峡の劔:第十章 貴人(1)


 孝高が、姫路城を辞そうとする清太を、呼び止める。
「竹中様に返書を認めるので、明日夕刻、再度、足労を願いたい。」
 清太は承諾して、一旦、姫路城を退去する。
 翌日、夕刻、清太達は姫路城を再訪し、昨日と同じ小書院に入る。部屋には昨日の顔触れに加えて、落ち着きなく視線を動かす初老の武士が座っている。
「浦上宗景様です。」
 孝高が初老の武士を紹介する。
―備前・美作の山中で小さな蜂起を繰り返す浦上旧臣達に業を煮やした備前の宇喜多直家が秘かに忍びなどを使って掃討を進めている。
という程度は、清太も播磨入国後に把握していたが、それらは無数にある情報の一つに過ぎず、特に注意を払ってはいなかった。
「織田家中、竹中家家臣の池田清太と申します。」
 清太は型通り宗景に対して挨拶したが、宗景は無言のまま、清太と弥蔵を一瞥する。
 黒田家の家臣が宗景の略歴を代弁する。
「浦上宗景様は備前・美作を中心に勢力を広げた浦上氏の御当主で、現在は織田様にお味方されています。」
 孝高が、宗景と清太の間に流れる何となく刺々しい空気を、故意に無視して、宗景が同席している理由を説明する。
「宗景様は安土に赴き、浦上氏再興を信長様に直接嘆願するため、まずは摂津有岡城の荒木村重殿のもとに参ります。しかし、宗景様は毛利や宇喜多に命を狙われております。そこで近江長浜への帰路、御両所に宗景様を護衛いただきたいとお願いする次第。」
 初対面の印象で宗景の態度に嫌悪感を抱いてしまった清太は、
「拙者どもでは力不足でございますな。」
と、にべもなく拒絶する。同時に、このことが清太に、
―重治様への書状を依頼すると言いながら、この老人の護衛が本心か。孝高殿の詐略に嵌まったな。孝高殿は策を弄し過ぎる。
という、複雑な感情を抱かせた。
「無論、当家からも護衛は出します。しかしながら、念には念を入れるため、是非ともご同行をお願いしたい。」
 家臣達も懸命に説得する。
「主人への報告を急ぎますゆえ、ご容赦いただきたい。」
 清太は拒否の姿勢を崩さない。
「貴殿のご事情はお察しする。では、伊丹有岡城までの護衛だけでもお願いできませぬか。何卒、お聞き届けを…。」
 家臣達が妥協点を探りながら、清太を引き続き説得する。しかし、清太は拗れてしまった自分自身の感情を簡単に整理するつもりがない。そんな清太と家臣達との押し問答を見かねて、孝高が割り込む。
「備前・美作、そして、播磨にも縁の深い浦上家の御当主を護衛することは、織田様、羽柴様、ひいては、竹中様のお為にもなることかと存ずる。ご両所の無駄のない挙措、隙のない立居振舞いを見たところ、相当な鍛練を積んでいるとお見受けした。何卒、お願いしたい。」
 孝高達は、
―「諾」というまで姫路城から出さぬ。
という気組みで清太達に迫る。一方で、一番の当事者である宗景はこれらの会話に興味を示さず、手元の扇を弄んでいる。その様子を見た清太は、
―貴人、恩を感ぜず。御劔の手掛かりも得られておらぬというのに、この老人のために時間を浪費するのは無益。
と、ますます態度を硬化させる。
 清太と黒田家中は問答を続けたが、結局は、
―この老人が山陽方面における織田氏、さらには、羽柴氏の勢力維持・拡大に資する要人である。
と、口説き落とされる形で清太は渋々ながら宗景との同行を承諾した。
 宗景は、先刻と同様、表情を変えず、清太と弥蔵にもう一度視線を送っただけで、謝礼の言葉さえも発することはない。承諾の一言を発して以降、貝のように口を閉ざしたままの清太に代わり、弥蔵が出立までの手配りなどを話し合い、漸く清太と弥蔵は下城する。
―こんな頑固な一面があったのか。
 弥蔵もそうだが、清太自身も頑迷に似た自分の態度を振り返って驚いていた。
 姫路城からの帰路、鬱屈した感情を整理しきれないままの清太に、弥蔵が自分の持つ知識の範囲で浦上氏の興亡について解説する。

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