峡の劔:第十一章 毘沙門天(1)

第十二章 毘沙門天

―羽柴秀吉が柴田勝家の戦術に異を唱えた揚げ句、北陸の戦場を無断で離脱した。
 清太と弥蔵は、摂津から越前への道中、そんな噂を聞き、将兵達の時ならぬ帰還に不思議な活況を呈する長浜城下に立ち寄り、竹中屋敷の門を叩く。
 案の定、重治は屋敷に居た。
 重治には、先行した伝輔が播磨、そして、山陽道の情勢を伝えているはずであり、清太と弥蔵は詳細な報告を割愛し、重治の問いに回答することに重点を置いて会話を進める。特に、黒田孝高の情勢分析と人物評について、重治は多くの時間を割いて質疑した。
 播磨周辺に関する一通りの会話が終わると、重治が話題を変える。
「筑前殿に北陸の戦陣から速やかに撤収するよう進言してはいたが、このような形で近江長浜に帰還するとは予想していなかった。」
 独言のように呟く重治の表情には苦笑が浮かぶ。
 北陸の戦陣にあった秀吉の胸中に、
―勝家が主張する野戦では謙信に勝てるはずがない。
という重く積もった想いが、
―北陸の戦場で手柄を挙げても、恩賞は勝家達北陸諸将のものでしかない。
という秀吉の感情の奥底に沈んでいた鬱屈と反応して、
―北陸の戦陣から退去するしかない。
という衝動を励起した。その過程において、秀吉の深層心理の中に潜在している、
―信長様は自分の考えを理解して下さる。
という甘えが触媒として作用していたのかもしれない。しかし、
「秀吉、無断退去。」
の一報を受けた信長は、周囲から見れば当然の反応として激怒し、安土城から遠くない近江長浜に帰還した秀吉に目通りさえも許さなかった。
 信長の思考方法を読み違えた秀吉は、予想とは全く異なる方向に推移していく状況の中で、
―信長様から見れば、自分の行為は久秀の天王寺砦退去と同質である。
ということに気付いた。
―信長あっての羽柴筑前守秀吉。
ということを骨髄に沁みると言っていいほど認識している秀吉は事態の収拾を図るべく、信長とその近辺に着実に手を打つ。
 重治は信長の対応を秀吉に任せて、次なる飛躍の舞台になるはずの播磨で、北陸戦線の大敗北により生じるであろう衝撃の伝搬とそれに伴う擾乱を極小化する施策を煮詰めている。
 重治の指示を待つ清太に対して、重治は、
―思案が定まらない。
という面持ちのまま、
「次の一手まで大原で待って貰おう。依頼があれば、こちらから繋ぎをつける。それまで少し休んでくれ。」
と、清太達に勧めた。
「ご配慮、ありがたく存じます。宜しければ、一つご相談したいことがあるのですが、…。」
 重治が、真剣な表情の清太を見ながら、首を傾げる。
「峡の事情でございます。少々大原を離れることがあるやも知れませぬ。その際には嘉平に伝言していただければ、わたしに繋がるよう計らっておきます。」
 重治は、清吾からも聞いたことがない「峡の事情」という表現に、強い興味を示す。
「峡で何かあったのか。」
 清太は、
―あくまで我々の私事でございます。
と前置きして、兎吉と御劔を巡る大筋を語った。
 事情を聞き終えた重治が細い顎を少し上に上げて虚空を見つめながら、何かを思い出すような仕草をする。
「慰労も兼ねて夕餉を馳走しようと思っていた。それまで、少し御劔について思案してみる。」
 重治は清太に言ったあと、再び、虚空を見上げた。

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