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総社復興チャリティーマラソン2019そうじゃ吉備路マラソン②

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スタート台にはワイナイナ選手がいました。ハーフで最後方から追いかけてきてくれるみたいです。 わたしは5キロを過ぎたあたりで、ワイナイナ選手に抜かれました。コースの真ん中あたりを走っている人を激励しながら、追い抜いていきました。わたしはコースの端の方を走っていたので、直接の激励はいただけず、残念でした。 めちゃくちゃストライドが大きくて、めちゃくちゃ速いです。 コースは「フラット」とパンフレットにはありましたが、小さな上り下りがかなりの回数あって、時々厳しい場面もありました。でも、上りで歩いている人はそれほどいなかったですね。 しかし、全体的にコースの幅員が小さい。最初から最後まで群れのまま走っている感じです。そのぶん、前に遅れ気味になった人が迫ってくると、時々うまく抜けない場面が出てきました。 加速と減速が続くと、足に疲労が貯まります。 特にフルマラソンの速い人がハーフの人の後ろから迫っていく情景ははた目で見ていても、少々鼓動が高まります。 後半は淡々と走りました。 エイドステーションはボランティアの皆さまがすごく上手に、親切に準備をしてくれていたので、最高でした。いつもコップが散乱するのですが、大きなネットでキャッチするアイデアはグッドだと思いました。 手作り感のある大会でした。 ゴール後の無料の甘酒、とてもおいしかったです。 ありがとーございました。 心残りは無料の豚汁に長蛇の行列が出来ていて、食べることができなかったことでしょうか。 焼きそば、とり串、消防署カレーを堪能! 送迎バスの乗り場に行く途中にあっまちや牛の屋台が激ウマ。

総社復興チャリティーマラソン2019そうじゃ吉備路マラソン①

総社復興チャリティーマラソン2019そうじや吉備路マラソン ハーフの部にエントリー。 天候に恵まれ、2月にしては少し天候は高めです。 会場周辺にかなりの数の駐車場を用意してくれています。ただ、わたしの案内にはそのうち3箇所の駐車場が指定されており、倉敷ICから一番近そうな清音小学校の駐車場を目指したのですが、満車で入れず、けっこう離れた総社河川敷グランドの駐車場に急ぎました。 途中、渋滞もあり、時間がぎりぎり。シャトルバスに乗って受付会場に向かい、なんとかぎりぎりで受付を完了して、ゼッケンなどを貰いました。 着替えは一番小さな体育館らしき場所で行いましたが、正直、ほとんど隙間がなかったですね。 きちんと資料を読んでいれば、分かったのかもしれませんが、大きな体育館やグランドのスタンドが荷物置き場になっていたことをあとから知りました。 膝のテーピングやゼッケンの安全ピン止めなど諸準備を終えて、スタート地点へ。 スタート地点は想像していたほどの距離はなく、フルマラソンの選手と、ハーフマラソンの選手が、中央分離帯を挟んで、目標タイムごとに並びます。 総社市の首長さんも出場していたみたいで、途中、ボランティアや応援の皆さんに積極的に声かけされて、「あ、市長さん」といった感じの呟きが聞こえました。 いよいよスタート。 号砲から2分と少しでスタートラインを通過したので、スタートは円滑だと思いました。でも、号砲からスタートラインまでの間に、「ここから先はコースは狭くなる一方で、最後の数キロだけ、幹線道路に戻るんだよなー」みたいな呟きを聞いて、そーなのかなぁと思いながらのスタートです。

今夜の高知市内の夜空

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今日はスーパームーンです。 今朝方の天気予報では太平洋側は夕刻頃には晴れるということでしたが、運悪く、日が沈んでも曇りがちでした。 自宅に帰って、一昨日、思い切ってNikonD5300の実力を試そうと思っていたのですが、残念ながら、今日はお月さまは出ていません。 少しだけ、お星さまが出ているので、バルブ撮影を試してみたのですが、やはり街の明かりが明るすぎ、レンズに光が入りすぎて、写真が真っ白でした。 残念! 週末に馬立PAあたりでNikonD5300の実力を試そうと思っています。 天体観測は難しいかったのですが、夜景を撮影してみました。雲が低く垂れ込めていますが、雲はある高度までしか降りてきていないことがはっきりとわかりました。 一応、以下の3枚の写真は夜景の写真です。 肉眼ではこれほど明るくはありません。 びっくりしています。 そして、上空の白い部分は雲、下の明るい部分は建物で、その間に薄く伸びる暗い部分は山ではなく晴れた空です。

物部川 周遊③ 杉田ダム(おまけでしし立川そば)

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道の駅美良布で文旦8~9個入り800円を購入し、龍馬パスポートの申込パンフレットにスタンプを押してもらったあと、再び195号線を西に進みます。 すぐに杉田ダムが現れます。 この短い区間に3つもダムがあるのはすごいですね。 たぶん物部川の勾配はきついのでしょう。 杉田ダムを離れて、高知工科大学のある神母ノ木まで下り、物部川を渡って、談議所、さらに土佐山田市街まで出たあと、次は32号線に乗り換えて道の駅大杉(こちらは「おおすぎ」と普通に読んでよいみたいです)で昼食を取りました。 「しし立川そば」を注文。そばが割り箸より太くてびっくりしました。ししとそばがよく合います。ししの臭み消しに使っているのか、しょうがらしき香りが仄かに鼻孔をくすぐる感じがして、美味しくいただきました。  道の駅大杉でも龍馬パスポートのスタンプをゲット!これで、先日の馬路村のスタンプをあわせて、3つのスタンプをゲットしたので、早速、龍馬パスポートの発行を申請します。 杉田ダムです。 杉田ダムの看板です。 しし立川そば、そばが箸より太い!お隣は龍馬パスポートのパンフレット!

物部川 散策②の続き 珍しい地名集

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「清爪」→せいづめ 「五百蔵」→いおろい そして、 「神母ノ木」→いげのき これは読みようがないと思っています。あと、 「杉田」 どう考えても すぎた だと思うのですが、「すいた」です。すごいトラップです。 世の中には難読地名はたくさんありますが、この2つは5本の指に入ると思います。 おまけですが、とても土佐國らしい地名を見つけたので、掲載。「談議所」というバス停留所です。土佐國一宮神社の祭神が一言主神というのがなんとなく頷けます。

物部川 散策②(吉野ダム・韮野の里)

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永瀬ダムを折り返し点にして、物部川の流れに従い、195号線を西に走ります。 しばらくすると、吉野川発電所前というバス停を発見して右にハンドルをきります。すぐにそれほど大きくない変電設備が姿を現します。 その向こう側が斜面になっており、その斜面の下に吉野ダムが設けられています。吉野川ダムは国道195号線からはその存在の気配さえ感じることはできません。これだけ国道から近いのに、樹間から垣間見えることさえもないというのは珍しいですね。 吉野ダムを離れて、少し下流に行くと、道の駅美良布があります。龍馬パスポートのスタンプを集めるために立ち寄ります。玄関に「韮生の里」と書いてあります。「にろお」と読むようですが、物部川周辺には難しい地名が多いように感じます。 「韮生」のほかに私が見かけたのは、「清爪」、「五百蔵」、そして、極めつけが、「神母ノ木」です。 「神母ノ木」は私には全く想像がつきませんでした。 そんな中で、「日ノ御子」や「美良布」などは典雅で上品な地名だと思いました。もしかしたら、源平の合戦に破れた平家の落ち武者達が名付けたのかもしれません。 難問地名の正解は次の③に記載します。 吉野ダムですね。 美良布の道の駅です! アンパンマンミュージアム!

物部川 散策①(永瀬ダム)

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物部川は土佐國の東部から中央部を滔々と流れる大河です。 物部川の流れに沿うように国道195号線が走り、これを東に走れば、四ッ足峠を越えて、紅葉で著名なべふ峡を通過して那賀川水系に至る幹線道路になっています。 その物部川沿線を本日は大栃にある永瀬ダムまで一気に上り、そこから物部川の流れに乗るようにして土佐山田町まで下るという、まるで稚鮎から落ち鮎までを体感するような行程を考えました。 往路はアンパンマンミュージアムを左手に見ながら、足早に通過していきます。 まずは永瀬ダム。 高知県が管理していると記憶しているのですが、銘版に「建設省中国・四国建設局」とあるのが不思議です。 湖面は藍色と表現してよいくらいの深い青みを呈しています。仁淀ブルーとは質は違いますが、この深い青も悪くはないと思います。

峡の劔:第九章 策士(2)

 清太と弥蔵は、身分ありげな武士の案内で姫路城内に入って、細い渡り廊下を通り、小さな庭園に面した書院造りの小部屋に入る。矢竹が厚く植えられた庭の向こう側に鬱蒼と繁茂している常緑樹が小書院からの眺望を遮り、周囲の様子を窺うことはできない。小書院の出入口は一枚の薄い障子戸だけで、そこさえ固めれば、この部屋に入った人間は容易には逃走できない構造になっている。 「何かと行き届いていますな。」  弥蔵が小書院の造作を眺めながら、小声で清太に呟く。  数人の武士が渡り廊下を踏む足音が聞こえてくる。清太は小庭を背にして平伏したあと、武士達の着座を見計らい、顔を上げる。清太の正面にやや距離を置いて、上座の中心に小柄な武士が、彼を扇の要にして二名ずつが両脇を、さらに清太達の背後を四名が固めて、清太達の挙動に油断なく注意を払う。 「竹中家中の池田清太、後ろに控えますは、同じく穴吹弥蔵と申します。」 「黒田孝高でござる。遠路の使者、大儀です。」  孝高は、 ―虚飾や詭弁を見逃さぬ。 という鋭い眼光を、清太達に向ける。清太は臆することなく、重治の言葉を伝える。 「主人重治が黒田様の播磨におけるご活躍に感服し、秀吉様も播磨のことは黒田様にお任せしておけば間違いないと周囲に語っております。」 「過分なる御言葉、かたじけない。」  孝高は表情を崩さない。  初対面の挨拶を交わすと、早速、清太が会話の舵を切る。 「播磨での織田氏の評判はいかがでしょうか。」  清太の質問が呼び水となり、孝高は貪欲に収集した情報と精緻な分析に基づき、播磨、そして、山陽・山陰、さらには、天下の鄒勢に関する持論を滔々と展開する。勿論、孝高は清太達の背後に、秀吉の帷幄にあって千里の外に策を巡らせる重治の存在を、強く意識している。  孝高曰く、革新に溢れる織田氏とは対照的に、毛利氏は、今は亡き山陽・山陰の覇者元就の遺徳に安住して保守的な色合いが濃く、旧態依然で、今後、一念発起したとしても、旧領維持までがせいぜいで、家勢は縮小衰退の途上にある。しかし、凡庸な播磨国人衆には霞の向こうにあって遠望することしかできない織田氏よりも、近視眼的に、かつ、明瞭に輪郭を把握できる毛利氏の容姿が美しく、また、大きく見える。さらに、播磨は、浄土真宗を中興した蓮如上人が布教のために高弟達を派遣したことなどにより真宗王

安芸しらす食堂 釜揚げちりめんプラスどろめ丼

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安芸市中心から国道55線を高知方面に向かって西に走ると、左手、すなわち、海側に「安芸しらす食堂」と書いた看板があるはずなので、そこを左折すると、広い道路のすぐ先に二階建てのこざっぱりした簡素な事務所風の二階建て建物があります。 けっこう広い駐車場に車を止めて、建物の中へ。 一階は事務所と直売所があり、階段を上ってそのまま二階へ。 二階が20人強が座れる食堂になっています。 メニューは釜揚げちりめん丼セット、釜揚げちりめん丼プラスどろめ丼、釜揚げちりめん丼プラスかき揚げセットなどなど、これらをお刺身付きにすることもできます。 わたしは一度に二種が楽しめる釜揚げちりめん丼プラスどろめ丼セット900円を注文。 ゆず入りポン酢とゆず原液がおいてあり、まずはゆず入りポン酢を好みの味になるように少量ずつかけながら、酸っぱさが足りなければ、ゆず原液を足していくという食べ方です。 どろめは水揚げがあった日だけなので、今日も食べられてラッキー! どろめはゆず入りポン酢そのままで少し苦みを感じつつ、噛むと奥にある甘みがじわっとにじんでくる感じで、酸っぱさのゆず原液は使いませんでした。 釜揚げちりめんはどろめに比べると淡泊な味わいなので、少しゆず原液で酸っぱさを足して味わいました。 しかし、これは贅沢で、本当に美味です。 産地ならではのお食事です。 また、家族を連れて来たい場所です。 追伸 恐るべしはじゃこソフトクリーム! ソフトクリームの甘みとじゃこの塩気がすばらしいコンビネーションを生むかもしれません。 これは名物になるかもしれません。 最後の写真、太平洋沿岸のパラペットは想像を絶する高さであります。

峡の劔:第九章 策士(1)

第九章 策士  清太と伝輔は四天王寺砦に戻ると、手負いからまだ十日余りしか経過していない弥蔵に、重治の指示で播磨に下向する旨を伝え、弥蔵の回復を確認する。 「鈍った身体を慣らすついでに、信貴山に使いいたしましょう。」  弥蔵は返答しながら、既に脚拵えを始めている。 「無理は禁物ぞ。」  清太の心遣いに、弥蔵が出立の準備を進めながら、心底嬉しそうな笑顔を浮かべる。  弥蔵は、亥介達に引き続き信貴山を監視するよう伝えたあと、何事もなかったように天王寺砦に戻ってきた。  清太は佐久間信盛の陣屋に赴いき、 「竹中様の添え状をもって陣をお借り致しましたが、戦功の機会を得ぬまま空しく退去せざるを得ぬ仕儀となりました。ご容赦ください。」 と、直接、信盛に詫びたあと、弥蔵、伝輔を伴って播磨へ出立する。  山陽道には旅商人や僧侶などを媒介して久秀の天王寺砦退去や北陸の情勢が無数の尾鰭を伴いながら伝搬する。それらは西に行くにつれて、 ―毛利氏、優勢。 という色彩へと変化し、人口を膾炙して巷間を巡る。その中には、 「越前では上杉謙信が柴田勝家を撃破して、既に上洛の途上にある。」 などというまことしやかな流言飛語も混入する。清太はそれらを耳にするたび、 ―たとえ妄言や誇張であっても、繰り返し耳に流し込めば、播磨の国人衆達は去就に迷うことだろう。 と想像し、また、 ―裏世間の小さな施術が時流を大きく変えることもある。 ということを改めて実感する。  姫路に到着した清太達は、近郊の小さな鎮守の杜に紛れ込み、手頃な大きさの祠を見つけて当面の拠点に定めたあと、万一に備えて伝輔に留守(りゅうしゅ)させ、清太と弥蔵だけで姫路城に赴き、「竹中重治からの使者」として公式に来訪を告げ、重治の書状を門番に差し出す。  姫路城は姫山と呼ばれる小高い独立丘峰全体を戦国風に要塞化した山城である。室町時代初期に築城されたが、それを孝高の祖父黒田重隆が戦国風の山城に仕立て直した。以降、黒田家が三代にわたって手を加えてきた姫路城は山陽道の中でも指折りの堅城となり、また、その城下は賑わいのある町の一つになっている。  黒田氏は流浪の境遇にあって播磨に流れ着いた重隆が広峯神社と提携して黒田家伝来の目薬を製造・販売することで財を成した。その後、播磨国人衆小寺氏の要請で出仕したことに

ニンニクに追肥

本日、ニンニクに軽くひとつまみずつ、追肥一番を施肥。 合わせて、実験的に万田酵素を与えている一群のニンニクに再度万田酵素を与える。 写真撮影を忘却。 ニンニクは寒さに耐えながら、春の成長に向けた力を蓄えているように、いまは背丈を伸ばさずにじっとしています。

いきなりステーキ

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突如、外食しようということになり、通りすがりにいきなりステーキを発見したので、関係者みんな興味を持っていたこともあり、全会一致で入店決定! 初めての入店だったので、注文などシステムを店員さんに聞いて、注文。牛肉だけに、値段は思っていたほど超激安ではなかったです。 サイドオーダーだけテーブルで注文し、肉の種類と重量を決めたら、肉を調理する窓口に行って、注文しました。注文後、切り分けてくれるというのは、セミセルフみたいで、斬新です。 わたしは1グラム7.3円のトップリブロースを注文しました。レアがお勧めということで、レアにしました。 10分前後をへて、お肉が運ばれきました。 ポットに入れてあるステーキソースを熱々の鉄板に落とすと、ソースが鉄板の上で弾けます。 おろし生ニンニクがよく合います。 三人で200グラムずつ食べて、お支払いは6,000円弱。コストパフォーマンスは良好だと思います。 特に若者の皆さまはお腹いっぱいおいしいお肉を食べられるということで、人気が高いのでしょう。