磁場の井戸:第五章 死神(一)/長編歴史小説


第五章 死神



 天正十年六月、既にこの年も半ばを過ぎた。初夏の陽光は容赦無く地面を焦がし、肌を突き刺すような鋭さで降り注いでいる。高松城は湖の水面から湧き上がる多量の水分を含んだ空気に包まれ、対岸の日差山からはぼんやりと蜃気楼の向こうに浮かんでいるようにも見えた。その湖面には先日来、新たに高い櫓を備えた三艘の大船がぼんやりと、まるで湖上の風に涼を求めるかのようにのんびりと浮かんでいた。その長閑とした外見とは異なり、城際に寄り付いた三艘の大船の櫓からは、時折耳を劈くような轟音と鉄砲の炸裂音が聞こえた。高松城の城兵達は身を隠す影も無く、頭上から降り注がれる砲弾の霰のもとに曝され続けていた。

 城内の兵は宗治の叱咤のもと、最後の力を振り絞るようにして応戦を試みていたが、あと数日もすれば、残る城兵達も足場を失い、湖の藻屑と消えざるを得ないまでに、湖水は上昇していた。それでも、城兵は水分を含まずに残っているありったけの硝煙、火薬を用いて、頭上に聳える高楼に向かって矢玉を放ち、船上から艀をかけ、城内へ突入しようと試みる寄せ手の侵入だけは頑なに阻み続けていた。

 日差山、岩崎山の毛利勢の陣地からも、城方の必死の防戦の様子と苦境が霞みの向こうに見えていた。高松城が既に落城に向かう最終局面に近づきつつあることは、味方の目から見ても明らかだった。

「どうする隆景。」

日差山を訪れた元春は山陽の総大将である弟に単刀直入に切り出した。堤防という構造物に絡め取られた高松城に対して、どうすることもできないということは、元春自身も頭ではわかっているものの、

(何とかせねば。)

という気持ちが元春の心を急き立て、呟きを洩らさせた。備中に到着した安国寺恵瓊が、秀吉との直接交渉を始めたものの、思惑通りに和睦が進まないことにも、元春は焦れていた。

 安国寺恵瓊は、秀吉の本陣を幾度か訪れ、秀吉の股肱であり謀臣である黒田官兵衛、蜂須賀正勝らと和睦の条件について、幾度かの交渉を持った。恵瓊は、度毎に隆景、元春に交渉の感触を彼なりの鋭い時勢眼で濾過し、報告した。恵瓊の見る秀吉陣営の考えは、

「筑前守本人の意思としては、高松城をここまで苦しめ、落城寸前まで追い詰めたからには、もうこれ以上の戦は無益であると考えているようでございます。ただ、君主信長がいる限り、筑前守が独断でそれを決めるわけにもいかず、信長にそれとなく、高松城の処断についてなどを相談しておるようでございますが、信長は断固として城と、そして、高松に集まった毛利軍を蹴散らし、中国を手中に入れる考えのようでございます。」

というものだった。その信長が中国を手中に収めるべく、嫡男織田信忠、明智光秀、細川藤孝・忠興父子らに出陣を命じ、信長自身も親征に向けて準備を始めていることは、街道筋においては、噂の域を超え、明白な事実として往来の人々の間で語られていた。

 ここまで、隆景、元春は、何とか和戦両天秤で、最終的には数ヶ国の割譲という恐らく信長や秀吉が考えていないような望外な条件で降伏的な和睦をすれば毛利の家名を残せると考え、仮に、三カ国の割譲でも七カ国、最悪五カ国割譲したとしても半分の五カ国は毛利家の所領として残ると計算していた。

(読みが甘いか。)

ここに到って、隆景は自分の読みの甘さを痛感した。他の戦国大名との優劣がすでに隔絶するに至った信長にとって、もはや満天下のいずれの勢力とも和睦する必要はなかった。信長としては、毛利家との和睦は単純な計算で五カ国以上の損になる。有り余る兵力の全てを投入すれば、中国十カ国が手に入るのである。

(そこを読み違えていたか。五年前の信長ならば、五カ国割譲で満足して和睦を選んだであろうが。)

一瞬過去を振り返り、隆景は後悔の臍を噛んだ。そんな隆景の前には、吉川元春、元長父子を始め、安国寺恵瓊、先の加茂城主桂広重など、備中に在陣している毛利家の大将格が居並んでいた。良策を見出せないまま沈黙が続く軍議に、最も若い元長が痺れをきらして、口火を切った。

「高松城はここより見ても、落城は間近かと。また、信長は既に中国に向けての出陣を号令したとの事、信長出陣となれば敵勢は今の数倍となることは必至でございます。敵を背腹に受け、しかもこちらが寡となれば、当方に勝ち目はございますまい。このまま、目の前の高松城を見殺し、兵力を温存したとしても、数倍以上の敵を受けては毛利家は立ち行き申さず。それならば、最後の望みを賭けて、信長が備中に出張る前に命を賭した戦を仕りましょう。」

吉川元春は息子の勇を可とした。

「事ここに到っては、致し方なかろう。毛利の名を辱めぬためにも、秀吉に一戦を仕掛け、乾坤一擲の勝負をしよう。隆景。」

元春は、決断を慫慂するように、隆景の方に視線を送った。元春の目線を追い掛けるように諸将の視線が隆景に集まった。

 隆景の隣にいた安国寺恵瓊が何か言おうとしたが、それに気付いた隆景は、恵瓊と元春、元長父子の不仲を察し、恵瓊にそれを言わせぬように噤んでいた口を開いた。

「元長殿の言いようもっともである。信長の馬印がこの備中に現われれば、数の上でも勢いの上でも、我が毛利家の敗北は間違いなかろう。こうなっては、いたしかたなし。眼前の秀吉だけでも追い払い、後のことは時勢に委ねるしかないかもしれん。元就公以来三代続いた中国の雄毛利家の名を辱めぬためにも、信長、秀吉に一泡吹かせてやらねばなるまい。」

言い終えた後の隆景の顔には備中に出陣して以来、最高に屈託の無い表情が浮かび、全てを吹っ切る事ができたという涼やかさが目元にありありと現れていた。その隣で恵瓊は浮かぬ顔をしている。しかし、毛利家の脳幹とも言える両川の意見は一致した。それは、この軍議が決した事を意味していた。

 軍議に参会していた諸将が日差山の陣を後にしたのち、隆景は改めて恵瓊を呼び戻した。

「お主には不服かもしれん。しかし、お主の手腕の発揮する段階は終わった。既に同盟・和睦を結ぶには信長が大きくなりすぎた。信長が本気で毛利家を潰そうと考えるなら、それは掌を返すよりも易かろう。これ以上の交渉は無意味でしかあるまい。こうなれば、毛利家の名を世に響かせるためにも、乾坤一擲の勝負を挑むしかあるまい。それが武門の誉れというものなのだ。分別せよ、恵瓊。」

恵瓊は納得し兼ねると言った風ではあったが、渋々と頷いた。

 恵瓊は卓抜した時勢観と渉外の手腕をもって、現在まで毛利家の舵の一端を担ってきた。間近に迫った信長の死さえも予言したその卓見は同時代の人間としては白眉と言えるだろう。しかし、隆景の目から見ると、恵瓊にはその衆に秀でた才能を誇りすぎるきらいがあり、また、その行動は、彼の出自とあいまって、毛利家に対する純粋な忠誠心から出ているというよりも、自分の才覚で世の中が転変していくことに至極の喜びを感じているように思われる部分があった。恵瓊のそういう部分を薄々と感じていた隆景は態度には出さないが、心の底では恵瓊を信用していなかった。また、武断派のうちでも特に若い元長、経言に到っては、

「舌先三寸のエセ禅僧め。」

と得体の知れない外交という一個の奇才を操る恵瓊なる怪僧を、汚い虫でも見るように毛嫌いしていた。

 今も、恵瓊は舞台で主役から引きずり下ろされた役者のように、苦々しげな表情で隆景と向き合っていた。

(恵瓊とは、そういう男だ。)

隆景は恵瓊が去った後、自分の不満を隠しきることができない、すなわち五欲を断ち切れぬ恵瓊の表情を思い浮かべながらそう呟いた。

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