第十五章 三条河原(1)

 京三条河原には浮浪人や罪人など日の当たる場所で生きることができなくなった人々が身を寄せ合うように暮らしている。そういう場所だけに表世間には出回らない機微な情報も散在しており、そういう類いの話題を求めて裏世間の人間も出入りする。
 清太と弥蔵は安次の案内で鴨川の土手から、葦葭などを粗雑に葺いた掘っ建て小屋が、不規則に乱立する河原へと下っていく。安次は河原から堤防を上がってくる河原者達と擦れ違うたびに明るく声を掛け、簡単な挨拶を交わしていく。
「安次、なかなか顔が利くな。」
 清太が安次を軽く持ち上げると、安治は清太の言葉に満更でもない様子だが、
「この河原でひと月も寝食すれば、住人同士、自然と馴染みになりやす。」
と、忙しげに首を振って否定する。
 安次は、無数の掘っ立て小屋を支持する細い材木が乱雑に入り組む狭隘な通路を、迷いなく抜けて、何の変哲もない一棟の小屋の前で立ち止まる。安次に拠れば、娘は、この小屋の住人で三条河原の顔役的存在である老夫に、刀剣の収集を依頼したと言う。
「爺様、安次です。今、戻りやした。」
 小屋の中から年寄り特有の嗄れた咳払いと応えが聞こえる。安治は清太と弥蔵を外で待たせて、単身で小屋に入る。
 京までの道中、安次は幾度か逃走を試みたが、いつも少し逃げた所で弥蔵に追い越され、道を塞がれた。それを繰り返し、最終的に、
―二人を娘と対面させるまでは、逃がれることはできぬ。
と、安次は観念した。弥蔵は、安治が逃走を諦めるまで泳がせていただけに過ぎない。いずれにしても、安治は逃走する意思を失っている。
 安次は間もなく小屋の出入口から顔だけを出して、清太と弥蔵を小屋の中に招き入れる。小屋の内部は清太が想像していたよりも暗く、狭い。その小空間で、地面に敷いた敷物の上に一人の老夫が立て膝で座っている。清太達の立ち位置は、老夫の座っている場所とさほどの距離はないが、老夫の周辺は光量が十分に絞られているため、清太の鍛え上げた視力でも老夫の表情は窺えない。反対に、老夫には出入口付近に立っている清太達の表情が手に取るように分かるはずである。
「概略は安次から聞いた。娘のことを知りたいとな。」
 陰気な口調だが、拒否は感じられない。
「娘に興味がある訳ではない。その娘が集めている刀剣に関心があると言っておこう。」
 弥蔵が老夫の出方を探りながら応答する。
「興味や好奇心でこのむさ苦しい河原までわざわざ足を運ぶとは物好きなことじゃ。」
 老夫の口調に皮肉と嘲笑が感じられる。
「詳しいことは事情があって説明できぬが、…。」
 弥蔵は地面に置かれていた盆に小さな紙包みを置く。老夫が側にあった杖で盆を手許に引き寄せ、紙包みの中身を確かめるように軽く揉みながら、懐に収める。
「用件は承知した。しかし、関心があるというだけでは、何から話したらよいのか…。」
 弥蔵の後ろに控えていた清太が老夫に自分の杖を差し出しながら、付け加える。
「ここに一振りの剣がある。これを娘に目利きさせてみたいと言えば、どうであろう。」
 老夫は、清太の話を真偽何れで解釈したかは別にして、それ以上は問うことをせず、説明を始める。
 老夫に拠れば、その娘とはこれまで特段の面識があった訳ではないと言う。
「誰が口利きをしたのかは知らぬ。娘もただ誰かに頼まれているというだけで、刀剣の鑑識はできぬだろう 。」
 老夫の口調に力みはなく、譎詐は感じられない。
 老夫の短い言葉が終わると、沈黙が流れる。
 弥蔵が無言のままの老夫に業を煮やす。
「ご老人、娘や刀剣について知っていることを話して貰いたいのだが…。」
 老夫は暗い小屋の奥で小首を傾げて、少し考えるような仕種をする。
「わしが知っていることと言えば、その娘が飛び切りの上玉ということくらいじゃ。」
 老夫が淡泊に答える。
 弥蔵の表情に明らかな苛立ちが現れる。
「此方が下手(したて)に出ているのをよいことに、調子に乗るなよ。」
 弥蔵が半ば恫喝するように凄む。しかし、三条河原のような場所で長く生きてきた老夫も、この類いの経験は豊富であり、弥蔵の発した怒気を微風のように受け流す。
「そこの御仁、わしよりは少々若いようだが、まずまずの齢は重ねておろう。老い先短い年寄りが頭に血を上らせると、ますます寿命が縮むぞ。」
 弥蔵が右手を得物に掛けようとする。老夫は動じることなく、
「こんな年寄りを切ったとて、刀の錆にもならぬぞ。」
と、言葉で弥蔵を弄ぶ。弥蔵は得物から右手を離し、
「若様、時間の無駄でございます。」
と投げやりな口調で、清太に退去を促す。そこに老夫が割り込み、清太に会話を向ける。
「そちらの若い衆は落ち着いているようじゃ。」
 好悪判然としない老夫の口調に真意を掴みかねながらも、清太は感情を抑制して応対する。
「幼少より年長者を敬うべしと教えられました。ですので、ご老人が教えてもよいと思うならば、教えていただけるでしょう。しかし、教えないつもりなら、ご無理は申しませぬ。単にそれだけに過ぎませぬ。」
 清太は頓知問答のような自分の解答に胸中で苦笑する。
「若いのに行儀のよいことじゃ。」
 老夫は語調に含んでいた感情の刺を和げ、
「堤防を下りてくる娘の姿に、河原者達の視線は釘付けになった。」
と、娘の容姿に戻って、説明を再開する。
 娘の秀麗を茫然と見守るだけの河原者達の中から、一人の陽気な小男が小走りで娘に近付き、無遠慮に娘の隣に張り付いて、長々と話し掛けた。さらに、小男は自分の言葉に娘が反応しないことを逆手に取り、さりげなく娘の腰に触れようとした。しかし、その瞬間、小男は自分の右手首を中心にして空中を回転し、そのまま背中を地面に激しく打ち付けた。それを見た河原者達は、以後、ただ嘆息を吐きながら、娘の美貌を指を咥えて眺めるだけで、近寄ることさえもしなかった。
「河原の長老にお会いできませぬか…。」
 娘は、いましがた小男を投げ飛ばしたとは思えないたおやかさで、自分の周囲を遠巻きに取り囲んでいる河原者達に尋ねた。
「あっしがご案内いたしやしょう。」
 娘に投げ飛ばされ、仰向けになって呻き声をあげていた小男が、何事もなかったようにすっくと立ち上がり、娘の使い走りを買って出た。
 安次だった。
 安次は、いま清太達が立っている場所に、娘を案内した。娘は、小屋の奥の薄暗い場所で不気味に単座している正体不明の老夫に緊張も見せず、臆することもなく、
「相応の対価を支払いますので、できるだけたくさんの刀剣を集めていただきたいのです。」
と、童女が玩具を欲しがるような調子で、河原を訪問した理由を説明し、河原者達が盗み出してきた刀剣の取りまとめを、老夫に依頼した。
 既に娘は河原を再訪し、老夫から五振の刀剣を受け取り、然るべき対価を老夫に手渡していた。
 老夫は、娘の再訪以降に入手した幾振かの刀剣を、手元に保管していた。

 老夫は一度話を切って、湯飲みを口に運ぶ。
「娘が刀剣を収集する目的をご存じないか。」
 弥蔵が老夫に尋ねるが、老夫は弥蔵を顧みず、清太に視線を留めたまま続ける。
「わしも娘と会ったのは二度だけ。収集の目的までは聞いてはおらぬ。」
 清太が話題を転じる。
「今、ご老人の手元に保管してある刀剣を見せていただくことはできませぬか。」
 清太に対してはやや好意的な態度を示す老夫が背後から三振の刀剣を持ち出して、清太に差し出す。清太は鞘から刀身を一尺ほど抜いて、弥蔵とともに、順次、目利きする。
―数打ちの束刀(たばがたな)。
 清太は弥蔵と目顔で語り合ったあと、老夫に礼を言いながら刀剣を返却する。
「お探しの剣ではなかったようじゃな。」
「お察しのとおりです。娘はこれらの刀剣をいつ頃受け取りにくるでしょうか。」
 清太が老夫に尋ねる。
「あの娘がもう一度河原を訪れるかどうかさえも、わしにはわからぬ。とはいえ、おそらくはわしの手許に集まった刀剣は受け取りに来るというのが、まず、まっとうな筋書きだろう。」
 清太が素直に頷く。
「近いうちにまた参ります。」
「何時でも来ればよい。河原は来る者を拒むことはない。」
 老夫が狭い小屋の入口を出て行く清太の背中に呟いた。

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