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親鳥と玉ねぎのスープ

【今回のレベル(あくまでも個人的見解)】 ・時間:★★★☆☆ ・手間:★★☆☆☆ ・技術:★★★☆☆ スーパーで親鳥が3割引になっていたので、早速購入して玉ねぎのスープを作りました。 【準備するもの(4〜5人分)】 ・親鳥…1枚(もも肉だったと思います) ・玉ねぎ…1ヶ ・大根…3分の1〜4分の1 【作り方】 ・中くらい大きさの鍋に水を六部目くらい入れ、火にかけます。 ・親鳥をだいたい5mm前後の大きさに切ります。親鳥は固いので細かく切っておいたほうが食べやすく、また、出汁もよくでます。 ・お湯がそこそこ沸いたら、切った親鳥を入れます。あくが出るようなら、1〜2度取り除いて下さい。 ・玉ねぎは少し厚目に千切りして、鍋に投入。大根は1cm前後のサイコロ切りにして、これまた鍋に投入します。 ・醤油とみりん、塩で味を整えます。 ・時間をかけて煮込むとオニオン風味がよく出ます。煮込み時間を少なくすると鶏風味が強いチキンスープになりますよ♪どちらも甲乙つけがたい味わいがありますので、機会があれば両方試してみて下さいねp(^^)q

950(1573)_==天正1年(元亀4年)==【旧版】

>_<あくまでも司空流の「こうかも」年表ですので、誤りがあっても司空は一切の責任はとりません。>_< >_<ご利用に際しては、解説・注意をご確認の上、各人で十分に史実をご確認ください>_<  元亀 4 年 (1573)4 月、天正に改元。  天正 1 年 (1573) ? 月、吉川元長が、旧名の元資から元長に名乗りを改める。  天正 1 年 (1573) ? 月、この頃の伯耆の有力者は南条氏。南条氏は佐々木源氏の庶流で、 14 世紀頃に南条氏の祖伯耆守貞宗が伯耆河村郡羽衣石に羽衣石城を築城したことに始まる。南北朝/室町期には東伯耆にまで勢力を伸長。羽衣石城から数㌔離れた長和田に城下町を形成。  天正 1 年 (1573) ? 月、織田信長が羽柴秀吉/武井某に命じ、小早川隆景宛に書状。小早川隆景から因幡/但馬の情勢について報告を受け、近日中に京都に入り、但馬出兵の日限を毛利方に連絡するという内容。 ⇒ この時期、織田信長は伊勢一向一揆の鎮定に当たっていたため実質上但馬出兵は無理だった。  天正 1 年 (1573) ? 月、山中鹿之助、立原久綱ら、織田信長に接見。>はじめ柴田勝家を通じて織田信長に援助を願った(同年 12 月 12 日付け安国寺恵瓊の書状より)とも、明智光秀を頼ったとも>最終的には、明智光秀を頼ることになり、明智光秀の先陣を命じられた>織田信長は尼子氏への援助を約しながら、毛利氏にはこれを断ったと回答。  天正 1 年 (1573)? 月、宇喜多直家、沼城から石山城に移る。 // この頃の直家は天神山城浦上宗景の重臣。亀山城を弟春家に守らせる。  天正 1 年 ? 月、宇喜多、毛利が同盟。  天正 1 年 2 月、足利義昭、織田信長に反旗を翻す。  天正 1 年 2 月 6 日、山城国岩倉の山本・渡辺・磯谷ら、織田信長に背く。  天正 1 年 2 月 10 日、山城国岩倉の山本・渡辺・磯谷ら、織田信長と戦うため、近郷に在陣。  天正 1 年 2 月 11 日、吉田兼見、明智光秀に使者をやり、陣中を見舞う。  天正 1 年、足利義昭,松永久秀・三好義継と和睦。  天正 1 年、織田信長,朝山日乗・島田秀満・村井貞勝の三人を足利義昭の所にやり,人

950(1558)_==永禄1年==(旧版)

>_<あくまでも司空流の「こうかも」年表ですので、誤りがあっても司空は一切の責任はとりません。>_< >_<ご利用に際しては、解説・注意をご確認の上、各人で十分に史実をご確認ください>_<  永禄 1 年 (1558)2 月、吉川元春が石見に進攻し、石見温湯城(城主小笠原長雄)を攻めるが、城方の抵抗が強い。>弘治 2 年に続いて再度進攻の形。  永禄 1 年、尼子晴久が本城常光を石見に派遣し、大森銀山の糧道を絶つとともに、尼子晴久自身も大田に出陣し山吹城を攻める。  永禄 1 年 (1558)6 月、尼子晴久が石見へ出兵。  永禄 1 年 7 月中旬、毛利勢が、尼子勢が攻められていた山吹城に兵糧を入れるようとしたところ、大田市川合の南方 1 里の忍原 ( オシハラ ) で、尼子勢と激突し、毛利勢が大敗>「忍原崩れ」と呼ばれる。  永禄 1 年 9 月 3 日、尼子勢が石見山吹城を落とし、本城常光を城将に任命し、富田に凱旋。  永禄 1 年 11 月、室町第 13 代将軍足利義輝と三好長慶が、六角義賢の仲介により、和睦。義輝が 5 年ぶりの入洛。  永禄 1 年 12 月、三好長慶が、将軍義輝とその腹心細川氏綱と和睦し、幕府相伴衆となる。実権は長慶が握り、義輝も氏綱は傀儡。

大胆!キュウリと大根のぶつ切りサラダ!

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【今回のレベル(司空なりの評価)】 ・準備:★☆☆☆☆ ・時間:★★☆☆☆ ・技術:★☆☆☆☆ 風邪を引いた娘が「キュウリなら、食べられる」と言うので、おつまみがわりの「キュウリと大根のぶつ切りサラダ」を作りました! 酢・醤油ベースのスッキリ味です! 【特に用意するもの】 ・キュウリ…2〜3本 ・大根…4分の1本くらい ・調味料は塩、醤油、酢、胡麻油です。 【作り方】 ・キュウリは1本をスティック状に細長く4本程度に切ったあと、手で長さ3〜4cmくらいに折ります。 ・大根もスティック状で長さ3〜4cmくらいに切ります。 ・少し深めの皿に切ったキュウリと大根を入れ、軽く塩をして、5分程度置いておきます。 ・お皿の中に水があれば水を切ったあと、醤油:酢=1:1くらい(酸っぱいのがお好みなら、酢を多目に。)の割合でキュウリと大根が半分程度漬かるくらいまで入れ、胡麻油を少々垂らしたあと、全体を絡めます。 ・以上で出来上がり。食べやすいサラダです。お好みで、食べる直前にしゃきしゃきの水菜などを載せるとさらに美味しいですよ(^^)d

【解説・注意】司空流こうかも戦国歴史年表

これまで拙者司空が歴史小説などを書いた時に関連する歴史上の出来事を疑わしいものなども含めて「こうかもしれない」という形の年表にしたものです。 あくまでも自己流の「こうかも」年表ですので、誤りがあっても司空は一切の責任はとりません。ご利用に際しては、各人で十分に史実をご確認ください。 いろいろな文献をもとに作成していますが、小説のもとネタということもあり、疑わしいものも含めて記載しています。(「疑わしい」などと記載しているもの以外にも疑わしいものがございます。) また、起こった月や日が分からないものについては、前後の出来事から推定するなどにより司空なりに順序を決めたりしていますが、どうしてもわからない場合はその年または月の一番最初にまとめて記載しています。 なお、年表の内容は不定期に更新していく予定ですので、誤りを発見された方は、差し支えなければ、是非、コメント下さい! 更新の合わせて、誤りを修正しますが、正誤表示などを行うつもりはございません。ご容赦下さい。

山口の温泉(パート2)と年明けラン

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 12/30の日置(黄波戸?)交流センター周辺ラン、12/31の湯谷湾温泉ランに引き続き、本日(1/2)、小雨の中、平成24年初めてのランを敢行(^_^)/  本日は、山口県豊田町にある一の俣温泉をベースキャンプにしてみました。  一の俣温泉、ここも俵山温泉といい勝負の情緒溢れる秘湯ですね。しかも、今回、ベースにした「一の俣グランドホテル」は小綺麗な感じでとても好印象。お風呂は室内に加えて露天風呂が二種類(普通の風呂と泡風呂)あり、露天風呂が好きな拙者司空としても大満足でした。また、露天風呂には打たせ湯もあって肩こりがほぐれました。(1枚目の写真は一の俣グランドホテルの外観です。)  さて、ラン開始。行きの車中でレトロな郵便局を見つけ、そこが一の俣温泉から片道4km強だったので、それを目標にランしました。  往路は下りだったのでペースが上がりすぎて途中で息切れしました。  目標の郵便局は二枚目の写真です。大正12年に建てられたそうで、ハイカラで上品な建物です。こんな貴重な建物がひとけの少ない場所に静かにたたずんでいるのが、とても印象的でした。これは豊田町の文化度の高さを表しているように思えます。屋内がどうなっているのか興味がありましたが、本日は正月三ヶ日ということで郵便局はお休みのため拝見することは出来ませんでした。  さて、一の俣温泉への復路です。帰りは上りになるので、無理をせず余裕のあるペースで走りきることができました。途中、雨足が強まり、最終的にかなり濡れましたが、その分、温泉の楽しみも倍増です。  一の俣温泉、是非、もう一度行ってみたい温泉です(^^)v  しかし、山口県は本当に温泉が多い!一の俣温泉の周辺だけでも、滝部温泉(漢字が間違っていたらごめんなさい)、豊田温泉、少し自動車で走れば、前回紹介した俵山温泉、湯本温泉など目白押しですね。

Happy new year(^_^)/

Happy  new  year, 2012! I wish this year will be very nice and happy for everyone. 旧年中は一方ならぬ御厚情を賜り、誠に有り難うございました。 本年も宜しくお願いします。 さて、…。 歳をとると一年が過ぎるのが本当に速いものです。 今年も一年頑張らないとね♪ 年末に書きましたが、今年はこのブログに司空流の戦国歴史年表を掲載したいと思い、現在、鋭意作業を進めています。 乞う、御期待!