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鴨の家族は共同生活?

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最近、自宅の近所の川で、通勤時や朝ランの途中に、鴨の家族を見かけます。 親鴨らしき鴨が4-6羽、子鴨っぽいのが4-8羽ほど川の中を悠々と泳いでいます。 あと、おまけではないですが、白鷺がいつ1羽、近くにいます。 鴨って面白いですね。 1羽が水面に頭を突っ込むと、周囲の鴨も同じように頭を突っ込みます。また、泳ぐときはいつも何羽かが群れを作って動きます。 あと子ガモ達が固まって遊んでいると、なぜか白鷺がそっと近づいてそこに頭を突っ込みます。子ガモがいるところに餌があるとおもっているのでしょうか? そうだとすれば、白鷺くんはサボりすぎですね。 さて、この鴨くんたちですが、どうみても親ガモが複数ペアいるような気がします。 鴨くんたちは共同生活するのでしょうか? はた目に見ていると、親同士が友達で、子供同士で遊んでいるような感じに見えました。 ちなみに、鴨の夫婦は仲がよいですね。本当に、片方が何かをすると、もう片方が同じ行動をします。 朝ランの途中に鴨くん達の写真を撮ってみました。 右端の方にサボり屋の白鷺くんも映っているの、分かります?

虎の肝(一)/歴史小説

虎の肝 北白川 司空 一人の権力者が発した一通の書状から、物語が始まる。 太閤様為御養生、可参御用候虎を御取候て、鹽能仕置可有御上之由、御意候、皮者此方不入候間、其仁へ可被遣旨被仰出候、頭肉腸何も一疋之分御沙汰候て可被参候、恐々謹言 (文禄三年)十二月廿五日 権力とは、その頂点に存在するたった一人の人間と、それに迎合し、追従する無数の人々によって成立する。どちらの一つが欠如しても、物質としては無機的な、それでいて人間が集団になったときにだけ有機的な意味を持つ、 -権力。 すなわち、 -権(かり)なる力 は、形作られることはない。 権力の風景は、幾重にも連なる山脈に例えることができるかもしれない。山脈は数々の山頂を有する山々の集合体である。山々はそれぞれに高低差をもち、固有の姿を持って地形を彩る。独自の形を持って偉容を湛え、幾重にも折り重なる山々は、身を寄せ合うことにより始めて一つの山脈を作り上げる。山脈の最高峰が最も強大な権力を持つ者とすれば、高低の差はあれ、最高峰に従属する数多の山々はその権力に巵従する従者に過ぎない。そして、最高峰を含む全ての山の頂は、重力に逆らわない程度の勾配を保つ土岩によって、その足下を支えられている。どの山の頂も、それを支持する大量の土塊なくしては、存在することさえも不可能であり、また、土塊あるところに必ず有限の高さを持つ頂が生まれる。そして、土塊達は自分たちが保持している頂が高ければ高いほど、その量を級数的に増大する。そんな土塊達に支えられた幾多の山頂が、集団を成し、地理的な意味での山脈を形成する。 天工の山脈はそのように形容できるが、人工の権力は常に厄介な地殻運動に悩まされ続ける。山岳を成す土塊は、自らを礎として成る山塊に強い誇りを感じながら、時に集団として、時には個人として、常時、今在る高度よりも上を目指し、他の土塊を押し退けて山頂に近づこうと、他の多数の土塊を唆し、それを貶める。そういう欲望が過剰に膨張したとき、人はあわよくば自らが山頂たらんとし、山頂を含んだ大崩壊を生ぜしめる。また、山頂に居て山脈の最高峰を羨望の眼差しで仰ぎ見る者たちも然りである。 冒頭の書状の発端は、そんな当時の日本という山脈の最高峰たる豊臣秀吉の山裾、海抜にすればほぼ海面に近い位置にある土塊の中の微少な土の粒子程度が発した個体としての

虎の肝(二)/歴史小説

その書状は、厳冬の日本海の波濤を乗り越え、文禄四年(一五九五)一月、朝鮮に外征している諸将に渡った。 それを受け取った武将の一人に、大隅一国一七万五千石の太守島津義弘がいた。実兄であり、薩摩一国の太守である島津義久とともに、鎌倉時代から脈々と続く名門島津家の頭領の地位にいる勇将である。 秀吉の天下統一以前には、島津家も、他の戦国大名と同様、その覇権を握るべく、国を富まし、兵を強くし、領土の拡大に邁進した。天正一三年(一五八五)には、長年の宿敵であった筑後の大友宗麟、肥前の龍造寺隆信らを抑え、ほぼ九州一円をその手中に収めるまでに雄張していた。 しかし、九州制覇を目前にして、脆くも夢は崩れ去った。非業に倒れた乱世の英雄織田信長の遺志を継ぎ天下統一の野望に燃える豊臣秀吉が、島津に臣従を求めるべく、薩摩に使者を差し向けた。 「鎌倉以来続いたこの島津家が、氏素性もわからぬ秀吉が如き卑賤の者の下に着けるか。」 真偽のほどは知らず、島津家の祖は源頼朝が九州に逃れてきたときの落胤であるという伝説があった。そんな家柄に対する誇りと九州をその版図に加えるほどの力に対する驕りが、義久と義弘の時流を読み取る触覚を鈍らせ、草履取り上がりに過ぎない秀吉に臣下の礼をとることを肯わせなかった。 島津からの返答に秀吉は激怒するよりも、時勢を感じることのできぬ田舎者に対する愁雲を覚えた。しかし、天下統一の野望に燃える秀吉にとっては、その覇業への道程を阻もうとするものに斟酌の余地は残されていなかった。秀吉は、島津家を倒し、九州をその傘下に収めるべく、近畿、中国、四国の大小名に出陣を触れ、兵二十万を動員し、天正一四年(一五八六)九月、九州討伐を命じた。 当時、この国で最も剽悍な種族の一つとされていた薩摩隼人達は、義久、義弘という二人の名将に率いられ、一騎当千の働きで、一時は数において大いに勝る秀吉軍の先鋒を押し返すという凄まじい戦功を立てた。その情勢を見て、天正一五年(一五八七)三月、ついに秀吉は、自らの本隊二五万を催し、その居城大坂城を発ち、九州征伐の途についた。 島津家の全兵力が五万、秀吉の動員した兵が公称五五万、すでに兵力は懸絶していた。秀吉の九州着陣以降は、石礫が急坂を転落していくように島津家は負け戦を重ね、本領薩摩・大隅二国に追い詰められ、天正一五年五月、ついに秀吉に膝を屈した。

虎の肝(三)/歴史小説

義弘は秀吉から届いたその書状を開いて、明らかに顔を顰めた。 -何かが変わった。 天下統一の野望に燃えていた往時の秀吉から発せられていた端厳しい光彩を思い返しながら、胸中で呟いた。それは、天正一九年(一五九一)に秀吉が朝鮮出兵を大小名に命じたときから、義弘の腹中に蟠(わだかま)るように残り続けていた想いの再来だった。 -いったい何を考えているのか。 秀吉が天下人への階を昇っていた頃、義弘はその打つ手の全てに対してその辣腕ぶりを、時に嘆息を洩らしながら、時には手を打つようにして賞賛した。しかし、天下人の地位に昇り、老耄と言えるまでに衰弱した秀吉から発せられる様々な命令は、愚にもつかぬ代物ばかりだった。 -人間とは、人生の目標に達したとき、その人格の輝きの頂点に達し、以後は衰えていくしかないのかもしれぬ。 義弘はこの頃の秀吉の振る舞いを想うたびに、そういう想いを抱くようになっていた。 義弘は書状を破り捨てたいという激しい衝動が喉元に湧き上がってくるのを懸命に抑えた。その衝動を堪えて主君秀吉の命に従うことのみが、その庇護にある自分とその家臣達という一つの山岳が生き延び、成長してゆく唯一の道であることを彼は知ってしまっていた。 -このような下らぬ命は肯諾できぬ。 義弘は、そういう毒薬のような感情に対する体内の拒絶反応が発する苦痛を、自分の配下の者達に代わって、堪え忍ばざるをえなかった。 義弘を始め豊臣政権という精密機械にも似た権力構造の中に組み込まれている大小の歯車達が、秀吉という最も重要な歯車に微妙な狂いを感じていた。 -秀吉という歯車は、長年月の旋回で摩耗し、風雪に侵され、古寂びているのかもしれない。 多くの武将は秀吉という歯車がどこかと噛み合うたびに発する異様な振動を感じ、そんな想いを抱いていた。 その振動は、 -秀吉の愛児棄の死を慰めるために加藤清正が朝鮮征伐を言い出し、秀吉が歓喜した。 とか、 -宇喜多秀家がそれに迎合した。 とか、口性ない殿中の噂が巷間に流布されるごとに急速に振幅を増大していった。そういった大小の噂を含め、秀吉とその周辺から発せられる様々な事柄に多少の違和感を覚えながらも、権力という傘の下に屯する者達は、周りの人間の顔色を窺いながら、権力者の命じるところに従わざるをえなかった。皆、自分を含めた集団の心の奥底に言葉に

虎の肝(四)/歴史小説

義弘は、微笑の刻み込まれた鋼の仮面を自らの表情に被せて、意気揚々と日本六十余州一の勁悍を誇る薩摩隼人のうちでも特にその名を家中に知られた兵士達を虎狩りのために厳選した。 虎狩隊に選ばれた精鋭は、大将格の上野権右衛門をはじめ、『突きの次郎兵衛』の異名を持つ安田次郎兵衛、無足衆の帖佐六七ら、いずれもその武勇を家中に轟かす薩摩隼人ばかりだった。 義弘は、虎狩隊一行の出陣に当たって、その士気を鼓舞するため、自らの前に彼等を呼んで激励した。 「薩摩隼人の名を世に知らしめるためにも、太閤殿下御所望の虎を頼むぞ。」 虎狩りという奇妙な役目であるにもかかわらず、この剽悍な薩摩隼人達は、何ら疑問を感じることなく、その役目を享受した。彼らにとって、限りなく神に近いと言っても良いほどに義弘は崇敬な絶対的存在であり、その言葉に疑問を差し挟むなどという思考の方法を、生を受けて以来、学んだことはなかった。幼少から体中に刻み込まれた薩摩武士道という名の洗脳にも似た思想教育は、彼ら薩摩隼人に主君の命令を絶対とし、隼人の名誉のためには死することさえも厭わない封建的価値観を強いた。 人間という群れることでしか生きることのできない生物は、集団として一つの激越な教えを受けたときに、その教える所、換言すれば自らの存在の意義に反する人間を、異物として排除しようとする悲しい習性を持っている。その性は、教えそのものが激越であるほど人間の集まりである集団そのものを思想的に純度の高い結晶へと凝縮させ、集団という物質の中に溶け込んでいる人間達の自意識と自己愛を過剰なまでに膨張させる。 義弘の言葉と薩摩隼人であるという結晶度の高い自意識は、そういう教えにより鍛造された虎狩隊の面々の全身に溶岩のような熱い血潮を駆け巡らせ、彼等の顔面を紅潮させた。

虎の肝(五)/歴史小説

このとき、島津勢は朝鮮半島の南端、唐島(巨済島)に陣を据えていた。朝鮮半島は既に、厳冬の峠に差し掛かり、凍え、身体の末端を失うかと思えるほどに寒冷だった。義弘五九歳、当時としては老境であり、北の異国の凛然たる寒気は老骨の節々を音を立てて軋ませるほどに寒い。それは薩摩という南国で育った隼人たちにとっても同様だった。 そんな極寒の中、虎狩隊一行は、その厳寒を忘れるほどの高ぶった興奮を保ったまま、唐島の僻陬、人煙などは皆無と言ってもよい島の北部、原野と呼ぶに相応しい野生を残す昌原の地へと向かった。その辺りは、土地の者ならば懼れて近づくことも避けるほどに古来より野生の朝鮮虎の生息地として知られており、彼等にとっては恰好の狩り場といえた。 権右衛門をはじめとする虎狩隊は雪の荒野を彷徨い、目指す敵を探し求めた。冬の異国の枯れ野を、人の踏み入れた痕さえもない山中に分け入り、虎の水場になりそうな所など、足が棒になるほど野獣の影を探し続けた。しかし、こちらが探すほどに、虎は巧みにその姿はおろか、生息の痕跡さえも残さなかった。 -追えば逃げる。 虎狩りを始めて三日目、獲物の姿を捕捉することさえもできぬ虎狩隊に焦燥の色が見え始めた。一行は、主君の命を忠実に行うという使命感のようなものに苛まれながら、心血を絞るように、そして、五感を研ぎ澄まして虎の姿を求めた。しかし、それでも虎は見つからなかった。皆、 -虎を獲るまでは戻ることはできぬ。 という悲壮な決意を胸に秘め、 -万一、虎を見つけることができねば、この原野で腹を切る。 という覚悟が、同一の思想により彫琢された彼等の心中に、暗黙の内に芽生え始めていた。そんな窮地に立ち始めた時、権右衛門が一計を案じた。 -こちらは、待てばよい。 考えれば、ただそれだけのことだった。冬枯れの一本の木の幹に囮の子牛を繋いだ。一同は虎から気取られぬよう、子牛が犬の大きさに見えるほどの距離を置き、灌木に身を隠して待った。 子牛の臭いに釣られるようにして容易に敵は訪れた。全身黄色の下地に黒の鋭い線を幾本も掃いた虎の姿を眼にしただけで、一同はこの小さな師旅の目的を果たしたかのような安堵感に無言まま欣喜した。しかし、それと同時に、 -でかい。 と、子牛と同じほどもあろうかというその巨大さに誰もが瞠目した。 皆が驚愕と茫然に包まれる中、権右衛

虎の肝(六)/歴史小説

隼人達は、眼前に現れたその敵を飛び道具で仕留めようとは、毛頭考えていなかった。己の武術に対する確固たる自信に加え、薩摩隼人としての誇りが、例え、畜獣であろうとも飛び道具を持たぬ相手に対して、弓鉄砲で撃殺するような卑劣な行為を許さなかった。相手がどんなに獰猛であろうとも、自分と仲間達の尊厳を汚す行為を峻拒するという信念が、自らの存在意義の根源をなす薩摩隼人魂ともいえる概念の中に植え付けられていた。 先鋒は安田次郎兵衛、得意の長槍を両手で扱きながら、槍と同様、真一文字に虎に向かって疾駆した。 虎は異様な気配を感じ、子牛に襲いかかろうとしていた顔を次郎兵衛の方に向けた。次郎兵衛の姿に殺気を感じた虎は、次郎兵衛の突進を真正面から受け止めるために、四肢をゆっくりと動かし、身体ごと向きを転じた。さらに、自分を殺すために向かってくる敵への反撃のため、四肢を撓め、顔を地面に擦り付けんばかりに上体を低めた。虎の一連の動作は緩慢ではあるが、緩慢であるが故に見る者に勝利への揺るぎない自信を感じさせた。 次郎兵衛は相手が戦いの体勢に入ったことを悟りながら、さらに突進に速度を加えた。次郎兵衛の加速に合わせて、後ろに続く兵達も虎という目標に向かって、一つの塊と化して疾走した。 次郎兵衛は躊躇することなく、虎との間合いを詰め続ける。槍の間合いは長いとはいえ、やはり虎の目の輝きが明瞭に見える距離、そして、虎の息使いが聞こえる所まで近付かなければ、必殺の一撃を加えることはできない。猛獣を確実に仕留めるためには、一撃で倒すしかないこと、そして、もし、最初の一撃を仕損ずれば、野獣はあらん限りの死力を尽くし、自分と仲間達をその鋭い爪牙にかけるであろうことを、次郎兵衛は頭ではなく、幾多の戦場での経験により感得していた。 次郎兵衛は顔を俯き加減にし、眉庇(まびざし)の向こうに見える不動の虎を睨みながら、急速に間合いを詰める。 -あと三歩。 次郎兵衛が放胆な踏み込みを続ければ、虎は彼の必殺の刺突の間合いに入るはずだった。 次郎兵衛が間合いを計ったその刹那、虎は無拍子で四肢に蓄えていた力の全てを解放し、次郎兵衛に向かって、鍛鉄のバネのように跳躍した。虎は鋭い直線を描いて、その飛翔の頂点に達し、美しい黄金色の放物線を描きながら、次郎兵衛の脳天目掛けて、落下し始める。虎は落下しながら、真っ赤な口を開き