磁場の井戸:第二章 舞台(一)/長編歴史小説


第二章 舞台

 天正一〇年四月一五日、早暁、宗治は濃厚な木の香を放つ真新しい櫓の上に立っていた。表情は、まるで戦場に在るかの如く、いつにも増して険しい。
 太陽は既に城の東を包む山の端を離れ、城の周囲を取り囲む緑色の平野を燦々と照らしていた。
 城の東から北側にかけて、高松城を中心に半径にして四、五町ほどの距離をおいて緩やかな円弧を描くように野が隆起し始め、それほど高いとは言えない丘陵を形成している。丘陵は再び訪れた新緑の季節を謳歌する草木に覆われ、山々自体が一個の生物であるかのように、宗治の心に生命の躍動を感じさせた。春の朝の空気はこれ以上を求めることが不可能なほど澄み渡り、若葉の緑はその透明度の高い空気を貫いて、宗治の網膜を刺激した。
(我が備中の山野の美しさよ。)
宗治は感嘆した。胸一杯に清澄な空気を吸い込むと、鼻腔の奥に微かに爽やかな香りが残ったように感じた。若葉が放つ生命力に溢れた色彩が宗治の視覚を刺激し、それが嗅覚を錯覚させていた。
 宗治は元の険しい表情に戻り、城の北、八幡山が平野に鋭く突き出ている尾根の麓、和井元の集落から山の斜面に沿って、一気にその頂まで視線を移した。八幡山は美しい青空の中に明瞭な輪郭を持って緑色に縁取られている。宗治は八幡山を望みながら、心中で八幡山の三〇町ほども向こう、八幡山の裏側で澄み切った青空の中に崢嶸な輪郭を浮かべているはずの竜王山に意識を跳躍させた。
 昨日、織田勢の大将羽柴筑前守秀吉は備前岡山から備中に侵攻し、その日のうちにその竜王山に本陣を据え、高松城の北に連なる宮地山、冠山の両城を攻撃する構えを見せた。
(秀吉は備前岡山から山陽道を下り、庭瀬、加茂、日幡城を攻め落とした後か、三城に抑えの兵をおいて高松城を一気に攻め落としにかかる。)
と、宗治はこの戦の幕開けを予想していた。秀吉がどちらの戦略を採るとしても、織田勢は敵地での用兵の常識どおり道幅も広く、平坦で見通しの利きやすい山陽道を西に進路をとり、高松城の南方から攻め上ってくるはずだった。
 しかし、秀吉の戦略は見事に宗治の予想を裏切った。
(秀吉は常道を破ることで、今の地位を築き上げた男である。)
ということを、宗治は改めて思い知しらされた。
 宗治の心は微妙にさざ波立っていた。予想どおりに事が運ばなかったことに対する動揺と言われれば、そうとも言える。また、大戦の前の緊張と言えば、そうかもしれない。しかし、そういう臓腑を締め付けるような気分とは異なった感情の波が、多量に、そして、複雑に重複していた。宗治はその波の正体を探るように、記憶の糸を手繰った。宗治の記憶の中に、唯一、相似な波形が心の水面を擾乱した出来事が刻まれていた。それは、兄が僧籍に入り、自分が家督を継いだ日のことだったような気がする。
(武家の家督を継いだからには、必ずや一国一城の主とならん。)
徒手空拳ではないまでも、その頃の清水家は備中の片田舎の土豪程度でしかなかった。その土豪の頭が一国一城の主を目指すのは、この戦国乱世、下克上の巷間とはいえ、並大抵のことではなく、宗治のこの決意は分に過ぎた大望といなくもなかった。しかし、若々しい覇気に満ちたそのときの宗治の目の前には、どこまでも尽きることのない無限の大地と洋々として煌めくような未来が広がっていた。
 今、宗治の心の中には無限の可能性も洋々たる前途も広がっていない。この戦が終わるとき、宗治の魂魄は既にこの世に無いはずであり、宗治の心中に未来などという言葉は微塵たりとも占める場所は無かった。であるにもかかわらず、宗治の胸の内には喜びにも似た感情が薄墨で描き出された山水画のような柔らかい広がりをもって滲んでいた。宗治は胸中のさざ波の一つ一つを分析し、この感情の意味を開悟した。
(儂は最後の戦を飾るべき敵を求めていたのだ。秀吉の知略と武略はひょっとすると噂以上かもしれん。いずれにしても、儂の最後の戦の相役を演じる武将として不足はない。いや、このような良き武将が儂の最後の戦場に現れたことを神仏に感謝せねばなるまい。)
家督を継いだときの希望、最後となるであろう戦場で稀代の名将という好敵手を得た幸福、言の葉が異なるとはいえ、宗治の心を沸き立たせる同種類の感情だった。
 宗治の視線は八幡山の山頂から、山と空の間の明瞭な境界線に沿って山を下り始めた。高松城の背後に控える屏風のような山塊は徐々に高さを下げ、ついには城の北西あたりで高松城の周囲の深田を形成する野面と同じ高さに至る。その稜線が野に下って尽きる辺りから僅かに目線を左に動かせば、足守川の堤が現れる。梅雨前の初夏、例年、足守川の水量は僅かであった。それに加えて、この年は雨が少なく、足守川の水流は無いに等しいまでに、か細く痩せているはずだった。周囲の平地に比してそれほど高くはない高松城の櫓に立ったところで、天然の土手に囲まれた足守川の流れを目にすることはできないが、宗治の逞しい想像力は足守川の両岸に生えている雑草や玉石の姿までを頭の中に描かせた。
 高松城の南方、足守川を挟んで城の対岸には、西から庚申山、日差山が、城の北側と同じく高松城を中心として、円弧を描くように広がっている。その麓で足守川を中心とした平野が一〇間ほどの幅をもって、北西から南東の方角に矢のように貫いている。平野は、日差山が尾根を張り出したところで一瞬幅を狭めるが、その後、城の南から南東にかけて大きく広がり、足守川の川筋を通じて、瀬戸の海浜へと繋がる。
 足守川の両岸に形成された平野に高松城を南側から支える城々が点在している。高松から南に向かって、加茂、日幡、庭瀬、松島城である。
 さらに視線を東に戻せば、吉備津神社と神社の背後で神名備山のような重い質感をもって居座る吉備中山が目に入る。その吉備中山の南側の麓、庭瀬城が見えるあたりから、日差山南方の麓にかけて山陽道が東西に通じている。
 北側の山稜は新緑の息吹に包まれ、むせ返るような生命力が陽炎のように沸き上がっているのに対して、南側に広がる平野の縁を飾る山の端には薄緑色の背丈の低い草が儚げに生い茂っていた。
 平野では例年どおり稲作の準備に追われる百姓達が鍬を振るいながら、全ての生命の源となるべき土を丹精込めて耕していた。ほとんどの百姓達はこの野原と自分たちの田畑の上で戦が始まろうとしていることを知っていた。それを知りながら、百姓達は自分たちに与えられた営みを黙々と続けた。百姓達はもしかすると自分たちの田畑が兵馬に踏みにじられていく姿を生々しく想像しながら、手足を動かしているのかもしれない。しかし、彼等は営みを続ける事以外に、生きていく術を知らなかった。
(百姓達には不憫をかける。これも乱世に生まれた者の宿命、豊作を祈る。)
宗治はじきに兵馬に蹂躙され尽くすであろう田畑を眺めながら、心中で祈った。

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