磁場の井戸:第四章 対岸(四)/長編歴史小説

 宗治は、そう遠くない所から木霊してくる鬨の声と鉄砲の音に耳を傾けていた。硝煙の香りは漂ってこない。ただ、音のみが宗治の想像を掻き立てた。城外との連絡を絶たれて十数日、これほど情報と言う得体の知れないものに枯渇した事は無かった。
 湖がこの城を取り巻くまでは、巷の噂や他国の伝聞などは当然の如く、また、時には、耳に煩く感じるほど、豊富に流れ込んできた。しかし、今、宗治は、生物が空気を欲するように、外との連絡を欲していた。
(一体、何が起こっているのか。)
宗治はあれこれと思案した。音の方角、距離、そして、巻き上がる黄色い砂塵の位置からして、日幡で何かが起こっていると言うところまでは察しがついた。しかし、それ以上の事に関しては、想像する材料さえも持ち合わせていなかった。
 日幡では、樽崎弾正忠が、城に向かって千丁の鉄砲の火蓋を切った。辺りには一斉射撃の轟音が鳴り響き、その後には、きな臭い硝煙の匂いが漂い、流れた。続けざまに鉄砲は鳴り響く。毛利方は、毛利家の一門とも言える武将が寝返ったということもあり、
(右衛門大夫だけは許すまじ。)
という隆景と元春の気迫が乗り移ったかのように、火を噴くが如く、日幡城を攻め立てた。その勢いは日幡城の城壁を貫き、城兵を次々と薙ぎ倒した。この様子を見た宇喜多勢は秀吉の弟であり、良き補佐役である羽柴秀長の陣に使いを走らせ、
「敵は小勢、打って出るならば、今でございます。備前勢のみをもって、日幡城を囲む敵を全て平らげてご覧に入れまする。また、日差山から小早川勢が来援しても、備前勢のみで弾き返します。もし、それを見た吉川勢が山を降りてきましたならば、そのときこそ筑前様の御旗本衆に御出陣いただきたく、さすれば、この戦、一気にケリを付けることができましょう。ぜひとも、出陣の御下知を、…。」
と宇喜多の将自ら、宇喜多勢全軍の出陣の命を求めた。
(兄者は動くまい。)
秀長はそう思いながらも、
(新参の宇喜多勢の心証を害しては、・・・。)
と考え、総大将である兄秀吉の本陣に一往の使者を出し、宇喜多の策を伝えた。
秀吉は使者の言葉に、時折、深く頷きながら、
(さもありなん。)
という表情で、耳を傾けていたが、使者が口上を終えると、間髪を置かず、こう返答した。
「我が胸に秘策有り。今は我が命に従うべし。」
使者は秀長に秀吉の言葉を伝え、秀長は宇喜多勢に待機するように命じた。
 城方は上原元祐が引き入れた宇喜多勢とともに、秀吉から救いの手が差し伸べられるのを待ち続けながら、必死に防戦した。しかし、毛利勢の勢いと圧倒的な火力、そして、秀吉からの後詰めがないことを知ると、城を捨てる事を余儀なくされた。元祐は、城を土産に秀吉方に寝返ってはみたものの、一日にして城を失い、身一つで秀吉の陣地に転がり込む結果となった。
樽崎弾正忠は、城を落とすや否や、隆景の命を受け、城に火をかけ、火の手が回るのを確認したのち、日幡の城には長居をせず、さっさと日差山に帰陣した。あたりには、焼け落ちた城と、周囲を燻る黒い煙のみが残っていた。

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