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9月, 2014の投稿を表示しています

道後温泉と松山城一周ラン

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久しぶりに道後温泉に宿泊しました。 夕刻、道後温泉本館には少し行列ができていました。相変わらずの人気ぶりです。 今回は時間的に少し余裕があったので、念願の松山市内ランです。 道後温泉を出発し、松山城の城山の麓、北側を東西に走る平和通を駆け抜け、松山城のお堀端、三の丸公園を抜け、県庁前、大街道を抜けて、帰還するルートです。 色々な先入観があるためかもしれませんが、道行く老若男女、建物、街路樹などなど、何となく文化の芳香と気品が感じられます。 道後温泉は本当に名湯だと思います。 極僅かに青みがかった透明度の高いお湯に浸かると、全身が引き締まるとともに、肌にも張りが出て、温泉水そのものさえも弾くような感覚がしています。 松山市が誇る観光資源です。 写真は、道後公園湯築城跡、市内各所に設置された俳句を投稿するボックス、松山城三の丸公園から望む松山城です。あと、夕食です。

磁場の井戸:第四章 対岸(二)/長編歴史小説

 中国山地に注いだ豪雨は一度地面に蓄えられ、じっくりと時間をおいて備中の野を潤す。それも、二、三日の遅延でなく、長いときには一ヶ月にも及ぶ。あの突然の豪雨以来、備中の野は晴天が続き、高松城を取り囲む深い緑色の山々からは蝉の鳴き声が煩わしいほどに騒がしく聞こえていたが、山々に貯留された雨水の滲出により、高松城は日毎に湖の中に没し続けた。 「このまま溺れ死ぬのはいやじゃ。」 足下からは湖水が迫り、頭上からは断続的に砲弾が降り注がれ、兵達は極限的精神状態に追い込まれていた。どの兵も眼球が落ち窪み、皮膚が浅黒く変色し始めていた。  為すことなく、ただ、死を迎えるまでの毎日の中に突然変化は訪れた。城内から彼方に見える日差山の一所でゆらゆらと揺れていた旗が活発に動き始めた。宗治は、末近信賀、高市允と共に、櫓の上で蝉鳴を聞きながら、満々たる湖水の先にある丘陵の斜面を眺めていた。先ほど来、三人は対岸に見える日差山辺りの気配が昨日までと異なっている事を感じ、額から流れる汗を拭うのも忘れ、日差山とその尾根続きの岩崎山の辺りを凝視し続けていた。しばらくすると、小早川家の紋である三つ巴の旗の群が日差山から麓に下り始めた。 (ついに、隆景様が動いたか。) 宗治は大声で叫びそうになったが、辛うじて溢れ出る感情を喉元で食い止めた。まだ、その群の運動の方角が見切れていなかった。少なくともそれを見極めるまでは、大将自らが騒いではならぬという意識が、激しい音に対して瞼を閉じる条件反射のように、宗治の骨髄の中に染み込んでいた。 「小早川様ならば、必ずや、この城の水難をお救い下される。」 高市允がだれに言うとも無く、喜びに溢れる声で言った。隆景の家臣である末近信賀も、 (同感だ。) と言ったふうに頻りと頷いた。  しかし、宗治は旗の向かおうとする力の方向を見極めるため、漠とした目線を日差山の方に向けたきり、市允の言葉と信賀の点頭を無視し続けていた。先端のみを凝視すれば、全体の動きを見誤るという歴戦の経験が、自然と宗治の意識を漠たるものにしていた。  日差山から高松城の方角に向けて山を下り、備中の野に降り立った三つ巴の旗の群は隊列を整えるために休止した。時を経るに連れ、整然と並び始めた隊列が有する潜在的運動の方向が北東の織田勢の方角ではなく、どちらかというと南に向いて構えているように、

八幡浜ランパート2(その2)

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海岸沿いの半島を回ると、諏訪崎(?)に向かう三叉路がありました。 諏訪崎は少し遠そうなので、八幡浜市街に戻る方向を目指します。 坂道を降りていくと、再び、右手に海が広がります。 その海の中に石の鳥居があり、陸側に神社がありました。おそらく地元で大切にされているのでしょう。綺麗に掃き清められていました。厳島神社のミニチュア版のようでとてもよい雰囲気でした。 さらに走ると、再び三叉路です。 片方は三瓶という土地に、片方は八幡浜市街です。もう、5km以上走っているので、迷いなく八幡浜市街へ。 昔のトンネルを通り、八幡浜市街の北辺あたりに出ました。最近できたと思しき佐田岬半島に向かう高規格道路がありました。 そこから、八幡浜市街の宿泊場所に帰還しました

八幡浜ランパート2(その1)

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八幡浜で二回目のランです。 前回は保内町方面に向かいましたが、今回は八幡浜港から海岸線を南に向かい、諏訪崎の入口辺りから八幡浜市内に戻る周回コースです。 まずは、造船所を右手に見ながら、海岸線を走ります。八幡浜港の南側に突き出た半島を進む、上り坂です。 暫く走ると、道路右手の海側が開けた場所があり、宇和海を眼下に一望できます。生憎、雲の多い空模様ではありましたが、かえって、雲間から零れる夕日が静穏な海面に反射し、その中をゆっくりと小さな船が進んでいました。 とても幻想的でした。 良い景色でしたので、何枚も写真を撮ってしまいました。 瀬戸内生まれの拙者としては、宇和海の多島海の眺望は心の落ち着く風景です。 また、かなり海面から高い位置にいると感じるのですが、道路を二匹の小さな蟹が横断していました。 続く

愛媛県八幡浜市ラン(二)

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シーロード八幡浜を通過し、少し走ると、 ガーン( ̄0 ̄) 行き止まり! 半島を一周できませんでした。 来た道を県道?まで戻り、保内町方面に向かうトンネルに入ります。 トンネルは約600mだったかと…。 周囲はかなり暗くなってきました。 トンネルを通過し、保内町に入りましたが、トンネルに続く下り坂を下りきったところで次の予定の関係で引き返すこととしました。 この佐田岬に来ると、丘陵地の頂上付近まで畑や果樹園として人間の手が加えられていることに感服します。 まさに、「耕して天に至る!」です。 清の政治家 李鴻章の言葉だったかと思います。李鴻章の場合、「以て、貧なるを知るべし。」と続きますが、小生の場合には「先人の営み、偉大なるかな!」となります。日本人のたゆまぬ努力と悠久の歴史を感じさせてくれる世界に誇るべき、また、後世に残すべき文化遺産だと思います。 最後は八幡浜港の夜景です。 なかなか綺麗なものです。

愛媛県八幡浜市ラン(一)

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H26/9/2八幡浜ラン 八幡浜近郊の地図を眺め、10km程度のランコースを探します。旧跡めいたものがあればと思ったが、めぼしいものがないため、海岸線を伝って保内町に向かうルートを選択しました。 まず、八幡浜市街を西向きに流れる新川沿いに八幡浜港に向かいます。新川沿いにある駐車場が河川に飛び出しているユニークなものでした。 八幡浜港に出たら、進路を北にとり、道の駅を横目に見ながら、フジグラン北浜を通り過ぎ、左に曲がって、海岸沿いに走る県道?249号線に入ります。 八幡浜港の前面に広がる夕暮れの宇和海を左手に見ながら、快調にランニング!結構暗くなってきていましたが、まだ、ものの形状は判別できました。 保内町に向かうトンネルの手前で、「おさかな牧場シーロード八幡浜」という看板を見つけ、トンネルよりも海岸線を走りたいと思い、幹線道路から外れます。(2枚目の写真) 行くこと15分ほどで目的のシーロード八幡浜に到着しました。養殖場兼釣り堀かなぁ?と想像しましたが、営業が終了していましたので、実際にどういう施設なのかは不明です。ただ、養殖筏がたくさん設置されているのに加え、養殖筏までは斜張橋が設けられているなど、かなり大掛かりな施設でした。(3枚目の写真)