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本日の家庭菜園

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春分を通り過ぎ、桜開花の頼りも聞こえるようになりました。暖かくなり、カラスノエンドウをはじめ、草花が畑の至る場所ですくすくと成長するので、除草が大変です。 今日はニンニクの本数を数えてみました。 合計62本でした。 1本あたり6欠片を仮定すると、360欠片。 来年は180欠片を食用、180欠片を植え付けしたいと思います。できれば、10玉=60欠片購入して、240欠片の栽培に挑戦し、売り出してもよいかなぁと、考えています。 早生の玉ねぎが大きくなってきました。 奥手の玉ねぎはまだまだです。 スナップエンドウがなかなか成長しないです。 一応、ニンニク、玉ねぎ、スナップエンドウ、レモン、ブルーベリーに追肥しておきました。

峡の劔:第十一章 兵法者(3)

 翌早朝、清太が鍛錬のため屋外に出ると、平静を取り戻した平次郎が少し足を引き摺りながら、木太刀を振っている。清太は平次郎と少し距離を置いて、平次郎の様子を見ながら、一定の調子で杖を振り始める。  平次郎が素振りを止めたところに、清太が、 「宜しければ、一手ご教示いただけませぬか。」 と願い出る。平次郎は、昨晩、清太が示した誠意への返礼もあり、快諾して側に立て掛けてあった予備の木太刀を清太に手渡す。  二人は三間ほどの距離を置いて構える。最初、清太が数合撃ち込み、離れては、また、撃ち込む。幾度か同じ動作を繰り返す。その間、平次郎は足の傷を庇う意味もあり、ほとんど位置を変えずに清太の太刀を捌いている。 「清太殿、かなりの修練を積んでおられると見た。力の使い方、身体の捌き方、いずれも理に叶っている。強いて言えば、間合いの取り方がやや固い。間合いを会得すれば、さらに数段、技倆が上がるだろう。」  平次郎が軽く一歩だけ踏み出して、清太の左手をゆっくりと掠めるように太刀を振り下ろす。清太が左手を引き、木太刀を避ける。 「今の太刀筋ならば、紙一重で清太殿の左手には届かぬ。間合いを会得すれば、太刀筋が身体に触れるか否かを見極められるようになる。」  清太は、丁寧で理論的な平次郎の解説を、一を聞いて十を知る如く吸収していく。人間同士の生理的・本能的な相性というもので、清太と宗景の関係性とは正反対に、清太と平次郎は初対面から意気投合し、打ち解けていた。  その日、清太と弥蔵は、まだ少し跛行気味の平次郎、そして、宗景一行とともに須磨を出立し、道中の警戒を怠ることなく、摂津有岡城に至り、浦上主従を荒木家中に引き渡す。  清太は、宗景とのこれ以上の接触を忌避して、有岡城に長居せずに出立しようとしていたが、それでも有岡城を出る直前にももう一度平次郎に立ち会いを所望する。  清太は今朝の平次郎の指導を咀嚼して、早くも間合いの重要性を理解し始めていた。 ―平次郎殿の教授で剣術を極められるかもしれぬ。  清太は、今後も廻国修行しながら、藤佐を探し続けるはずの平次郎に対して大原の嘉平屋敷を示し、 「わたしが藤佐に関する情報を掴んだ時には、この屋敷の主人に伝言しておきます。京に上った際には、是非、お立ち寄り下さい。わたしが逗留していれば、是非とも兵法を指南していただきたい。

峡の劔:第十一章 兵法者(2)

 一行は宵の明星が輝き始めた街道を慎重に進む。平次郎は撒菱を踏んだ右足を庇って、道端で拾った木の枝を杖代わりにしながら、跛行(はこう)気味に歩く。一行は、四半刻ほどをかけて須磨の宿所に着くと、それぞれが旅塵を落とし、亭主の案内で宛てがわれた部屋に入った。  偶然にも清太と弥蔵は平次郎と相部屋となった。 「須崎平次郎。」  暗い表情のままの平次郎が短く名乗る。  弥蔵に勧められるまま平次郎が化膿止めの膏薬を自分の傷口に塗布する。その様子を見ながら、清太が会話の糸口を探して、求められるでもなく宗景と同道するに至った経緯を語る。  そのあと、平次郎はやむを得ないという表情で重い口を開く。  平次郎曰く。以前、廻国修行の途次、備前に立ち寄って、浦上氏の家臣達と試合し、その後、短期間ではあったが、逗留して浦上家中に兵法を指南したことが縁で、宗景と知古を得た。その宗景が宇喜多直家に備前を追われ、播磨の小寺氏に身を寄せていることを耳にして、旅の途中に播磨に立ち寄り、宗景から直に摂津有岡城までの護衛を依頼されたという。  平次郎が表情の陰翳をさらに深める。 「先刻、藤佐が擦れ違う貴殿に声を掛けたように見えたのだが、奴と顔見知りか。」  平次郎の質問に、清太は、 「詳しいことは存じませんが…。」 と断った上で、伏見街道で起こった出来事の概要を説明した。  平次郎が深く大きな溜め息を漏す。その落胆した表情を見つめながら、清太は二人の尋常でない関係を察しつつ、遠慮気味に尋ねる。 「初対面でさしでがましかもしれませぬが、藤佐という悪党と平次郎殿の間に何があったのか、お聞きしても宜しいですか。」  平次郎は少し躊躇したあと、 「私事ですが、…。」 と前置きして、語り始める。  平次郎と藤佐は無心流という田舎剣法を開いた兵法者熊谷止観斎を師匠として、剣術を研鑽する同門だった。止観斎の門弟の中で二人の実力は群を抜いており、周囲の者達は、 ―嫡男のいない止観斎はいずれかを一人娘幸(さち)の婿として迎え、後継者とするのではないか。 と噂した。  そんなある日、加齢により心身の衰えを感じ始めた止観斎が平次郎と藤佐を居室に呼んだ。 「一年後、わしの跡目を決めたい。今日より双方とも道場を離れて廻国せよ。一年後、ここに戻って試合し、勝者に跡目を譲りたい。」  修

北斗七星とオリオン 3月9日8時30分~9時15分 満濃町 ②

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次は南西の空に輝くオリオン座とおおいぬ座です。 今日の撮影場所から見ると、南西の方向は造成された高台になって、地上物=静止物を画面に収めやすいのと、地上光が適度に遮られます。 今回もISO は上げずに、バルブ撮影で挑みます。 また、先ほどよりも長く光跡を収めたかったので、シャッター解放を5分以上確保しました。 ただ、閑静で車の通行もほとんどないような場所ですが、5分間もあると自動車が通ってしまい、そのたびに撮影中止です。 しかも、やはり5分以上シャッターを解放していると、地上光が入ってきます。 もっと暗いところにいかないと地上光を排除するのはなかなか難しいと言うことがわかりました。

峡の劔:第十一章 兵法者(1)

第十一章 兵法者  清太は、重治に一報を届けるために伝輔を近江長浜へ先行させ、弥蔵とともに山陽道を東進する。清太の前方を少し離れて、浦上宗景とその旧臣六人、さらに、彼らの荷駄と信長へのささやかな手土産を運びながら、宗景を警護する黒田家中の将兵十数人の一行が、山陽道を上る。宇喜多直家が襲撃者を放っているという前提で選りすぐられた浦上旧臣達の面魂はいずれも不敵で、豪胆である。  早暁に姫路を出立した一行は、この日の宿所を須磨に定め、休息をほとんど取らず、早足で進む。  須磨に近付いた頃には山陽道は暮色に包まれ、夕凪が訪れる。旅程が終盤を迎え、強行軍による疲労と相まって、一行の警戒心が緩みがちになる。旅人に一時の憩いを提供する一本の大樹が長い影を地面に落とす。大樹が植えられた小塚から須磨まではおおよそ四半刻、既に周囲の景色は色彩を失い始めているため、一行はそのまま小塚を通過する。その時、 「浦上宗景殿。」 と、暗い樹冠自身が発したような低い声が呼ぶ。  一行が立ち止まると、小塚の周囲から無数の人影が湧き上がる。三十人前後の襲撃者が一行の前後に立ち塞がる。 「何者。」  宗景の上ずった叫び声を契機に、敵味方双方が抜刀する。宗景一行の中から網笠を深く被った痩身の武士が、茜色の夕陽を瑞(きら)厳(きら)と跳ね返す抜き身を気にも止めずに飄々と進み出る。  宗景一行に駆け寄ろうとした弥蔵が敵中にあるとは思えないその武士の大胆な行動に脚を止める。清太も武士の挙動を見つめる。 ―何をするつもりだ。  直進する武士が襲撃者達の包囲環と交錯する寸前、武士の進路を妨げる形になった襲撃者二人が抜き身の太刀を構えたまま、何かに操られるように包囲の輪を解き、武士に道を空ける。 「何かの術か。」  清太が弥蔵に小声で尋ねる。 「わたしも初めて見る光景です。」  清太と弥蔵はいつでも駆け出せる体勢を取りながら、武士の不可思議な行動を静観する。  武士は敵味方の視線を集めながら、包囲環を抜けて五歩ほど進み、停止する。そして、次の瞬間、反転しつつ刀を抜き、先刻、自分が作り出した包囲環の綻びに突進する。  襲撃者達は呪縛から解き放たれたように、乱れ騒ぎながら身構え、武士に対応するために激しく動く。武士は襲撃者達の騒擾の中に躊躇なく踏み込み、峰打ちの太刀を左右に払って瞬時に

北斗七星とオリオン 3月9日 満濃町 ①

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快晴かつ月のない夜空だったので、単身赴任からの帰路、Nikon D5300 にて初の天体撮影。 この機体で初めての天体撮影なので。まずは機体の仕様を確認しながら、設定を変えて、写り込み具合のチェック。 当然の事ながら、シャッタースピードはバルブ撮影モード、絞りは最大に。今日はISOの設定による仕上がりの違いを中心に練習撮影。 北東の空には北斗七星、南西の空にはオリオンが。 まずは、鉄構の向こうに浮かぶ北斗七星。 高度が高めで、地上光の影響は低いと考えて、まずは、ISO 800 で3分解放しましたが、真っ白け。予想以上に地上光を拾います。ISO 400でもまだ白い。 結局、ISO 200 くらいが正解で、それでも地上光が残りましたが、十分北斗七星の存在が確認できる写真が撮れました。

ニンニク、たまねぎ、大根、水菜

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家庭菜園の記録。 我が家の家庭菜園にも春がきました。 ピンク色のお花が咲いています。 桃の花でしょうか?山桜でしょうか? 自分の畑なので樹種がわからないというのは情けない! さて、お野菜達の状況。 ニンニクは再度追肥。暖かくなってきたので、これから球根が一気に成長する予想。 玉ねぎにも軽く追肥。こちらも暖かくなってきて、葉がしっかりと起立し、根本付近もそれなりに膨らんできました。 大根、今年は数は揃いましたが、長さが思ったほど成長せず。もう少し深く耕す必要があるか。 今年はすじまきにせず、スポットまきにしたのがよかったのか。 春が近づいてきたので、そろそろ全部収穫しないとトウが立ちますね。 水菜、徐々に大きくなっています。 来週あたりは一部が収穫時期になることを期待。 ニンニクです たまねぎです  大根です 水菜です 桃?山桜? レモンです

峡の劔:第十章 貴人(2)

 浦上氏は、室町幕府の重鎮赤松氏の配下にあって、播磨・備前・美作に勢力を扶植した。戦国期に入った明応五年(一四九六)、赤松氏の当主政則が急逝すると、浦上氏の当主村宗は政則の婿養子赤松義村を擁立し、播磨の別所就治らとともに赤松氏の実権を掌握した。しかし、備前・播磨・美作三国の守護職として実権の奪還を志し始めた義村と村宗は激しく対立し、衝突へと発展した。この争いに勝利した村宗は、義村を強引に隠居させて赤松氏の家督を義村の嫡子赤松政祐に相続させ、さらに数年後、義村を暗殺して、赤松氏の実権を掌握した。これにより浦上氏の最盛期が訪れた。  その後、享禄四年(一五三一)に、室町幕府三管領の一家細川氏内部の権力争いに端を発した摂津大物の合戦で浦上村宗が討死すると、村宗の嫡子浦上虎満丸が一族浦上国秀の後見を得ながら、幼少の身で家督を相続した。しかし、村宗の討死を好機とみた山陰の尼子氏が、中国山地を越えて山陽に侵入し、播磨諸城を次々と攻略した。虎満丸は劣勢を挽回すべく仇敵赤松政祐と結んだが、退勢を挽回できず、天文八年(一五三九)には政祐とともに播磨を追われて和泉堺に落ち延びた。翌年、政祐は将軍足利義晴からその偏諱を賜り赤松晴政に改名し、浦上虎満丸は元服して同様に義晴から一字を賜って政宗と名乗り、その後、二人は将軍義晴の後ろ楯で播磨に復帰し、協力して勢力を拡大し、播磨に加えて備前を奪還した。しかし、天文二〇年(一五五一)、尼子晴久が再び美作・備前に侵攻すると、尼子氏との同盟を主張する兄政宗に対して、弟宗景は父村宗死後の混乱につけ込んで播磨を侵略した尼子氏との盟約を是とせず、兄弟は激しく対立し、宗景は毛利氏に与して備前天神山に拠り、播磨室津を拠点とする政宗との間で骨肉の争いを繰り広げた。 ―宗景は織田方では…。  清太が首を傾けるのを見て、弥蔵が、 「ここまでは天文、弘治年間の出来事でございます。」 と補足し、さらに続ける。  宗景は安芸の毛利元就や備中の三村家親の支援を得ながら、政宗側に付いた備前・美作国人衆の攻略を進めた。  永禄三年(一五六〇)に、尼子氏の当主晴久が急逝すると、備前・播磨国人衆が後ろ盾を失った政宗から次々と離反し、宗景に味方した。しかし、その後、宗景は美作の支配権を巡って三村家親と袂を分かち、家親支援に回った毛利氏との同盟を結果的に破棄した。  ここ

峡の劔:第十章 貴人(1)

 孝高が、姫路城を辞そうとする清太を、呼び止める。 「竹中様に返書を認めるので、明日夕刻、再度、足労を願いたい。」  清太は承諾して、一旦、姫路城を退去する。  翌日、夕刻、清太達は姫路城を再訪し、昨日と同じ小書院に入る。部屋には昨日の顔触れに加えて、落ち着きなく視線を動かす初老の武士が座っている。 「浦上宗景様です。」  孝高が初老の武士を紹介する。 ―備前・美作の山中で小さな蜂起を繰り返す浦上旧臣達に業を煮やした備前の宇喜多直家が秘かに忍びなどを使って掃討を進めている。 という程度は、清太も播磨入国後に把握していたが、それらは無数にある情報の一つに過ぎず、特に注意を払ってはいなかった。 「織田家中、竹中家家臣の池田清太と申します。」  清太は型通り宗景に対して挨拶したが、宗景は無言のまま、清太と弥蔵を一瞥する。  黒田家の家臣が宗景の略歴を代弁する。 「浦上宗景様は備前・美作を中心に勢力を広げた浦上氏の御当主で、現在は織田様にお味方されています。」  孝高が、宗景と清太の間に流れる何となく刺々しい空気を、故意に無視して、宗景が同席している理由を説明する。 「宗景様は安土に赴き、浦上氏再興を信長様に直接嘆願するため、まずは摂津有岡城の荒木村重殿のもとに参ります。しかし、宗景様は毛利や宇喜多に命を狙われております。そこで近江長浜への帰路、御両所に宗景様を護衛いただきたいとお願いする次第。」  初対面の印象で宗景の態度に嫌悪感を抱いてしまった清太は、 「拙者どもでは力不足でございますな。」 と、にべもなく拒絶する。同時に、このことが清太に、 ―重治様への書状を依頼すると言いながら、この老人の護衛が本心か。孝高殿の詐略に嵌まったな。孝高殿は策を弄し過ぎる。 という、複雑な感情を抱かせた。 「無論、当家からも護衛は出します。しかしながら、念には念を入れるため、是非ともご同行をお願いしたい。」  家臣達も懸命に説得する。 「主人への報告を急ぎますゆえ、ご容赦いただきたい。」  清太は拒否の姿勢を崩さない。 「貴殿のご事情はお察しする。では、伊丹有岡城までの護衛だけでもお願いできませぬか。何卒、お聞き届けを…。」  家臣達が妥協点を探りながら、清太を引き続き説得する。しかし、清太は拗れてしまった自分自身の感情を簡単に整理するつ