峡の劔:第二章 悪党と娘(4)

 話柄が尽きたところを見計らって、清太が、
「あの娘のことですが、当面の間、この屋敷で預かってはいただく訳には参りませぬか。」
と、嘉平に持ち掛ける。今日の道中、弥蔵と話し合った結果であり、このことに強い想いのある清太が嘉平に切り出すということにしていた。
 嘉平は、
「内向きのことですので、わたしの一存では決めかねます。」
と言って、台所に下がった於彩を部屋に呼び戻し、事情を説明する。
「宜しいですよ。」
 於彩は迷いなく快諾する。嘉平は隣に座る妻の豪気な性格に改めて関心しながら、
「家内が良ければ、わたしに異存はございません。娘さんをお預かりしましょう。」
 清太と弥蔵が改めて頭を下げる。
「でも、娘さんをお預かりするにあたって、一つだけお願いがございます。仮でも結構ですので、お名前を付けてあげて貰えませんか。」
 於彩が提案すると、全員が賛同する。
 於彩が娘を呼ぶ。清太が事情を説明すると、娘が小さな唇を開く。
「見ず知らずのわたしにお情けをかけていただき、ありがとうございます。記憶もなく、名前もわからず、行く宛もございません。何でもお手伝いいたしますので、納屋の片隅なりともお貸し下さい。宜しくお願いします。」
 丁寧な言葉遣いが娘の出自の良さを感じさせる。
「色々とあったようですが、当分の間、安心して、ゆっくりお過ごしなさい。でも、一緒に暮らすのに名前がないのも不便です。どのように呼んだら宜しいかしら。」
 於彩の言葉に娘は困ったように周囲を見回す。清太が、
「わたし達の故郷に吉野川という大河があります。その名前を取って「よしの」ということで如何でしょうか。」
と言った。娘は記憶が戻るまでの間、
―よしの。
と呼ばれることになった。

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