第十六章 娘と刀剣(4)

 ある時、醍醐天皇が重病を患った。
 仏教諸派の高僧達が病気平癒の加持祈祷を修したものの、いずれも効験なく、容態はますます悪化した。
 万策尽き掛けたとき、ある朝臣(あそん)が、
―大和信貴山に数々の奇蹟を行う法師がおります。その者なら…。
と進言し、朝廷はすぐさま信貴山に勅使を下向させた。
 勅使はまもなく信貴山の毘沙門堂に参籠する命蓮という法師を探し出した。勅使を迎えた命蓮は病気平癒の修法について謹んで勅命を拝受したものの、至急の上洛を要請する勅使に対して、
「信貴山にて祈祷します。」
と申し出た。勅使はこれを訝しみ、
「帝のご病気が平癒あそばしたみぎり、貴僧の法力によるものか、定かならず。」
と、上洛を強く勧めた。しかし、命蓮は、
「数日後、御所の天空に光芒が現れ、童子とともに下りて参ります。それが拙僧の修法が成就した証でございます。」
と、上洛を固辞して、信貴山で祈祷を始めた。諦めて京に戻った勅使は、病床で苦しむ醍醐天皇に、命蓮の言葉を伝えた。
 数日が経過した。
 高熱の続く醍醐天皇は朦朧とする意識の中で、茜色に染まり始めた夕空に宵の明星に似た小さな光点を発見した。光点は御所に接近しながら、次第に大きな光球へと変化した。
 異変を感じた醍醐天皇が病床から上体を起こし、手を伸ばして、その光に触れようとした瞬間、光は童形に変化し、直後、一筋の光茫となって天空に消滅した。
 この出来事のあと、醍醐天皇の容態は快方に向かい、間もなく完治した。
 醍醐天皇は周囲に、
―病気平癒は命蓮の功力。
と語り、再び勅使を信貴山に走らせて、命蓮に、
「僧都、僧正の位を与え、寺領を寄進したい。」
との叡慮を示した。しかし、
「位階などは無用でございます。」
と、命蓮はこれも固辞した。醍醐天皇は勅使を通じて命蓮に幾度も働き掛けたが、命蓮はここでも譲らず、結局、醍醐天皇は命蓮への位階下賜を断念して、信貴山に朝廟安穏・守護国土・子孫長久の意味を込めて朝護孫子寺の勅号を授けた。
 命蓮は、醍醐天皇の病気平癒以外にも、托鉢に用いる鉢を吝嗇の長者のもとに飛ばして欲深を戒め、また、堆く米俵が積まれた米蔵を遠方から信貴山まで飛翔させて貧者に分け与えるなど、数々の奇蹟譚を残したと言う。

「興味深い伝承です。乙護法は命蓮上人の秘術を身に付けているということでしょうか。」
 清太が長老に重ねて問う。
「それは分りかねます。」
 老人は自分の想像を語らず、皺に覆われた顔に微笑を浮かべて、清太に判断を委ねる。老人の意図を察した清太は隣に座る弥蔵に視線を転じる。
「仮に、天王寺砦の妖僧が乙護法だとしても、未だ命蓮上人の術にはまず及びますまい。」
 弥蔵が清太の想像を補完する。清太が老人に向き直り、再度、その知恵に縋る。
「信貴山朝護孫子寺は毘沙門天との所縁が深いようですが、ご老人は毘沙門天の力を宿すと伝承される剣についてご存じないでしょうか。」
 老人は微笑を湛えながら答える。
「正倉院に納められていたという霊剣のことですかな。」
 清太が、
―我が意を得たり。
という表情で、力強く頷く。
「そのような剣が存在していたという昔話は聞いたことがございます。しかし、ある時、何者かに持ち去られ、そのまま行方知れずになったと聞きます。」
 清太が背中の曲がった長老の俯き加減の表情を覗き込みながら、
「七星剣。」
と呟く。老人が顔を上げ、
「それですな。」
と答える。
 半兵衛の話と平仄が合う。
「伊織殿、御老人、よい話を聞かせていただきました。我が峡の御劔と久秀、信貴山、そして、朝護孫子寺が繋がったような気がします。」
 清太が頭を下げたあと、
「今、信貴山城は数万の織田勢に囲まれ、落城も間近と噂されております。我々は急ぎ信貴山に向かいます。」
と言って、早々に席を立とうとする。
「腹が減っては戦もできぬ。信貴山まで夜駆けする前に、腹拵えしていきなされ。」
 伊織が清太を引き留めると、先刻の娘が清太と弥蔵の前に湯漬けと漬物を運ぶ。
「先ほどは失礼いたしました。」
 清太は改めて娘に謝罪したあと、
「あなたが三条河原で男を捻り飛ばしたのですか。」
と、遠目から感じた以上に細身で華奢な娘に、念を押すように尋ねた。
「お恥ずかしいことです。わたくしども一族は旅の道中で身を守るために、男女問わず、一通りの体術を修得いたします。女のわたくしでも素人男を一捻りにできなければ、一人前として認めては貰えませぬ。」
 清太は、話している娘の肌から、突如、滲み出るような芳香を感じ、自分よりも年下の娘を見つめ返す。娘の首筋から襟足にかけて年齢と健康的な容姿に不釣り合いな濃厚で妖艶な色気が漂い、清太は肌が粟立つほどに強烈な異性を感じる。清太は、よしのにも感じたことのない感覚に全身を熱くして、狼狽しながら娘を避けるように腰をずらす。
「存外、初(うぶ)でいらっしゃいますね。」
 その言葉と同時に、娘から妖しい艶が瞬時に消滅して、年相応の明るい娘に戻る。
「神託を司る我々一族の女衆に伝承される術でございます。」
「千世、御客人に失礼をするものではない。清太殿、妹が失礼をいたしました。」
 伊織が娘を嗜める。
「悪戯ではございませぬ。わたしには、清太さまの心の中にある高いお志と固い信念が、見えます。もし、清太さまが千世の想いを受け入れて下さるなら、千世は喜んでご一緒し、そのお志をお助けしとう存じます。」
 千世が口許に微笑を浮かべて冗談交じりに答える。しかし、口調とは裏腹に千世の目は笑っていない。清太は千世の真っ直ぐな視線を受け止める。
「千世殿は伊織殿のご一族に不可欠な方とお見受けしました。わたしも小さいとはいえ阿波国峡の一族を率いる血筋の嫡流です。千世殿のお気持ちは嬉しいが、その願いは叶いますまい。」
 清太の生真面目な回答に千世が吹き出すような仕草をする。案外、からりとした性格らしい。
 清太と弥蔵は湯漬けと漬物をかき込んだあと、伊織一族に深く感謝して、信貴山へと駆け出していった。

コメント

このブログの人気の投稿

【完結】ランニング、お食事 2022年5月~2022年12月

ランニング、グルメ、ドライブ 2023年4月〜

ランニング、グルメ、クライム 2023年7月〜