第十四章 盗人(2)

 数日後、孝高は、一粒種の嫡子松寿丸を織田氏に預ける旨を、秀長に申し出る。無論、織田氏への人質である。
「肝が据わっておられる。」
 重治は、信長や秀吉が山陽道や播磨の情勢を最も不安に感じているこの時期に、人質を差し出すことを願い出た孝高の深慮遠謀と覚悟を高く評価した。
 秀長も織田氏に種々の劣後要因がある中、松寿丸の存在を奇貨とし、信長のもとに間違いなく送り届けることを約束する。これにより、孝高に対する信長、秀吉の信頼はますます厚くなるはずであり、孝高としても全面的な支援が受けやすい。
 後刻、孝高が重治のもとを訪れる。
「もし、黒田家に万一のことがあれば、松寿丸のことをお願いいたします。」
 孝高の真剣な眼差しには、単なる懇願とは異なり、常ならぬ気配が感じられる。
「わたしは織田様こそが唯一この戦国の世に終止符を打つお力を備えていると信じます。その天下平定の一助となるべく、知略を尽くして粉骨砕身する所存。しかし、わたしの仕掛ける際どい謀に対してあらぬ噂が流れることもございましょう。そのような折でも、竹中殿だけはわたくしを信じていただきたいと、こうしてお伺いした次第です。」
「なぜ、わたしを頼られる。」
 重治は孝高の真意を探る。
「知謀を尽くして天下太平を目指す同志と感じました。」
 重治は
「わたしは非才です。」
と、冷静に受け流す。孝高が、
「策士は時に人に誤解され、貶められます。羽柴家中、いや、日ノ本六十余州の中でそのことを理解していただけるのは竹中殿のみと見ました。どうかわたしの六尺の孤をお願いいたします。」
 と語り、両拳を床について頭を下げる。
 この一事が重治をして孝高を真の盟友にせしめる端緒となった。
 同席していた清太は二人の純度の高い思想に感銘し、自身も天下太平の一助とならんことを改めて誓った。

 羽柴氏の重臣達は松寿丸を伴い、近江への帰路についた。
 清太と弥蔵は一行と別れて、姫路城の外れにある牢屋を訪ね、牢格子を挟んで、一人の小男と対面している。小男は、先日、播磨の名刹書写山圓教寺に忍び込み、刀剣を盗み出そうとした罪で捕縛された盗人である。
 小男に拠れば、
「京三条河原に宝剣を高値で買い取る娘がいる。」
という。小男は素人ではないが、大した腕前ではなく、単に対価に目が眩んで、山陽道筋の古社名刹を物色しつつ圓教寺に至った。
「その娘と話がしたい。盗人、できるか。」
 弥蔵が問う。盗人が歯並びの悪い前歯を見せながら媚びるような笑いを浮かべ、牢格子の向こう側から上目使いで弥蔵を見上げる。弥蔵がその盗人を睨み返しながら凄む。
「こそ泥の分際で取引をしようと思っているなら、止めておけ。分限をわきまえぬ欲は身を滅ぼす。素直にわたしの言うことだけを聞け。」
 弥蔵の鋭い語調に、盗人はぺろりと舌を出し、悪戯を咎められた悪童のように萎れたような仕種をしながら、愛嬌溢れる表情を作る。
―小男なりに、裏世間で生き抜く術として、人を蕩かすような愛嬌を身に付けたのでしょう。裏世間には様々な手練手管を身に付けた輩がおりますゆえ、くれぐれも油断なさいませぬよう。
 後刻、弥蔵が清太に諭さなければならないほど、恐ろしく人懐っこい表情だった。
 弥蔵は盗人の笑顔には取り合わず、厳しい語調で続ける。
「このまま牢に繋がれておれば、いずれ御城主様が仏寺に忍び込んだ極悪人として厳しい処罰を下すだろう。」
 弥蔵が小男の表情を探りながら続ける。
「わたしがお前の身柄を織田領内で盗みを働いた手配人として引き取ってもよい。」
 さらに、
「三条河原で刀剣を求めているという娘に会うことができれば、無罪放免にしてやろう。」
と言いながら、僅かな銭を牢の中に投げ込む。
「安次と申しやす。」
 安次が土間に散った小銭を拾いながら、先刻の人懐こい笑顔だけを弥蔵に向けて返事する。
 後刻、弥蔵は盗人の身柄引き渡しを黒田家中に申し入れて許された。

コメント

このブログの人気の投稿

【完結】ランニング、お食事 2022年5月~2022年12月

ランニング、グルメ、ドライブ 2023年4月〜

ランニング、グルメ、クライム 2023年7月〜