第十七章 信貴山(2)

 天は高い。
 清澄な秋空の中天を太陽が通過する。
 信貴山城を囲む織田軍が、色とりどりの軍旗を秋風に揺らし、燦々と降り注ぐ陽光を煌びやかな甲冑で弾き返しながら、にわかに動き始める。
 織田勢の先鋒と思しき無数の将兵が城柵と一定の距離を取りながら、幾重にも堵列して、厚い人壁を形成していく。万余の軍勢は見る者の胸を締め付けるような緊張を周囲に放射する。
 深夜の行動に備えて樹上や木陰で休息していた五人が、信貴山の足下から沸き上がる異様な気配で、誰ともなく地上に集まる。
 間をおかず、法螺貝、太鼓が一斉に鳴り響き、盾を並べた先鋒が密度の高い集団となって、大地を震わせるような武者押しを発しながら、進軍を開始する。織田軍の中央で総大将信忠の馬印「桝形に金の切裂」がゆっくりと動き始める。
 信貴山城を取り巻く風雲が、短兵急を告げる。
 許嫁幸と両親の命を奪った藤佐への怨念が心中に渦巻く平次郎が、
「総攻めが始まった。急がねば、…。」
と、焦燥を前面に押し出しながら、清太を促す。
「御劔があるとすれば、おそらくは久秀の籠る本丸。城柵の破れに乗じて、城内に侵入し、本丸に忍び込みましょう。」
 亥介が平次郎の感情とは異なる視点から、冷静に献策し、清太がそれを採る。
 五人は疾風に姿を変え、翔ぶように駆け出す。

 織田軍が生駒連山に鯨波を響かせながら、城柵に迫る。
 清太達は織田軍の最後尾で一旦停止し、雑木林に身を隠して周囲を探る。暫くすると、織田軍の後方を哨戒する十人ほどの雑兵が、清太達の視界に入る。雑兵達が眼前を通過した瞬間、清太達は一斉に雑木林から躍り出し、次々と当て身して全員を気絶させ、樹叢の中に引き摺り込んで、具足、陣笠などを剥ぎ取り、そのまま着込む。さらに、気絶したままの雑兵達に眠り薬を嗅がせ、手近な樹幹に固縛して身動きを封じた上で、一群となって前線へと走る。
 外曲輪を猛然と攻め立てる織田軍の最先鋒と、必死に抵抗する城兵が城柵を挟んで激しく揉み合う。双方の怒号、干戈の響き、鉄砲の炸裂音が響く中、亥介を先頭にした五人は一塊を維持しつつ、織田軍の先鋒に跳び込む。
 最前線にいる織田兵は城門、城柵に取り付こうと、降り注ぐ矢玉、落石、さらには転落する味方の将兵に脇目も振らず、一心不乱に信貴山の急斜面を攀じ上る。
 合戦経験の浅い清太の眼で見ても、功にはやる織田軍の攻撃は凄まじい。
 城柵の一点で、突然、一際大きな喊声が起こり、信貴山城の城郭全体に波動となって伝播する。
―柵が破れた。
 城柵の内部に侵入した織田兵が周囲の城兵を蹴散らし、内側から城門を抉じ開ける。開門を待ち構えていた多数の織田兵が八の字に開いた城門へ怒濤となって流れ込む。
 その集団のやや後方に位置取って城内侵入の機会を窺っていた清太達五人は一塊のまま、城内へと雪崩れ込む人馬の奔流に躍り込み、周囲の織田兵と摩擦、圧縮を繰り返しながら、流されていく。
 城門が形成する狭窄を通過すると、人馬の流路が急拡して周囲との抵抗が減少する。織田兵の大半が速度を落として周囲への警戒を強めつつ、功名に繋がる良き敵を探し求めるのに対し、清太達は逆に加速して、織田兵の流れの中心軸から離脱し、亥介を先頭に信貴山城の内曲輪、則ち、天守へと続く急傾斜の山径を駆け登る。
 途中、幾度か城兵と行き違う。外曲輪の城兵は既に落城が近いことを知り、自分達に危害を加える気配のない清太達を見ても、敢えて咎め立てるようなことはしない。
 亥介は天守が聳える内曲輪の城門とそれを警護する城兵を視界に捉える寸前、道を逸れて脇にある灌木の影に飛び込む。他の四人も、亥介に続き、灌木の影に身を隠しつつ、城門の反対側へと移動し、内外の曲輪を区画する石垣と城壁に辿り着く。亥介が城壁際まで枝を伸ばす喬木に取り付いて、その幹を足掛かりに城壁に上り、内曲輪の様子を素早く確認したあと、跳び下りる。全員が亥介に続く。
 清太達が着地した内曲輪の一隅は、周囲の喧騒から取り残されたように、城兵の気配と注意が希薄である。無論、亥介は入念な下調べに基づき、時々刻々と変化する状況を的確に読み取りながら、より危険が少ないと思われる経路を選択し、この場所に至っている。
 清太達は、亥介の誘導で天守の周囲に植え込まれた弱齢の灌木群に身を隠しつつ、匍匐して四層の天守へと近付く。しかし、灌木群は視線のすぐ先で尽き、その向こう側に信貴山城の天守と、その足下を固める選りすぐりの城兵達が見える。彼らは既に外曲輪に敵兵が侵入したことを知り、緊張を高めつつ、統制を維持したまま、整然と隊列を組み、無言で敵を待つ。
 清太は、死を覚悟した城兵が発する異様な殺気に、肌を粟立たせ、
―仁義礼智信、いずれも持ち合わせぬ久秀に殉じようという将兵が、これほどもいるのか。
と驚嘆するとともに、心の別の部位で、
―峡まで落ち延びた祖先達も、この城兵達と同じような悲壮と絶望の中にいたのかもしれない。
と、自分の生まれる遠い以前に想い馳せたが、すぐに眼前の現実に戻る。

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