虎の肝(十)/歴史小説

義弘は、彼等の姿を見つめ続けていた。義弘に誠忠無比であろうとする彼等はその命を忠実なまでに果たし、こうして今、自分の面前に呼ばれ、直々の言葉を受けたことに対して、感涙に噎(むせ)ばんばかりに、全身を振るわせ続けている。
-何故、お主達はそれほどまでに喜べる。
義弘は、秀吉に対する自らの立場を彼等に転嫁し、その心中を測ろうとした。何故、彼等は命を的にしてまで、野獣如きを狩るという武士としての生き様とは全く無縁の行為に執心するのか。そして、何故、今、彼等が自分に平伏しているのかを。
それを口にして直接尋ねたかったが、義弘はその行為が全く意味を為さぬことに気付いていた。彼等にとって義弘とは、彼等とそれに頼る一族、もう少し小さな単位に直すと、家族とも言えるささやかな人間の集団の生殺与奪の権に近い、形而上の世界にある得体の知れぬ、そして、絶大なる何かを握る存在だった。
だが、義弘にとっての秀吉は、虎狩隊にとっての義弘の存在とは明らかに異質のものだった。
義弘は、秀吉に出会うまでは自他共に認める絶対の存在だった。その絶対的存在がさらに上位の絶対的な存在である秀吉という人物に出会い、自らの生殺与奪の権を譲渡し、秀吉を恭敬しなければならないという価値観を強いられた。生を受けたときから、そういう価値観のもとであらゆる事柄を処理してきていれば、義弘も虎狩隊と同様、無条件とも言える忠誠を秀吉に対して向けることができたに違いない。だが、自らを律する基準と渡世の舵をとるための海図ともいえる思想が歳を経て凝結した段階で義弘の頭上に突如現れた秀吉とそれを尊奉しなけらばならないという価値観は、頭ではそうしなければならないと理解しえるものの、どうしても肉体がそれを拒んだ。
義弘は自らを動力源としない機械組織に徹しきれぬ一個の異形をした歯車に似ていた。島津家という組織の頂点にいて動力を発し、それを動かしていた島津義弘という一つの動力機関を持つ歯車は、天下という組織の中に組み込まれた当初、秀吉というさらに高度な動力に上辺だけでも回転を合わせ、馴染もうと努め、そうすることができたが、時を経るに連れ、無理のある回転の同期により発生する微妙な狂いは蓄積し、義弘という歯車は次第に齟齬を来した。
ずれていく回転を義弘は意識的に矯めながら、朝鮮に出陣し、秀吉に献じるための虎を狩ることを命じた。そして、今、秀吉が所望する虎の肝と肉を丁寧により分け、書状のとおり入念に塩漬けし、送り届ける仕度を整えることを命じなければならなかった。
ー無用の手間だ。
と、義弘は心中で繰り返し呟いていた。整えられた肉腸を見た義弘はそれらを秀吉の痩せこけた猿顔に叩きつけてやりたいような衝動に駆られた。その衝動を抑えながら、柔らかな物言いで祐筆に添え状を認めさせるのが、義弘という異形の歯車の為せる精一杯の行為だった。

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