>_<あくまでも司空流の「こうかも」年表ですので、誤りがあっても司空は一切の責任はとりません。>_<
>_<ご利用に際しては、解説・注意をご確認の上、各人で十分に史実をご確認ください>_<
天文20年(1551)8月1日、長尾景虎が、天文19年に謀反した坂戸城主長尾政景に誓詞を送り、降伏する。//長尾政景は天文19年12月に謀反。//景虎は長尾政景が義兄であること、老臣たちの切なる助命嘆願があったので、許して臣下とした。
天文201年(1551)8月29日、大内氏重臣陶隆房が謀反の旗を揚げ、周防富田の若山城を出陣。午の刻(正午頃)山口に突入。杉重矩・内藤興盛らとともに法泉寺を攻める。
天文201年9月1日、大内義隆、陶隆房の叛乱・追撃により長門深川の大寧寺で自害。享年45歳。//武功夜話では天文18年9月1日に大内義隆が長門国大寧寺で自害とある。
天文20年12月、上杉景虎が、上洛の安全を確保するため、近江の六角定頼に太刀と鷹を贈る。
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