峡の劔:第十一章 兵法者(1)

第十一章 兵法者

 清太は、重治に一報を届けるために伝輔を近江長浜へ先行させ、弥蔵とともに山陽道を東進する。清太の前方を少し離れて、浦上宗景とその旧臣六人、さらに、彼らの荷駄と信長へのささやかな手土産を運びながら、宗景を警護する黒田家中の将兵十数人の一行が、山陽道を上る。宇喜多直家が襲撃者を放っているという前提で選りすぐられた浦上旧臣達の面魂はいずれも不敵で、豪胆である。
 早暁に姫路を出立した一行は、この日の宿所を須磨に定め、休息をほとんど取らず、早足で進む。
 須磨に近付いた頃には山陽道は暮色に包まれ、夕凪が訪れる。旅程が終盤を迎え、強行軍による疲労と相まって、一行の警戒心が緩みがちになる。旅人に一時の憩いを提供する一本の大樹が長い影を地面に落とす。大樹が植えられた小塚から須磨まではおおよそ四半刻、既に周囲の景色は色彩を失い始めているため、一行はそのまま小塚を通過する。その時、
「浦上宗景殿。」
と、暗い樹冠自身が発したような低い声が呼ぶ。
 一行が立ち止まると、小塚の周囲から無数の人影が湧き上がる。三十人前後の襲撃者が一行の前後に立ち塞がる。
「何者。」
 宗景の上ずった叫び声を契機に、敵味方双方が抜刀する。宗景一行の中から網笠を深く被った痩身の武士が、茜色の夕陽を瑞(きら)厳(きら)と跳ね返す抜き身を気にも止めずに飄々と進み出る。
 宗景一行に駆け寄ろうとした弥蔵が敵中にあるとは思えないその武士の大胆な行動に脚を止める。清太も武士の挙動を見つめる。
―何をするつもりだ。
 直進する武士が襲撃者達の包囲環と交錯する寸前、武士の進路を妨げる形になった襲撃者二人が抜き身の太刀を構えたまま、何かに操られるように包囲の輪を解き、武士に道を空ける。
「何かの術か。」
 清太が弥蔵に小声で尋ねる。
「わたしも初めて見る光景です。」
 清太と弥蔵はいつでも駆け出せる体勢を取りながら、武士の不可思議な行動を静観する。
 武士は敵味方の視線を集めながら、包囲環を抜けて五歩ほど進み、停止する。そして、次の瞬間、反転しつつ刀を抜き、先刻、自分が作り出した包囲環の綻びに突進する。
 襲撃者達は呪縛から解き放たれたように、乱れ騒ぎながら身構え、武士に対応するために激しく動く。武士は襲撃者達の騒擾の中に躊躇なく踏み込み、峰打ちの太刀を左右に払って瞬時に四人を倒し、包囲環の中心で竦んでいる宗景主従に合流する。
 武士の技倆をみた襲撃者達は数歩後退し、包囲環の半径を広げる。
―同じ詐術は二度は通用せぬ。次は力の衝突。
 双方が睨み合う中、先刻の武士だけが力みを見せず、油断なく前後左右に目を配る。
 大樹の影から一人の男が現れる。薄暗い夕闇の中でその男と武士の視線が衝突する。
 清太にも見覚えのある武士である。
―悪党の頭領、藤佐。
 武士が射抜くような鋭い視線で藤佐を睨む。
 藤佐は宗景主従を囲む包囲環の背後に控えて、見えない手で襲撃者達の背中を押すと、包囲環が再び縮まる。
 乱戦へと緊張が高まる中、清太と弥蔵は襲撃者達に気付かれぬよう気配を消して小塚へと近づく。
「平次郎、一別以来だな。」
 藤佐が痩身の武士に語り掛ける。
「藤佐。」
 平次郎と呼ばれた痩身の武士が叫んだあと、裂帛の気合いを発して、藤佐に向かって突進し、真正面から襲撃者達に激突する。修羅と化した平次郎の太刀が一閃するたびに、深紅の血煙が夕暮れの虚空に舞い、襲撃者が絶命していく。
 平次郎の全身が返り血に染まる。
―凄惨。
 先刻までとは全く異なる平次郎の太刀筋を見つめる清太の背筋に冷たい汗が流れる。
 憤怒を露にした狂気の形相で平次郎は藤佐に肉薄する。
「藤佐。」
 平次郎は再び叫び、藤佐の太い首筋に狙いを定めて太刀を真横に振り抜く。太刀が空気を切り裂く。藤佐は大きく後方に跳び、太刀を中段に取る。
「俺が平次郎を引き付ける。お前達は獲物をやれ。」
 藤佐が中段に構えた平次郎を見据えながら、他の襲撃者達に命じる。
「藤佐よ、逃げ続けて挙げ句の果ては盗賊か。堕ちるところまで堕ちたな。」
 平次郎が罵倒しつつ、右に旋回して藤佐の隙を窺う。
「貴様が自分の世界が上で、わしが堕ちたと勝手に勘違いしているだけのこと。こちらは才覚次第で銭儲けができる自由な世界、住めば都だ。」
 藤佐は皮肉を込めながら、平次郎に合わせて旋回し、相対的な位置関係を調整する。
「それも終わる。お前を捜し求めて五年、ここで会ったのも師匠のお導きだ。」
 二人の会話とは別のところで、襲撃者が雄叫びを発して、宗景主従に襲い掛かる。浦上旧臣の一人が襲撃者を拝み打つ。襲撃者の頭蓋から鮮血と脳漿が飛散し、乱戦が火蓋を切る。
 清太と弥蔵が全速で乱陣に駆け寄る。
「煙玉。」
 弥蔵が隣を疾駆する清太に伝え、乱陣に向けて小球を投じる。直後、乱陣の中心で小球が破裂して白煙が広がり、敵味方双方の視界を遮る。清太は煙幕の中に跳び込み、宗景に駆け寄って、その右腕を掴み、白煙の中で妄動する襲撃者の影を杖で突き飛ばしながら、引き摺るようにして宗景を脱出させる。
「助太刀いたす。」
 弥蔵が煙幕の中で様々に声音を変えながら繰り返す。多勢の来援を錯覚して混乱する襲撃者達を浦上旧臣達が叩き伏せていく。
 平次郎と藤佐は、小球の炸裂音を契機にして、双方大きく踏み込む。藤佐が中段から横に払った太刀を、平次郎は右に躱して藤佐の左手に太刀を走らせる。藤佐は左足を大きく引き、平次郎の太刀筋を避けながら、右上方に振り上げた達を左斜めに撃ち下す。平次郎は藤佐の鋭鋒を裂けて大きく背後に跳躍し、着地点に居合わせた襲撃者を振り向きざまに下から切り上げて瞬殺する。
 平次郎と藤佐の間に三間ほどの距離が開く。
「平次郎、腕を上げたな。」
「黙れ。」
 平次郎が藤佐を睥睨しながら叫ぶ。
「しかし、そう易々と命は差し出すことはできぬ。」
 藤佐が呟きながら、柄から離した左手を懐に入れる。それを見た平次郎は藤佐に向かって大きく踏み込み、藤佐の左肩を目掛けて袈裟斬りの太刀を振り下ろす。平次郎の切っ先が藤佐の皮膚に届き、着衣が裂け、血が滲む。平次郎が太刀を旋回させて畳み掛ける。
 平次郎の怒気が徐々に藤佐を圧倒し、藤佐は左手を懐に入れたまま後退を続ける。
 浦上旧臣達は清太と弥蔵の助勢で立ち直り、襲撃者達を押しまくる。
「死にたくなければ、退け。」
 弥蔵の一喝で、一瞬、敵味方が忘我したように停止し、直後、襲撃者達が遁走を始める。浦上旧臣達が追い討ちを掛けようと駆け出す。
「深追いは無用。」
 清太が制する。
「邪魔立てするな。」
 宗景が怒気を露わにして清太に反論する。
「無益な殺生はやめろ。」
 清太は鋭く宗景を嗜める。若さとは不釣り合いな厳しい語調は宗景と浦上旧臣達が沈黙させる。
 清太は平次郎と藤佐を振り返る。
 襲撃者達が逃散し、劣勢になった藤佐が平次郎の僅かな隙を見て、懐から取り出し左手で平次郎との間に指先ほどの大きさの物体を撒き散らし、小さく後方に跳ぶ。精神の平衡を失っている平次郎が軽率に誘いに乗り、藤佐に追い縋る。
 平次郎が足を挫いたように、身体の平衡を崩す。
 藤佐が反転して駆け去っていく。
「卑怯な…。」
 平次郎が叫びながら、さらに何かに足を取られて転倒する。
 藤佐は平次郎を振り返ることなく、清太の側を駆け過ぎる。清太は反射的に右手の杖を一閃させる。藤佐は左斜めに進路を曲げて杖から逃れる。
「若造、またお前か。」
 藤佐が擦れ違いざま憎悪を込めて呟きながら、清太の顔面に何かを投げつける。清太が反射的に屈むと、清太の背後にいた浦上旧臣が悲鳴を上げる。
―撒菱。
 清太が認識したときには、既に夕闇の中で藤佐の背中は小さくなっていた。
 清太と弥蔵が平次郎に駆け寄る。弥蔵が地面に転がった撒菱を袖で払い除けながら、その外観を確認して、
「毒は塗られていないようです。」
と告げる。
 撒菱は毒が仕込まれていなければ、それ自体の殺傷力は低い。
 平次郎は撒菱を踏んで転倒した際に、地面に転がっていた撒菱をさらに全身に受けたものの、傷は浅い。撒菱を踏んだ傷を処理する沈鬱な表情の平次郎に、清太と弥蔵が挨拶したが、平次郎は無言のまま小さな一礼を返しただけだった。

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