磁場の井戸:第五章 死神(三)/長編歴史小説





 天正十年六月四日黎明、一頭の駿馬が高松城を囲む堤の足下あたりを西に向かって疾駆していた。馬上の武士の背中に結びつけられた竿の先には軍使であることを意味する黒い陣笠が、朝日を浴び、馬が揺れるたびに黄色を帯びた光を端厳と跳ね返した。騎馬は蛙ヶ鼻の秀吉本陣を発ち、薄い陽光の膜を切り裂くように日差山の小早川本陣へと向かった。



「安国寺西堂殿、当方へ御足労願いたし。」



使者は隆景の面前で跪き、主人秀吉の言葉を伝えた。



(何事か。)



隆景は突然舞い込んできた軍使の意図を察しかねながらも、断る理由を探すこともできず、また、その用向きを尋ねることもできず、なんら手掛かりを掴まぬまま、恵瓊をして羽柴秀吉の本陣蛙ガ鼻に差し向けた。



恵瓊は隆景の命を受け、蛙ヶ鼻に向かったものの、隆景と同様、この突然の使者の意味を解しかね、籠の中でその意のある所を彼是と思案し続けた。



 思案の熟さぬまま蛙ヶ鼻に到着した恵瓊は、黒田孝高、蜂須賀正勝の慇懃な挨拶を受けた後、早速秀吉の待つ幔幕の中に導かれた。床几に座している秀吉は、昨日までと異なり、初夏の早朝独特の冷涼な空気の中で、そこだけが大量の熱を宿しているような異様な覇気に包まれているように、恵瓊の瞳には映った。



「早速のお訪ね痛みいる。」



秀吉はそこで一端言葉を切って、二度ほど深い呼吸をした。そして、声を低め、自らの発する言葉の意味を噛み締めるようにしながら、冷静な口調で言った。



「一昨日、主人信長が逆心明智光秀により討ち取られ申した。」



恵瓊は一瞬にして顔面を紅潮させた。総身が絞られるかのように、体中の毛穴から汗が噴き出し、血液が逆流するような眩きを覚えた。



(天下が動く。この名を天下に轟かす日が来た。)



恵瓊は心の中で思い、跳び上がりたいような歓喜に膝の上で握りしめた拳を振るわせた。それでも、恵瓊は喜びの感情を表情に浮かべることはなかった。



(どのような事態に直面しても、傍目には冷静に見せる。)



安芸安国寺で禅の修行を初めて以来、現在まで、どんな局面においても心の平衡を失っていないように見せるという砥礪を続けてきた。ただ、あまりの事態の大きさに、恵瓊は言葉を発することを忘れていた。



 沈黙する恵瓊を見かね、黒田孝高が声をかけた。



「恵瓊殿、さればでござる。我等一同、毛利家との和睦を急ぎ実現し、都へと駆け上り、なんとしても逆臣明智光秀の首を挙げ、主人信長の恨みを雪がねばなりませぬ。そこで、和睦の御周旋を恵瓊殿にお願い申し上げたく、ここまで、御足労を願った次第でござる。」



恵瓊が拳を見つめる目線を上げると、そこには黒い輝きを秘めた孝高の瞳があった。恵瓊は孝高の眼の底に、自分と同種類の想いがあることを始めて感じた。



(天下をとる好機。)



孝高は瞳の奥底で、恵瓊にそう語りかけていた。孝高はこの早暁、その言葉を秀吉に耳打ちした。そのとき、秀吉はその言葉に対して黙然と俯いたまま、目尻を少し上げた。その瞬間から秀吉は熱い覇気を纏った。



恵瓊は黒田孝高の言葉と共に平静を取り戻し、毛利家の、そして、天下の使僧として、夢心地の意識の中から覚醒した。そして、その瞬間、自分の採るべき行動を、神速の回転をもって頭の中で計算した。



「御心中、お察し申し上げます。」



恵瓊は儀礼的に信長の死を悼み、秀吉の心を撫した。さらに、明智光秀の所行を義に悖る事であると弾劾し、秀吉に仇討を奨めた。そこまで演出した後に、恵瓊は主たる話題に入った。



「で、拙僧に和睦を周旋せよとおっしゃるが、その条件は如何に。」



黒田孝高は従前に秀吉と打ち合わせた通りの条件を提示した。



「北は伯耆半国を我が方に、南については高梁川を境として、それより以東をお譲りくださらぬか。それに加えて、高松城主清水宗治殿の首をいただきたい。」



毛利方がこれまで提示してきた『備中、備後、伯耆』の三国割譲に較べれば、毛利方にとってはかなり有利な条件といえた。



(勝利を得て、領掌の地、播磨へ凱旋する。)



という体を採りたいであろう秀吉にとっては、最低限必要と言える勝利の証である。



(主人、信長が殺されたため、仇討の為に備中の陣を払う。)



全軍に対してそう宣言することは、秀吉が率いる織田勢に動揺を与えるだけでなく、軍勢そのものが四分五裂に瓦解する可能性さえも孕んでいた。毛利家がこれを受け入れるかどうかは別にしても、この条件は秀吉にとって譲ることのできない下限の境界値と言えた。しかし、



(清水宗治の首)



ということだけは、恵瓊としても請け負いかねた。この一ヶ月余、絶望的な状況ながらも城を明け渡すことなく、前代未聞の水難を耐え忍んできた男である。その男に、追い討ちをかけるように、



(毛利家の為に首をくれ。)



などとは言えるはずもない。義を重んじ、信を尊ぶ、醇乎とした毛利家の家風に骨髄まで深く燻されている両川が、それを許すはずもなかった。



「伯耆半国、そして備中のことは拙僧が承った。輝元も承知致しましょう。しかし、清水宗治の首は、…。」



一度、言葉を切り、頭の中でゆっくりとその可能性を改めて考え直した後に、返答した。



「拙僧、承諾いたしかねます。一応、毛利本家、小早川、吉川に諮りはいたしますが…。」



言葉に詰まる恵瓊を見て、床几の上に座す秀吉が言った。



「清水宗治は、この戦、随一の忠義者ゆえ、毛利家としては、彼の者の命差し出すわけには行くまいが、当方としても城主の命もとらず、また、城兵全ての命を許すとなれば、戦の勝敗がつき申さず。それでは、我が軍の将兵どもが納得いたしますまい。ここは、ぜひとも宗治殿の首だけはいただきたい。たって、お願い申す。」



「何度も言うように、宗治の一命のことは、拙僧、御請けかねいたす。ただ、これより隆景のもとに戻り、筑前殿のお言葉のとおりお伝え申し上げよう。」



恵瓊は席を立ち、幔幕を出て行こうとした。そのとき、秀吉の口が再び動いた。



「儂が天下を取った曉には、毛利家と貴僧を悪いようにはせぬつもりじゃ。」



恵瓊は、人間の最も陰湿な感情の発するぬめりつくような視線を背中に感じながらも、聞こえぬ体で幔幕を後にし、小早川隆景の待つ日差山の陣所へと籠を走らせた。



 恵瓊は秀吉の陣を辞し、日差山の隆景本陣へと向かう途次、信長の死という突然降って湧いた事実を隆景たちにどう伝えるか、無言のままで考え続けた。



恵瓊は帰陣すると隆景の面前に座し、まず人払いを望んだ。しかし、元春と元長はその場に当然のように居残った。できることならば、外交という手練手管と計略の凄味、機微を知っている隆景と差しで話をしたかったが、この二人の同席に関しては恵瓊も云々言うことはできなかった。



 三人を前にして、恵瓊は隆景に『信長』という一個の怪物がこの世から消滅したこと、そして、秀吉が提示した和睦の条件を、宗治の首のことを意図的に取り除いて、伝えた。早速、声を上げたのはやはり若い元長だった。



「これまで当方からの和睦を蹴っておきながら、己の身が危うくなって、和睦を結ぼうとはムシが良すぎる。信長がこの世を去ったならば、もはや筑前に後詰はありますまい。また、信長の死で将兵が動揺することは必至でございます。これまでの恨みを晴らす、千載一遇の好機ではありませんか。幸い当方の準備は万端、明日、全軍を挙げて、織田勢に襲いかかりましょう。」



元長は、この突然訪れた戦機に声をあらげ、握りしめた拳を眼前に横たわる楯に叩きつけた。傍らの元春も腕を組み、息子の雄弁に耳を傾けていた。元春は無言でその場に存在し続けることで、自分の思いを表現しているようにも見えた。



直情径行に秀吉を討つことを訴える元長を横目で見ながら、既に隆景は冷静を取り戻していた。



(毛利本家にとって、どちらの選択がよいか。)



隆景はこの一念をもって、この事態に対すべき最善の策を模索した。隆景の心像の中に、一瞬、まだ見慣れぬ都に一に三つ星の毛利の旗が翻る姿が浮かんだ。



(父上の遺言を守らねばならぬのか、…。)



父毛利元就は死の床で元春、隆景と嫡孫輝元を枕頭に呼び、



「我が死後は、決して毛利の旗を京に打ち立てる野望を持つべからず。」



と遺言した。この情勢に至っては、この遺言を破棄することも非でないのでは、という想いが隆景の心を衝いた。しかし、



(今の輝元殿に天下を統べうる器量有りや。)



毛利の総帥の地位に有る甥輝元の才覚と野望に少なからぬ疑念があった。隆景は冷淡なまでの目と精密な天秤をもって甥輝元の器量を計りにかけた。しかし、輝元の器量は偉大な祖父から受け継いだ領土を守るのに汲々とする程度のものとしか思えなかった。



(俺が毛利の棟梁ならば、明智光秀と結び、秀吉を滅ぼし、さらには、京に上り、光秀に不義の汚名を被せ、これを誅討し、天下に毛利の名を響かせてみせるのだが。)



一瞬、隆景の中に武将としての野望が浮かんだ。しかし、頭を過ぎる野心も、益無い物と諦めざるをえなかった。



(ならば、毛利の家名を全くするために、如何にすべきか。)



隆景の読みでは、明智光秀はその義に劣る所業により、織田家の家臣の何れかにより、討たれることは必至と見えた。



(誰が、光秀を討つのか。)



隆景は記憶にある織田家の家臣団を思い浮かべた。眼前に堅陣を展開している羽柴秀吉、北陸で上杉景勝と交戦中の柴田勝家、甲斐武田家の滅亡後関東管領についた滝川一益、四国討伐の準備として摂津で兵の来着を待つ丹羽長秀と神戸信孝、この四軍団が光秀討伐の実力と名声を持っていることは容易に想像できた。そのうち、滝川一益は関東に下って時が浅く、まだ、彼の地の人心を掴んでおらず、戦支度が間に合わない。また、丹羽長秀と神戸信孝は京に近いという地の利を得ているとはいえ、今の所、兵力の集結に到らず、これもすぐには光秀に敵し難いと思われた。



(残るは、羽柴秀吉と柴田勝家。)



この二人は、現在保有する兵力、織田家中での実力、人望という点では伯仲していた。難を言えば、秀吉は信長の草履取りから成り上がり、その出自が怪しく、織田家譜代の家臣達がその命に従うかが疑問である。これに対して、柴田勝家は代々織田家の家老職を務めてきた譜代の家であり、現在は織田家の筆頭家老、織田家の家臣団の中では出自が明らかな方であり、織田家中のほとんど、特に武断派の武将たちが強く心服している。しかし、



(今、毛利家が手を差しのべてやれば、秀吉は勝家に勝てるかもしれん。)



秀吉が勝家との差を埋める為には、誰よりも先んじて京にとって返すことが、必須の条件であった。そして、光秀を討てば、その時点で秀吉の発言力は勝家を超えるものとなるだろう。



(ひょっとすると秀吉は主人信長の意思を継いで、天下布武を成し遂げるのではなかろうか。)



織田家には男子がいるが、嫡男信忠を除いては、ここまで膨張した織田家を継ぐだけの才覚はないというのが専らの噂であった。そして、その信忠も今はこの世にない。



 隆景は目の前の安国寺恵瓊の顔をちらりと見て、この僧が十数年前に届けた書状を思い出した。



「藤吉郎さりとてはのものに候。」



恵瓊は、信長の死を予言し、その死後は当時藤吉郎と呼ばれていた羽柴秀吉を推した。その後、羽柴秀吉は追い風を満帆に受けて快走するように、順調に出世し、今や中国に在って、毛利家との戦の総大将として、万余の兵を任されるまでに成長している。



 思案の醸成と同時に隆景はそれまで閉じていた瞼を上げた。それに気付いた元春が、隆景に発言を促すような目線を送った。隆景は、自分が導き出した結論を論じた。そして、最後に、殊更、強い口調で言った。



「それゆえ、秀吉に賭け、秀吉の天下取りを助け、毛利の家運を開くしかありますまい。」



それに威を得た恵瓊が隆景の意見を支えた。



「毛利家の安泰を図るには、秀吉に味方し、大恩を恵むのが最善の策でございましょう。」



しかし、若い元長にとって、和睦派の二人の意見はどうしても生温いものに感じられてならなかった。



「今、信長死去の報を敵味方に喧伝し、味方の士気を揚げ、敵の兵気を挫き、その後、この日差山より駆け下って織田勢を蹴散らせば、勝利は指呼の間にございます。足軽上がりの秀吉如きの下風に立ってまで、毛利家の安泰を図ろうとは、お考えが軟弱に過ぎませぬか。」



「元長。口がすぎるぞ。」



元春は、面と向かって隆景の姿勢を軟弱と非難する息子を制した。



「元長殿の考えもわかるが、ここで秀吉を討つことが何の益となろう。天下は応仁以来の乱世に疲弊している。今、秀吉を討ち取ることは容易であろうが、ここで、秀吉を討ち滅ぼしては、束となりかけた天下が再び修羅の巷と化すしかあるまい。」



隆景は甥を諭すような口調で言った。しかし、まだ元長の痼は癒されなかった。



「さにあらず、秀吉を討ち、その勢いを持って京に駆け上り、毛利の旗を都に立てましょう。さすれば、この毛利家が天下を制し、万民に太平の世をもたらすことができます。」



隆景に鋭い視線を飛ばしながら、元長は声高に言った。隆景は元長の言葉に一瞬表情を強ばらせた。周囲の人間には元長に対する怒りの表情にも見えたが、実は、その表情は隆景自身が自分の気持ちを偽らざるを得ないことに対するもどかしさの表情だった。



「元長殿、それはできぬ相談じゃ。我が毛利家は日頼様の死以来、天下を志すことは禁じられておる。また、わしは、今の毛利家に天下を統べうして、保ちうるだけの実力があるとは考えられぬ。」



隆景は元長を諭そうと、元就の諡「日頼」という固有名詞とその遺言を楯に、説諭を続けようとしたが、高揚した元長の心を沈静させるには至らなかった。議論がいつまでも平行線を辿るのを見かねた元春が元長を制した。



「元長、それくらいでやめておけ。お前の言うことにも理はあるが、隆景の言うとおり毛利家には天下を望むべからずという家訓がある。また、今の毛利家は天下を求むべき実力も有しておらぬ。今は、秀吉と和し、秀吉の天下一統に協力するしかあるまい。それが、今の毛利家にとっての最善の道であろう。」



ここに至るまで、秀吉に幾度も辛酸をなめさされた元春の言葉には、何人にも有無を言わせぬ威圧感が隠っていた。父元春と共に、戦場の往来を重ねてきたことで、父の言葉の奥にある口惜しい思いをわかりすぎるほどに感じることのできる元長は、鉛のような重い質感を持つ元春の言葉に抗うことを諦めた。この多感すぎる親子は、これまでの悔恨の念を噛み締めるようにして、首をうなだれた。元春の身体にも、隆景と同様、元就の遺言が染みついていた。元春は、秀吉に積年の恨みを晴らしたいという灼熱の感情を、その元就の遺言という巨岩の重みでもって抑えこむのが、精一杯だった。



「これで話はまとまりましたな。」



恵瓊が満足げな表情を浮かべながら、隆景に言った。隆景達には、その恵瓊の表情が己の才を振るえる舞台が調ったことを喜んでいるようにしか映らなかった。



(所詮、毛利家の安泰などは二の次で、単におのれの欲望を充足させるための道具としか、毛利家を見ていないのではないか。)



恵瓊以外の三人が、そんな思いを抱かざるを得ないほどに、恵瓊の表情は満足に満ちていた。



「恵瓊殿、それでは早速、筑前殿に和睦承諾の旨、お伝え願えぬか。猿掛山の本家にはこちらから、早馬を走らせることといたす。」



隆景が恵瓊の動座を促した。



「その前にもう一つ、筑前守からの和睦の条件がございます。」



恵瓊は口中の唾液を飲み込み、大きく息を吸い込んだ。そして、吸い込んだ空気の量とは比べものにならぬほどのか細い声で言った。



「筑前守は高松城落城の証として、城主清水宗治の首を所望いたしております。」



隆景は表情を改め、恵瓊の方に向き直り、すぐさま断言した。



「それはできぬ。断固として、宗治の命を差し出すわけにはいかん。」



元春、元長も賛同した。毛利家の信を繋ぐため、そして、宗治の忠義に報いるためには、これだけは譲れぬ条件だった。



「秀吉は、今、我等より一段低い場所にいるのだぞ。なぜ、此方が譲歩せねばならぬのだ。宗治の首を渡す事は断じて許さん。」



義士として、宗治を高く評価している元春は恵瓊に向かい激しく詰め寄った。元長も同様な意味の言葉を恵瓊に向かい、唾を吐くように叫んだ。二人の罵声が場の空気を支配していこうとするとき、隆景が二人の激昂を手で抑え、険しい表情のままで言った。



「恵瓊殿、このことを筑前殿に伝えていただきたい。毛利家としては宗治の首を渡すつもりは毛頭ない。もし、強いて宗治の首を所望とあれば、武家の習い、弓矢の事でケリをつけん、と。」



恵瓊は、予想していたとおりの両川の反応を、静かに見つめていた。自分が両川の立場でも、宗治の首は渡さないだろうとは思うものの、外交という高等な舞台に登った恵瓊には、



(宗治の首)



という一個の物質に対する隆景、元春、元長の執着が些末なこととしか思えなかった。



恵瓊は、先刻まで怒声を張り上げていた吉川父子の表情を視線で流しながら、隆景の方に向き直った。



「承知致しました。宗治の事だけは譲れぬ旨、しかと筑前守にお伝え致します。」



恵瓊は、腹中に一物を置いたまま、日差山の陣を後にした。あまりにもあっさりと退いた恵瓊の僧衣の背中に、隆景は少なからぬ不安を感じたまま、恵瓊を信じるしかないと諦め、幔幕を出ていく恵瓊の後ろ姿を見送った。

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