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山の幸 平成31年4月8日

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タラの芽と蕨(わらび)を入手。 単身赴任生活ながら、天ぷら粉を購入して、タラの芽を揚げました。 季節感満載の夕食です。 蕨は灰汁抜きのため、何度か茹でこぼして、一晩冷ましました。翌朝、玉子とじにして、食べました。 こちらも歯ごたえがあって美味でした。 春ならではの山の幸です。

家庭菜園 平成31年4月19日

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早生の玉ねぎの葉が八割がた倒れ、収穫時期になりました。昨年は超早生の栽培に失敗しましたが、今年の早生は玉も大きく成長し、大成功。 玉ねぎは抜いてから畑で一週間ほど乾燥させると、甘味が増すようなのですが、週間天気予報では週の半ばに雨ということだったので、土日で天日乾燥したあと、玄関の軒下に移動して、乾燥させることにしました。 一週間後に新玉ねぎとして食しましたが、苦味が少なく、甘味があって、サラダなどに最適です。 ニンニクは順調に成育し、そろそろ花目が出てくる時期になりました。 スナップえんどうは、白い花がたくさん咲いているので、そのうち豆ができそうです。 イチゴはあまり手入れをしなかったのですが、元気に育っています。白い花が咲き始めたので、筆を使って受粉しました。 レモンの新芽がたくさん出ていました。 レモンは毎年アゲハチョウの幼虫などに葉を食い荒らされていたので、今年も要注意です。

峡の劔:第十三章 よしの(5)

 翌朝、朝陽が山の端を離れた頃、信貴山に出張っていた弥蔵が夜駆けして大原に戻った。 「宮内卿法印が信貴山城に赴き、久秀に翻意を促しましたが、久秀は拒否しました。」  宮内卿法印、名を松井友閑といい、堺商人出身の著名な茶人で、織田政権の中枢にあって堺奉行を務める。茶の湯を通じて久秀と懇意にしている友閑の説得を以てしても、久秀の決意は崩れなかった。  友閑の報告を受けた信長は、すぐさま、嫡男信忠を総大将に任命して兵一万を預け、岐阜を進発させるとともに、天王寺砦に滞陣中の明智光秀や細川藤孝などに信貴山城への転戦を命じた。信貴山城周辺には織田の軍勢が参集しつつあり、総大将信忠と主力の到着を待っている。 「藤佐らしき武士が信貴山城に入ったそうです。」  弥蔵が次の話題に移る。 「藤佐という悪党とはよくよく因縁があるようだな。」  清太は苦笑したあと、平次郎とよしのに関する昨日の出来事を、弥蔵に説明する。 「偶然とはいえ、若様が伏見でよしのを救ったことから始まった繋がりがこのように広がるとは思ってもみませんでした。」  弥蔵は様々な経験の中で、大成する人物が不思議なほどに奇縁良縁に恵まれる場面を幾度も自分の目で見てきた。あるいは、逆に、天に縁(えにし)を恵与された者が大成するということかもしれない。いずれにしても、清太を中心にした縁の広がりに沁々と感じ入る。 「序章は、伏見でよしのを救ったことではなく、御劔からかもしれぬな。」  清太が天象を予測する時に見せる茫洋とした表情で呟いた。  翌日の昼過ぎ、近江長浜から飛脚装束の伝輔が大原を訪れる。  伝輔は離れ屋から出てきた清太を見て、安堵の表情を浮かべ、時間を惜しむように、 「重治様をはじめ羽柴家の重臣方が隠密で播磨に下向することとなりました。出立は明日。重治様が清太殿に播磨までの先導を依頼したいとのこと。子細は道中にてお話するそうですので、急なことではございますが、明日の夕刻、大津で重治様一行と合流いただきたい。」 と、その場で清太に切り出した。 「承知した。」  清太に是非はない。  伝輔は復命のため、休息を取ることなく、長浜への帰路につく。  翌朝、鍛練を終えた清太は、普段と変わらず井戸端で洗濯をしているよしのに、 「今日、大原を発ちます。」 と、ことさらに明るい口調で告げる。

峡の劔:第十三章 よしの(4)

 清太は平次郎の真正面に立ち、杖から剣を抜き、背筋を伸ばして、剣を持つ右腕と杖を持つ左腕を胸の前で交差させる。剣と杖は清太の頸部を左右から挟むような位置にあり、先端は斜め後方、やや上方を指す。  平次郎は清太の意図を察して、何も問わずに、木太刀を中段に構える。 「わたしの家系に代々相伝される剣技です。」  清太は言い終えると同時に、両腕を交差させたまま、前傾姿勢を取って、平次郎との距離を一気に詰め、右腕の剣を斜め後方から一閃させる。平次郎は上体を反らせつつ、木太刀を握る両拳を僅かに下げて、清太の斬撃を避ける。清太は剣を振り抜いた勢いで回転して、左手の杖で横殴りの打撃を繰り出し、さらに、残った回転力で回し蹴りを入れたと思うと、再び右手の剣を袈裟懸けに斜め上方から振り下ろす。清太の流れるような連続技は、平次郎に反撃の機会を与えない。清太はさらに突き、正面からの蹴りなどを交えて、平次郎を攻める。  ここまで木太刀を構えたまま、間合いを見切ることだけで清太の攻めをかわしてきた平次郎が、清太の鋭い刺突に差し込まれて距離を取る。その瞬間を逃さず、清太が鶴が羽ばたくように両腕を広げて跳躍し、平次郎の頭上から剣と杖を同時に振り下ろす。平次郎は右に身体を捻って杖を避けるが、剣をかわしきれず、反射的に木太刀を頭上にかざして、受け止めた。  清太が大きく後方に跳び、剣を杖に収めて、 「失礼しました。」 と頭を下げた。 「様々な兵法を見てきたが、今のような体術は初めてだ。特に最後の太刀筋は必殺の剣。但し、相殺の剣と見た。」  清太が頷く。  平次郎は、この立ち会いで清太が妖術を知っていること、そして、常人を超越した身体能力を持っていること、双方の理由を得心した。そして、秘伝の剣技を披露することによって無言でそれを語った清太に対して、 ―自分もその世界を知っている。 という意味の言葉を告げた。  平次郎の住む兵法の世界には大名や群衆を前にした試合など華々しい世界がある反面、 ―勝利のため、流派繁栄のためには、手段を選ばぬ。 という、赤黒い血塗られた一面がある。その目的を達成するため、多くの兵法者達が世間の表裏の境界を往来する。そして、藤佐のように最終的に兵法を究めることができなかった人間が身に付けた武芸を持ったまま、裏世間へと堕ちていくことも少なくない。また、霊

峡の劔:第十三章 よしの(3)

 その朝、清太は奈良へ発つ亥介を見送ったあと、弥蔵を大原に残して洛中へと向かう。  平次郎が数日前に大原の嘉平屋敷を訪れ、自分の居場所とともに、 ―当分の間、京に滞在するので、清太殿がここに立ち寄ることがあれば、訪ねて貰いたい。 という伝言を残していた。  清太は、平次郎が示した洛中の材木商を訪ねたものの、平次郎は生憎外出中で、いつ戻るかさえ分からないと言う。  清太は得るところなく大原へ戻らざるを得なかった。しかし、 ―折角の洛中だ。見聞を広げておこう。 と気を取り直し、道行く人々に場所を尋ねながら、祇園社や知恩院、南禅寺、慈照寺など著名な寺社仏閣を巡り、大原に戻った。  その日の夕餉は、嘉平夫妻・治平夫妻ともに近隣の寄合があり、よしのが給仕役して清太と弥蔵の三人で取ることになった。少人数ということもあり、昨日とは打って変わって清太もよしのも明るく会話を弾ませる。  二人は、今朝の出来事を弥蔵に気付かれぬよう、昨日までと変わらぬ態度を装っている。  清太は、よしのが片付けを始めたところを見計らい、よしのに声を掛けて、懐から小さな包みを取り出す。 「洛中のお土産です。匂袋は於彩さん、於妙さん、そして、よしのさんに、そして、この櫛はよしのさんが使って下さい。」  よしのが頬を僅かに染めて小さな笑顔を浮かべ、清太から櫛と三つの匂袋を白い両手で大事そうに受け取る。  その夜、布団に入った清太に隣室で寝ている弥蔵が、 「若様、よしのさんと何かございましたか。」 と、単刀直入に尋ねる。  清太は、一瞬、身体を固くしたが、すぐに平静を取り戻し、灯火の消えた暗い天上を見つめながら、抑揚を付けずに弥蔵に答える。 「特段何もない。どうかしたのか。」  弥蔵が小さな咳払いを入れる。 「朝餉の折に若様とよしのさんの様子を見た於妙さんが「二人の様子が昨日までと少し違うように感じます。」と言っていました。女衆のこういう勘はなかなか侮れませぬ。先刻の夕食の様子を見ていると、わたくしも二人の雰囲気が昨日とは違うような気がしたもので…。」 ―於妙さんの入れ知恵か。  清太は女性特有と言っていい鋭い感性に内心驚きつつ、井戸端での出来事を見られていた訳ではないことを知って安堵する。 「於妙さんの思い違いだろう。弥蔵は心配性ゆえ、於妙さんの話を聞いてわたしとよ

峡の劔:第十三章 よしの(2)

 翌薄明、日課の鍛錬を終えた清太は汗を流すため、屋敷の裏にある井戸へ向かう。  井戸端で小さく動く気配がある。清太は鼓動の高鳴りを感じて、立ち止まり、気配に背を向けて、再び杖を振り始める。  幾ばくかの時間が経過する。  井戸端で屈んでいるよしのの小さな気配が止まる。  暫くすると、早朝の爽やかな空気とは不釣り合いなすすり泣きが静寂に小さく響く。清太は素振りを止め、惹き寄せられるようによしのに歩み寄る。清太はよしのの直ぐ背後で立ち止まったが、よしのは振り返ることなく、すすり泣きながら、再び洗濯の手を動かし始める。  清太は、屈んだまま洗濯を続けるよしのに、 「よしのさん、どうされましたか。」 と、優しく声を掛ける。よしのは唇を閉ざしたまま、清太の視線から逃れるように顔をそむける。 「どうしたのですか。」  清太がもう一度よしのの顔を覗く。よしのが身体ごと向きを変える。 「よしのさん。」  清太が強い口調になって、よしのの肩に手を添え、やや強引に彼女を身体ごと自分の方に向かせようとする。よしのは清太の力に抗えず、しかし、表情を見せまいと俯き、嗚咽を漏らすまいと肩を震わせながら、自分の肩に置かれた清太の掌を払い除ける。  沈黙が流れる。 「清太さまに…。」  よしのの頬を涙が伝う。 「お声を掛けていただけませぬ。」  清太が動揺する。 「皆と楽しく話していたので、話し掛けなかった。」 「宜しいのです。わたしのことなど気になされていないのでしょう。」  よしのが清太の胸を両手で押し返して、離れようとする。 「そんなはずはない。ただ、話し掛ける機会がなかっただけだ。」 「記憶もなく、素性も分からぬわたくしなどに清太さまがお声を掛けて下さらないのは、仕方がないことでございます。」 「何を訳の分からぬことを言っているのだ。」  よしのが清太を見つめ返した瞬間、清太はよしのの両腕を掴んで、強引に抱きしめた。よしのの全身から力が抜け、崩れるように清太の胸に顔を埋める。無言ではあったが、肌と体温を通じて初めて素直な感情を交わした二人は、小鳥達が美しく囀ずる中で、暫くの間、静かに抱き合っていた。

高知県香美市 鏡野公園 桜の名所

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平成31年4月7日(日)、高知県有数の桜の名所と称される香美市にある鏡野公園を訪問。  日本さくら名所百選にも選ばれています。  前週に立ち寄った家地川桜祭りでは、左岸河畔沿いに植えられた桜並木が満開だったこともあり、1週間後のこの日に、四万十川水系から見ると、一〇〇㌔ばかり東方に位置しているとは言え、鏡野公園の桜が残っているかという点に多少の不安はありました。  ちなみに、地元住民の隠れた名所と呼ばれるような場所に行ってみたかったので、高知市内在住の方々に色々と聞いたみのたですが、「やっぱり高知城かな」という返事が多く、結局、インターネットに流布されている情報に頼って「鏡野公園」を探し当てました。  当日、高知市内で高知的なモーニングを食べて、9時過ぎに鏡野公園に到着。  高知市のモーニングは豪華であることで、非常に有名で、知る人ぞ知るという隠れた名物です。勤め人の中には、通勤途上の喫茶店で寄り道して、モーニングを取って、会社に行く人も多いようです。  話題を鏡野公園に戻します。  到着時間が9時過ぎと早めだったこともあり、駐車場はまだまだ空いていました。  公園としては、大規模ではないのですが、公園に隣接している高知工科大学とともに、多数の桜が植樹されており、公園全体が淡いピンク色に包まれています。ちょうど、満開を越えた時期だったので、春の微風に枝が揺れるたびに、花吹雪が待っていました。  鏡野公園と高知工科大学の敷地境界のたっぷりとした道幅の両側が桜並木になって、一直線の通り抜けを形成しています。通路には縦断方向に多少の勾配がついており、一方の高い側から低い方を見下ろすと、桜並木のトンネルに道の先が消えていくような景色を味わうことができます。  数件の屋台が出ていました。  ほとんどの屋台は桜並木の風景を邪魔せぬよう、控えめな場所で商売をされており、お弁当を広げているお花見客も桜並木ではなく、その横にある鏡野公園内で桜を楽しんでおり、この桜並木が共有物であるという意識を感じます。  10時過ぎまで桜の樹下を散策しました。  駐車場に戻ってみると、ほぼ満車状態になっていました。県外ナンバーは少ないように感じましたが、定量的に調べた訳ではなく、単なるわたしの感覚ですので、当てにしないでください。  さても美しきかな鏡

峡の劔:第十三章 よしの(1)

 清太と弥蔵は大原に戻って、嘉平屋敷の離れ屋に入り、播磨を出立する際に大原への参集を命じておいた亥介を交えて、膝詰めで議論する。  清太は、依然として続く神社仏閣からの刀剣の盗難について、重治から聞いた七星剣の伝説も交えて一つの仮説を立てる。 「自らの実力を過信する謙信が七星剣の霊力を求めて軒猿などに寺社の宝剣を偸盗させるということは考え難い。筋書きとしては、義昭や久秀などが謙信に取り入るために七星剣を集めていると考える方が正鵠を射ているように思えるが、皆の考えはどうだ。」  清太が意見を求める。亥介が議論の視野を広げるために捕捉する。 「重治様の言うとおり、顕如やその周囲が霊力を求めるということはなさそうですが、本願寺に所縁がある者が藁にも縋る思いで七星剣を集めている可能性もないとは言い切れませぬ。」  嘉平に拠れば、近頃、京近辺では金目当ての小悪党達が手当たり次第に様々な刀剣を盗んでいるらしい。また、亥介と総馬が信貴山城監視の合間に奈良の幾つかの神社仏閣を探ったところでも、近頃の盗人達に四天王寺で出会ったような凄腕の術者は存在せず、単に生活や金に困窮した素人が盗みを働いているだけで、それらの多くは警備の網に掛かって処罰されていた。 「刀剣収集の元締めが必死になっているということかもしれぬ。今までの話を頭の片隅において引き続き情報を集め、一歩ずつでも御劔に近付いていくしかあるまい。」  清太が一呼吸をおいて続ける。 「兎吉の手掛かりは掴めたか。」  亥介が視線を落として、 「杳として知れませぬ。」 と呟いた時、離れ屋に気配が近づく。 「もうすぐ夕餉が整います。」  三人は於彩の声で議論を仕舞い、母屋へ向かう。囲炉裏部屋の隣にある土間仕立ての台所で於彩と於妙、そして、よしのが夕餉の支度に追われている。その姿が清太の座っている場所から垣間見える。 ―よしのの記憶は僅かでも戻っただろうか…。  清太は、きびきびと働くよしのをぼんやりと眺めている。  主客全員が囲炉裏を囲み、賑やかな夕餉が始まる。話好きの嘉平を中心に畿内で起こった事件・出来事などの雑談に花が咲く。会話の輪に入らず、控え目な微笑を浮かべて聞いているだけのよしのに弥蔵が声を掛ける。 「大原には慣れましたか。」  よしのが弥蔵に向かって明るい笑顔で頷く。これを呼び水にしてよし

峡の劔:第十二章 毘沙門天(2)

 夕刻、屋敷の一室で、清太と弥蔵が重治と対面する形で夕餉を取る。  重治が箸を進めながら、二人に切り出す。 「七星剣という呼称を聞いたことはあるか。」  重治は心の奥底に沈澱していた記憶を掘り起こしながら語る。 「私が清太と同じ年頃のことだ。奈良の古刹に所縁があると言う旅の老法師が菩提山城下に逗留したことがあった。諧謔や古(いにしえ)の伝説を交えながら青空の下で法話する老法師は城下で話題になり、わたしも老法師の説法を聞くため、何度か城下に足を運んだ。その雑話の中に七星剣と呼ばれる霊剣の伝説があった。」  清太と弥蔵が箸を止めて、聞き入る。 「この国には鎮護国家、破邪顕正を司る幾振りかの霊剣が伝承されているそうだ。邇邇芸命(ににぎのみこと)が天孫降臨の際に天照大神に授かったと伝えられる神剣「天叢雲剣」もその一つだ。」  重治曰く、老法師によれば、天叢雲剣とは別に天皇家には二振一対の「陰陽剣」と称される鎮護国家の霊剣が伝承されていたという。「陰陽剣」は聖徳天皇の御代まで奈良正倉院に収納されていたが、その後、いつの頃か、剣そのものとともに、この国の正式な記録からも消滅した。しかし、「陰陽剣」は今でも何人(なんびと)も知らぬ場所でこの国を鎮護していると言う。 「真偽はわからぬぞ。」  重治は念押しした上で、続ける。  この鎮護国家を司る「陰陽剣」に相対する破邪顕正の覇剣として、 ―七星剣。 と名付けられた七振の霊剣があり、こちらも正倉院に納められていたと伝えられる。七星剣は、称徳帝の御世に正倉院に納められていた数多の宝剣とともに、「藤原仲麻呂の乱」を鎮圧するために出陣した当時の官軍称徳帝側の将兵によって単なる武器として持ち出され、仲麻呂の乱が鎮圧されたあとも、正倉院から持ち出されたまま他の刀剣とともに消息を絶った。 「御劔の刀身には大小七つの澄鉄(すみがね)が浮かんでいます。」  清太が、峡衆のみの知る御劔の特徴を、説明する。 ―七星剣の中の一振りが紆余曲折を経て平氏に渡り、さらに、阿波の秘境で静かに眠っていたのかかもしれない。  重治は自身で語りながら、歴史の織りなす不思議な奇縁に酒分の高い液体を飲んだような眩きを覚える。 「その覇者の剣を、今、誰が欲しているか。」  重治は自分自身に問い掛けるように、また、清太と弥蔵に問答を仕掛けるよ

峡の劔:第十一章 毘沙門天(1)

第十二章 毘沙門天 ―羽柴秀吉が柴田勝家の戦術に異を唱えた揚げ句、北陸の戦場を無断で離脱した。  清太と弥蔵は、摂津から越前への道中、そんな噂を聞き、将兵達の時ならぬ帰還に不思議な活況を呈する長浜城下に立ち寄り、竹中屋敷の門を叩く。  案の定、重治は屋敷に居た。  重治には、先行した伝輔が播磨、そして、山陽道の情勢を伝えているはずであり、清太と弥蔵は詳細な報告を割愛し、重治の問いに回答することに重点を置いて会話を進める。特に、黒田孝高の情勢分析と人物評について、重治は多くの時間を割いて質疑した。  播磨周辺に関する一通りの会話が終わると、重治が話題を変える。 「筑前殿に北陸の戦陣から速やかに撤収するよう進言してはいたが、このような形で近江長浜に帰還するとは予想していなかった。」  独言のように呟く重治の表情には苦笑が浮かぶ。  北陸の戦陣にあった秀吉の胸中に、 ―勝家が主張する野戦では謙信に勝てるはずがない。 という重く積もった想いが、 ―北陸の戦場で手柄を挙げても、恩賞は勝家達北陸諸将のものでしかない。 という秀吉の感情の奥底に沈んでいた鬱屈と反応して、 ―北陸の戦陣から退去するしかない。 という衝動を励起した。その過程において、秀吉の深層心理の中に潜在している、 ―信長様は自分の考えを理解して下さる。 という甘えが触媒として作用していたのかもしれない。しかし、 「秀吉、無断退去。」 の一報を受けた信長は、周囲から見れば当然の反応として激怒し、安土城から遠くない近江長浜に帰還した秀吉に目通りさえも許さなかった。  信長の思考方法を読み違えた秀吉は、予想とは全く異なる方向に推移していく状況の中で、 ―信長様から見れば、自分の行為は久秀の天王寺砦退去と同質である。 ということに気付いた。 ―信長あっての羽柴筑前守秀吉。 ということを骨髄に沁みると言っていいほど認識している秀吉は事態の収拾を図るべく、信長とその近辺に着実に手を打つ。  重治は信長の対応を秀吉に任せて、次なる飛躍の舞台になるはずの播磨で、北陸戦線の大敗北により生じるであろう衝撃の伝搬とそれに伴う擾乱を極小化する施策を煮詰めている。  重治の指示を待つ清太に対して、重治は、 ―思案が定まらない。 という面持ちのまま、 「次の一手まで大原で待って貰おう