峡の劔:第十二章 毘沙門天(2)

 夕刻、屋敷の一室で、清太と弥蔵が重治と対面する形で夕餉を取る。
 重治が箸を進めながら、二人に切り出す。
「七星剣という呼称を聞いたことはあるか。」
 重治は心の奥底に沈澱していた記憶を掘り起こしながら語る。
「私が清太と同じ年頃のことだ。奈良の古刹に所縁があると言う旅の老法師が菩提山城下に逗留したことがあった。諧謔や古(いにしえ)の伝説を交えながら青空の下で法話する老法師は城下で話題になり、わたしも老法師の説法を聞くため、何度か城下に足を運んだ。その雑話の中に七星剣と呼ばれる霊剣の伝説があった。」
 清太と弥蔵が箸を止めて、聞き入る。
「この国には鎮護国家、破邪顕正を司る幾振りかの霊剣が伝承されているそうだ。邇邇芸命(ににぎのみこと)が天孫降臨の際に天照大神に授かったと伝えられる神剣「天叢雲剣」もその一つだ。」
 重治曰く、老法師によれば、天叢雲剣とは別に天皇家には二振一対の「陰陽剣」と称される鎮護国家の霊剣が伝承されていたという。「陰陽剣」は聖徳天皇の御代まで奈良正倉院に収納されていたが、その後、いつの頃か、剣そのものとともに、この国の正式な記録からも消滅した。しかし、「陰陽剣」は今でも何人(なんびと)も知らぬ場所でこの国を鎮護していると言う。
「真偽はわからぬぞ。」
 重治は念押しした上で、続ける。
 この鎮護国家を司る「陰陽剣」に相対する破邪顕正の覇剣として、
―七星剣。
と名付けられた七振の霊剣があり、こちらも正倉院に納められていたと伝えられる。七星剣は、称徳帝の御世に正倉院に納められていた数多の宝剣とともに、「藤原仲麻呂の乱」を鎮圧するために出陣した当時の官軍称徳帝側の将兵によって単なる武器として持ち出され、仲麻呂の乱が鎮圧されたあとも、正倉院から持ち出されたまま他の刀剣とともに消息を絶った。
「御劔の刀身には大小七つの澄鉄(すみがね)が浮かんでいます。」
 清太が、峡衆のみの知る御劔の特徴を、説明する。
―七星剣の中の一振りが紆余曲折を経て平氏に渡り、さらに、阿波の秘境で静かに眠っていたのかかもしれない。
 重治は自身で語りながら、歴史の織りなす不思議な奇縁に酒分の高い液体を飲んだような眩きを覚える。
「その覇者の剣を、今、誰が欲しているか。」
 重治は自分自身に問い掛けるように、また、清太と弥蔵に問答を仕掛けるように呟く。
 清太が想像を巡らせる。
「例えば、摂津石山御坊の顕如は如何ですか。」
 重治は首を横に振る。
「おそらく違うな。怪力乱神を語らぬ浄土真宗の法主とその取り巻きが霊剣に頼るようなことはあるまい。」
 清太は思い付くままに大名の名前を挙げていく。
「毛利氏には保守的な遺風が濃く、当代輝元やその補佐役で両川と並称される吉川元春、小早川隆景は現状維持に汲々としており、覇者の剣などには興味を示すまい。」
 重治が続ける。
「北条氏は自領関東の経営と領土拡大に注力するのみで天下国家の経営に参画しようなどという身の丈に合わぬ野望は持っておらぬ。」
 重治は頭脳の中にある情報と知識を分解し、組み合わせながら、それらを何度も折り返し、回転させることで、表裏や前後左右、様々な視点で諸大名達を批評することを楽しんでいるようにも見える。
「上杉は如何でしょうか。」
 清太の回答に重治が微笑を浮かべる。
「謙信は毘沙門天に深く帰依していることはよく知られている。毘沙門天は密教十二天のうち北方の守護を担う。七星は北斗、その名を冠する剣は毘沙門天の力を宿す霊剣。想像としては面白いと思わぬか。」
 微笑を湛えたまま語る重治の眼は真剣である。
「手懸かりが何もないのであれば、謙信、または、謙信と手を握りたい勢力の周辺を探るのも峡の御劔に近付く道の一つかもしれぬ。」
 重治が微笑を納める。
「もう一人、わたしが知っている武将に毘沙門天の数寄者がいる。清太、分かるか。」
 清太が苦吟するように想像する限りの武将を並べていく。重治がその様子を見て、小さく手を差し伸べる。
「独尊の姿である毘沙門天のもう一つ姿を知っているか。」
「四天王の一天、多聞天です。」
 重治が大きく頷く。それでも清太の脳裏に正解は浮かばない。
「多聞山城を築城し、さらに、現在、信貴山に城を構えている久秀だ。久秀はもともと眉間寺山と呼ばれていた丘陵にわざわざ多聞天を祀り、多聞山と改名した上で城を築いた。また、信貴山にある朝護尊子寺の本尊は毘沙門天。あの久秀に信仰心があるとはとても思えぬが、毘沙門天と何かの縁(えにし)があるのかもしれぬ。」
 重治は言葉を切り、
「全てはわたしの想像だ。半ば冗談と思って聞き捨ててくれてもかまわぬ。」
と、破顔しながら、締め括った。

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