磁場の井戸:第三章 水牢(九)/長編歴史小説

 小早川隆景は、周防、安芸、備後の勢二万五千を率いて備中高松を目指した。また、隆景の兄、吉川元春も、隆景の動きに呼応して、出雲、石見両国の勢一万七千を率いて、進路を南へ、備中表に進発するとともに、毛利家当主輝元も旗本一万騎とともに備中へ出師した。都合五万余、国境の留守の兵力を差し引くと、五万という兵力は毛利家が出しうる限界の動員力だった。
 その毛利勢が、五月二一日、備中表に馬を揃えた。
 隆景率いる山陽勢は高松城を真正面に臨む日差山の北東側の斜面に陣を布き、元春率いる山陰勢は日差山の西北方、日差山に連なって海鼠形の尾根を成している岩崎山に布陣した。その後方六里で、後詰として毛利輝元率いる毛利旗本衆一万が控えた。
 高松城に篭もる兵五千を合わせると、毛利勢は六万弱、これに対して秀吉率いる織田勢は三万五千、局地的に見れば、毛利勢は織田勢の兵数を上回っていた。兵数の上で優位に立ったことは否応なく毛利勢と高松城の城兵の士気を高めた。ただ、日差山の小早川本陣で膝を合わせて話している元春、隆景の両人は情勢を楽観することができず、悲壮に近い感情で高松城を中心に描いた絵図の前に座していた。
「この戦は五分五分かもしれん。が、ここで勝っても、我が方に余力は無く、相手方には有り余るほどの後詰が有る。局地戦に勝利することによって一時の利を得たとしても、その後、毛利家は滅びるのみしかあるまい。」
元春は苛立ちを腹の底に蔵し、低く圧力のある声で言った。隆景は、元春の言葉が終わるのを待って頷いた。
「確かに、この戦、大捷を得ても仕方がございません。今はじっと耐えて、風向きが変わるのを待つより他、ございますまい。」
隆景も声を落とした。二人は毛利家を安寧へと導くための参謀役として、冷徹な思考方法でこの戦を位置づけていた。二人の戦略は毛利本家の安泰という一点において悲しいほど、一致していた。その思考は、
(織田勢を蹴散らし、高松城とその中の将兵たちを救いたい。)
という生身の人間としての二人の感情とはほど遠いものだった。
 そんなことを知らない高松城の城兵達は、城の南西の日差山とその麓の岩崎山に翻る小早川家と吉川家の無数の旗を指差しながら、喚声を上げて喜びあった。城兵達には、足守川対岸に現れた毛利勢の姿が、湖に孤立した高松城を救うために光臨した権現のように映っていた。

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