虎の肝(九)/歴史小説

 唐島の本陣において、義弘は喜悦に満ちた表情で、虎狩隊とその隣に横たわる彼等が仕留めた二頭の虎を代わる代わる見つめていた。
「よう致した。一頭でよいものを、まさか二頭までも仕留めるとは、…。さすが薩摩隼人じゃ。」
義弘はその武勇をいかんなく発揮した虎狩隊の面々に手ずから褒美を与え、直に声を掛けることによりその労をねぎらった。各人に一通り褒美の品を与えた後、
「して、いかにして二頭もの虎を仕留めたのだ。」
と、義弘は興味ありげに尋ねた。しかし、権右衛門を失った虎狩隊の中には義弘に直答を許される身分の者はいなかった。裏を返せば、義弘は彼等にとって口をきくこともできぬほどに偉大な存在だった。面を伏せたまま、お互いに目配せしている虎狩隊を見て、義弘は自ら言った。
「直答を許す。」
急くような辞色に促されるように次郎兵衛が躊躇いを残したまま、虎狩りの一部始終について語り始めた。
義弘は、会話の節々で相槌を入れ、唸り声をあげたりしながら、終始上機嫌で彼等の武勇譚に耳を傾けた。しかし、その心の奥底には蕭条とした情感が、純白の半紙に墨汁を一滴落としたような小さな染みとなって、存在していた。それは、下らぬ書状のために生命を落とし、ここに居て自らの言葉を聞くべき隼人の数が二名不足していることにも拠っていた。
-よき兵子を二人も失うとは、…。
惻隠の情が浮子のように精神という大海の水深の深いところから水面に奔出しようとするのを、義弘は懸命に抑え続けていた。胸中にそんな想いを抱えながら、表情との矛盾が欠片ほども現れぬよう、彼は微笑を湛えたまま、次郎兵衛の話を傾聴し続けた。義弘が傾聴するほどに一同の功名心は充盈した。そういう精神作用の触媒を果たすことが権力を操るための一つの手段であるということを義弘は無意識に知り、行っていた。しかし、彼等の心が充足し、表情が喜色に包まれるほどに、正体の掴めぬ空虚が義弘の心中を占めていった。
一通りの話が終わった所を見計らい、精神を支配しようとする虚無から逃れるように、義弘はこの場に着くことのできなかった二人の勇敢な兵子に用意した敷物に視線を移し、居住いを正し、殊更強い口調で言った。
「この場にはおらぬが、権右衛門、六七もよう致した。虎と差し違えるとは、薩摩隼人の鏡のような兵子どもじゃ。」
義弘は彼等の落命を意味あるものに換えるため、無意味としか言いようのないこの闘いで命を落とした二人を激賞した。そうすることで面々の闘いと仲間の死が、彼等の心中でさらに有意義かつ崇高なるものに成長を遂げることを義弘は知悉していた。その思惑どおり、彼等は、死してなお主君に称揚される二人を、胸中で強く羨んでいた。
しかし、義弘は自らの心中で複雑に紛擾する想いと正反対の言葉を吐くたびに、精神の権衡(けんこう)を失ったような悪寒を感じていた。
ーいったい、二人とこの二頭の虎の死に何の意味があったのか、・・・。
そんな寒天に吹き荒ぶ、凍えるような風にも似た想いが義弘の胸中に吹き込んだ。知らぬ間に義弘の身体の末端に粟粒のような鳥肌が現れ始めていた。悪寒を伴った鳥肌が身体の末梢から俊速を持って顔面に伝播し始めるのを感じた義弘は、その冷熱の拡散を遮断し、愚昧なる天下人に対する公憤を抑えるため、掌で激しく膝を叩いた。叩きながら、義弘は自分の所作の意味を眼前の家臣達に悟られることを恐れ、その動作を正当化するための一言だけを発していた。
「ともあれ、あっぱれ。」
眼前の兵子達はその義弘の賞賛の言葉に平伏したまま、全身を歓喜にうち振るわせていた。

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