い籠城で兵糧が底を尽きた。  元亀2年4月29日、尼子勢は新山城の包囲網を崩そうと、羽倉山城を攻撃したが、失敗。  元亀2年6月上旬、尼子方の隠岐弾正忠、毛利勢に寝返る。これで隠岐からも尼子方の勢力が消滅。  元亀2年6月14日、毛利元就逝去。享年75歳。吉川元春はこの報を高瀬城で聞く。吉川元春は元就17日の孝養に尼子勝久に味方する大山の教悟院を討伐すると宣言し出兵。  元亀2年6月16日、織田信長、明智光秀に宛てて、榎並(大阪府守口市)は三好為三の本知であるからそれを与えたく、前に為三に与えた伊丹近所の領

磁場の井戸:第二章 舞台(二)/長編歴史小説

 この日、高松城の周囲は平静を保ったまま、静かに終わろうとしていた。太陽が中点を過ぎてから、既に何刻が経っただろう。西の空に浮かぶ陽光が鮮やかな黄金色の輝きに赤みを加え始める刻限だった。 「殿。」 書院の前庭に置かれた小童が蹲ったくらいの大きさの石の側に、小さな体をさらに小さく曲げて跪く影が声を発した。農夫姿の七郎次郎の影だった。 「織田勢が宮地山城に攻め掛かりました。」 七郎次郎は静かな口調とは裏腹に、興奮して紅潮した顔を宗治に向けて言った。宗治は表情を引き締め、赤らんだ七郎次郎の顔面を見つめ返した。宮地山の戦況を見届けた後、高松城までの山間の間道を全速力で韋駄天のように駆け戻り、すぐに宗治の所に訪れた七郎次郎は顔中の汗腺から水分を吹き出し、その着衣は彼の小さな体には重たげに見えるほど、ずっしりと水分を含んでいた。 「で、敵勢は。」 「先鋒は宇喜多勢八千。初戦とばかりに勢い込んで攻めております。」 「城の様子はいかがじゃ。」 「遠目でしかと見えませんが、門を堅く閉じ、押し寄せる敵勢に城壁から矢玉を馳走しております。」 「分かった。急ぎ宮地山に戻り、引き続き戦の様子を探ってくれ。」 「御意。」 七郎次郎は宗治に一礼すると、再び宮地山に向かうべく、背を向けて駆け出していた。  七郎次郎は城を囲む沼沢の灌木の間をすり抜けるようにして疾駆した。地面は乾き、沼沢特有の細粒分の多い土の表面が、乾燥のために亀甲状のひび割れに覆われていた。薄暮の中で、七郎次郎の足が地面を蹴るごとに灰神楽の如く、白く薄い粉が舞った。七郎次郎の身体から流れる汗が、乾いた地面に点々と跡を描いた。七郎次郎は流れる汗を拭うことも忘れ、走り続けた。乾いた大地を蹴りながら、七郎次郎は、宗治を包む空気がさらに変化していることを感じていた。  その変化を心の中で言葉にできるだけの表現力を七郎次郎は持っていなかった。ただ、漠然と三原城を訪れて以来の宗治の微妙な変化を心の眼で感じていた。 それは、闘い、そして、勝利するという武将としての覇気が、美しい死という清澄なまでの信念に昇華していくときにその人間の纏う空気が色を失い、透明になっていく過程だった。その変化を感じ取るためには、その人間との深い紐帯に加えて、自分もその空気を纏わなければならない。でなければ、自らの空気が発する色彩が心の視界