虎の肝(二)/歴史小説

その書状は、厳冬の日本海の波濤を乗り越え、文禄四年(一五九五)一月、朝鮮に外征している諸将に渡った。
それを受け取った武将の一人に、大隅一国一七万五千石の太守島津義弘がいた。実兄であり、薩摩一国の太守である島津義久とともに、鎌倉時代から脈々と続く名門島津家の頭領の地位にいる勇将である。
秀吉の天下統一以前には、島津家も、他の戦国大名と同様、その覇権を握るべく、国を富まし、兵を強くし、領土の拡大に邁進した。天正一三年(一五八五)には、長年の宿敵であった筑後の大友宗麟、肥前の龍造寺隆信らを抑え、ほぼ九州一円をその手中に収めるまでに雄張していた。
しかし、九州制覇を目前にして、脆くも夢は崩れ去った。非業に倒れた乱世の英雄織田信長の遺志を継ぎ天下統一の野望に燃える豊臣秀吉が、島津に臣従を求めるべく、薩摩に使者を差し向けた。
「鎌倉以来続いたこの島津家が、氏素性もわからぬ秀吉が如き卑賤の者の下に着けるか。」
真偽のほどは知らず、島津家の祖は源頼朝が九州に逃れてきたときの落胤であるという伝説があった。そんな家柄に対する誇りと九州をその版図に加えるほどの力に対する驕りが、義久と義弘の時流を読み取る触覚を鈍らせ、草履取り上がりに過ぎない秀吉に臣下の礼をとることを肯わせなかった。
島津からの返答に秀吉は激怒するよりも、時勢を感じることのできぬ田舎者に対する愁雲を覚えた。しかし、天下統一の野望に燃える秀吉にとっては、その覇業への道程を阻もうとするものに斟酌の余地は残されていなかった。秀吉は、島津家を倒し、九州をその傘下に収めるべく、近畿、中国、四国の大小名に出陣を触れ、兵二十万を動員し、天正一四年(一五八六)九月、九州討伐を命じた。
当時、この国で最も剽悍な種族の一つとされていた薩摩隼人達は、義久、義弘という二人の名将に率いられ、一騎当千の働きで、一時は数において大いに勝る秀吉軍の先鋒を押し返すという凄まじい戦功を立てた。その情勢を見て、天正一五年(一五八七)三月、ついに秀吉は、自らの本隊二五万を催し、その居城大坂城を発ち、九州征伐の途についた。
島津家の全兵力が五万、秀吉の動員した兵が公称五五万、すでに兵力は懸絶していた。秀吉の九州着陣以降は、石礫が急坂を転落していくように島津家は負け戦を重ね、本領薩摩・大隅二国に追い詰められ、天正一五年五月、ついに秀吉に膝を屈した。
義弘は降伏のため薩摩国秦平寺の秀吉本陣を訪れた。墨染めの法衣に身を包み、頭を丸めた義弘は、身に寸鉄も帯びることなく、秀吉の待つ幔幕の中へと進んだ。秀吉は恭順の姿勢を表す義弘を見て、微笑を絶やすことなく、自らの腰に差していた小太刀を握り、義弘の方に向けて拳を突き出した。
「それでは、腰の周りが寂しかろう。これを授けよう。」
完爾とした表情から零れた労いの言葉には尊大さは毛ほどもなかったが、目に見えぬ威圧感が込められていた。正体の掴めぬ圧力に気圧されながら、義弘は地面に正座し、自らの為すべき動作を思いつかぬまま、自分の膝の前にある土を見つめ続けていた。
「はよう、はようこよ。」
秀吉は恭退する義弘を促した。義弘は頭を垂れたまま、秀吉の前に膝行した。地面に膝を付けたまま進むなどということは、名流島津家に生まれて初めての経験だった。さらに、これも生まれて初めて義弘は両膝を地につけたまま左右の手で小太刀を拝領した。
義弘は、自分でも不思議なほどに、敗軍の将としての惨めさを微塵も感じていなかった。完膚無きまでに戦に敗れたことに加えて、この小太刀を通して伝わる秀吉という人間の気宇の大きさに驚き、自分が敗れたことが奇妙にも納得できた。その瞬間から義弘は秀吉という人誑しの名人に急速に惹かれ始めていた。
-これに勝てる訳がない。
秀吉との対面を終えた後、義弘は小太刀を握りしめながら、心中で呟いた。そして、これからは島津家の当主としてではなく、秀吉という英邁なる天下人の家臣として生きていかざるをえないことを開悟した。
その後、義弘は、
-秀吉の命に従うことのみが、島津家を保全する道である。
と信じ、関白豊臣秀吉という権力者に、懸命に、時には身を粉にするようにして尽くした。
天下人として追い風を満帆に受けるように絶頂への階を昇り詰めようとしていたその頃の秀吉からは、天下をその手中に収める自信と覇気が陽炎のように噴出していた。そして、その陽炎は、秀吉が天下の頂(いただき)に近づくに連れ、濃く、大きくなっていった。加えて、生来の明晰な頭脳、そして、天才的な人心掌握力と相まって、義弘はその謦咳に接するたびに秀吉に親炙し、自分との差が隔絶していく秀吉の器量を感じ、その臣下に甘んじることに自らの心中で肯首していた。

コメント

このブログの人気の投稿

【完結】ランニング、お食事 2022年5月~2022年12月

ランニング、グルメ、ドライブ 2023年4月〜

ランニング、グルメ、クライム 2023年7月〜