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ダッフィージェット!

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羽田空港にて!

JOYFIT入会!

本日、JOYFITに入会! 台風11号が過ぎ去り、昨日昼前に屋外ランを決行したのですが、気温32℃で7km走って、バテバテになりました。また、その前の早朝6時頃にも屋外ランしたのですが、こちらは突然の豪雨に見舞われ、途中で引き返すという無念な結果でござる。 やはり、気候が過酷な季節は屋外ランよりも屋外の方が良さそうです。 ということで、以前、体験利用をしていたJOYFITへの入会を決意! 月会費が5千円少々と経済的な負担は大ですが、熱中症でダウンするよりはましなので…。 マシン関係は使い方がよく分からないこともあり、また基本的にはランしたいので、トレッドミルを中心に、少しだけバイクをかじりました。 テレビを見ながらのランというのも悪くはないですね。 ちなみに、トレッドミルを下りた直後のふらつき感って、凄いですね。 始めて経験したときは、転びそうになりました。

小豆島タートルマラソン(ハーフの部)にエントリー

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神戸マラソンに落選しました。初出場枠でもハードルが高いです。 小豆島オリーブマラソンの印象が、激しい高低差をのぞき、非常によかったので、今度は小豆島タートルマラソンにエントリーすることにしました。 小豆島タートル…は、抽選ではなく、先着順(入金順)なので、確実なのがよいですね。 フルにするか、ハーフにするか迷いましたが、厳しい高低差を考慮して、とりあえずハーフを選択! ということで、今日はハーフを走りました。 参考  香川県で見つけた工事用バリケードです。  うどん県らしい趣向でございます。  その他はサンポートの防波堤から見た高松と女木島の写真です。

トウモロコシが出来たー!

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今年もトウモロコシができました! 身が白めの品種なのかなぁ…。  去年は茹でたので、今年は、魚焼きグリルで焼いてみよー!

司馬遼太郎先生なら、昨今の集団的自衛権に関する議論をどのように語られるだろうか (その3)

抜粋終わり。 司空が思うに、"存立危機事態"などなど、新しい、あるいは、耳慣れない単語を使用するならば、その定義を明確にしておくことが、後世の日本国民に対する最低限の責務ではないだろうか。 この定義が中途半端のままだと、第日本帝国憲法第三十一条の二の舞になりかねない。 仮に、良識ある現代の政治家の方々や有識者の皆さまが未来永劫、その立場で良識ある判断をしていただけるならば、もしかしたら曖昧なままでもよいのかもしれないが、権力を持ち、行使する立場の人間が時とともに変わるということを念頭に置き、後世、悪解釈されぬよう、明々白々な定義付けをしておくべきではないだろうか。

司馬遼太郎先生なら、昨今の集団的自衛権に関する議論をどのように語られるだろうか (その2)

「事変ノ文字ハ仏語ニテ(インサルレクション)ト云フ」  (中略)  井上はさらに日本語で説明した。 「事変とは寧ロ戦時ニ属シ内乱又ハ暴民ノ蜂起スル等不時ノ事変ヲ云フモノナリ」  また、言う。 「政府ハ勢力ヲ以テ之カ鎮圧ニ従事シ人民ノ権利ヲ中止スルノ場合ニ云フモノナリ」  となると、"事変"というのは小規模なものではない。まずは日本でおこる可能性のないほどの大きいものである。山田法相は、 「いっそ内乱という言葉をつかったほうがはっきりするのではないか。」  といった。  この司法大臣は明治十年の西南戦争のとき、司法卿にいながらふたたび軍服を着、第二旅団をひきいて南九州で戦った経歴をもっている。  山田顕義が経験した内乱は、戊辰戦争では戦場が北日本と東北にひろがり、北海道におよんだ。西南戦争はその点、南九州を中心とした局地戦だったが、戦闘の激烈さは、類がなかった。非常大権が発動されるべき内乱とは、当然そのようなものだと山田はおもったにちがいない。  結局、採決の結果、原案どおり、事変になった。

司馬遼太郎先生なら、昨今の集団的自衛権に関する議論をどのように語られるだろうか(その1)

以下、『この国のかたち(司馬遼太郎先生著、文春文庫) 第四巻 81別国』より抜粋  この章は、昭和初期十数年間の"別国"の本質について書く。  "日本史的日本"を別国に変えてしまった魔法の杖は、統帥権にあったということは、この連載の冒頭のあたりでのべた。 (中略)  旧憲法的日本は、他の先進国と同様、三権(立法・行政・司法の三権)の分立によってなりたっていた。大正時代での憲法解釈では、統帥権は三権の仲間に入らず、「但し書き」として存在した。要するに統帥権は、一見、無用の存在というあつかいだった。さらには、他の三権のありかたとは法理的に整合しなかった。 (中略)  亡国への道は、昭和六年(一九三一年)から始まる。このとし統帥権を分与されている関東軍参謀らが、南満州鉄道の柳条湖付近で密かに線路を爆破し、それを中国軍のしわざであるとしてその兵営を攻撃し、いわゆる満州事変をおこした。 (中略)  この"事変"が日本の統帥権(参謀本部)の謀略からひきおこされたことは、いまでは細部にいたるまではっきりしている。  "事変"を軍部が統帥権的謀略によってつくりだすことで日本国を支配しようとしたことについては、陸軍部内に、思想的合意の文書というべき機密文書が存在した。 「統帥綱領」「統帥参考」  がそれである。(中略)  編んだのは統帥権の機関である陸軍の参謀本部であった。この書物は軍の最高機密に属し、特定の将校だけが閲覧をゆるされた。 (中略)  その本の中に「非常大権」という項目がある。  簡単にいえば、国家の変事に際しては軍が日本のすべてを支配しうるというものである。以下、直訳する。 「軍と政治は原則としてわかれているが、戦時または国家事変の場合は、兵権(注・統帥権のこと)を行使する機関(注・参謀本部のこと)は、軍事上必要な限度において、直接に国民を統治することができる。それは憲法第三十一条の認めるところである。この場合、軍権(統帥権のこと)の行使する政務'政治活動のこと)であるから、議会に対して責任を負うことはない。」  という。このみじかい文中で兵権と軍権という類似語がたがいに無定義に使われている。兵権も軍権もおなじ意味...