第十六章 娘と刀剣(3)

 清太は、再度、堤防を駆け上がってくる安次の姿を視界に捉えると、おもむろに起き上がり、全力で安次に走り寄ったと思うと、立ち止まることなく、安次の横を走り過ぎる。清太の背後に続く弥蔵が左掌を安次に示しながら、
「話はあとだ。」
と、安次に早口で言い捨てて、清太の背中を追う。
 清太は堤防の法面に繁茂する背丈の高い草叢の向こう側に、娘達の姿を捕捉し、往来の人々を間に挟んで、一定の距離を保って追跡を開始する。娘と小男、清太と弥蔵の二組は着かず離れず土手の上を進み、さらに賀茂川の河畔を離れて、洛中の殷賑へと溶融したあと、洛外に出る。この間、休息を取ることもなく、歩き続ける。
 陽が西に傾斜を加え、情景が茜色を帯び始める頃、二組四人は距離を保ったまま、伏見に至る。それでも娘達は歩度を緩めない。
「歩き慣れていますな。」
 弥蔵が疲労の色を見せない娘の足取りに嗟嘆する。
―三条河原の老夫に刀剣の収集を依頼する娘などまともなはずがない。
と、頭では理解はしているが、遠目にも華奢で典雅と言っていい外見の娘がこれほどの距離を平然と歩く姿は、追跡している清太達に様々な想像を惹起させる。
 娘達は伏見の町外れで街道を逸れると、六地蔵、黄檗を経て、宇治川の畔に至る。
 既に陽が山塊の向こうに沈み、西の空は残照に染まる。路上の人影は疎らである。
「いずこまで行くつもりでしょうか…。」
 弥蔵の呟きと同時に、娘達が小径を曲がる。
 少し間を置いて、弥蔵が曲がった先の様子を窺うため先行する。
 弥蔵の視野に廃屋らしき影が見える。
 その瞬間、弥蔵の前方に複数の気配が湧き上がる。清太と弥蔵は咄嗟に地面に伏せて、自分達の存在を闇に溶かし、見えない触手を伸ばして前方を探る。
「手遅れじゃ。宵闇に若い娘の背後を付けるとは不粋な御仁じゃ。」
 濃厚な警戒を含んだ陰湿な声が夕闇に響く。
 弥蔵が無抵抗の意思を示すため、緩慢な動作で上体を起こして、両手を頭上に差し上げ、闇に向けて左右にゆっくりと大きく振る。弥蔵は大きく動くことで周囲の空気を撹拌し、自分の背後で俯せになって静止している清太の気配を掻き消す。
 清太は地面に頬を乗せたまま、闇に浮かぶ気配の数量と形質を見積もる。
―数は十に満たない。鋭気はあるが、力で突破できぬことはない。
 清太は闘争に至る覚悟を決めた上で、弥蔵の動作を注視しながら、先方の出方を窺う。
「何が目的かな。」
 先方の詰問は、先刻と変わりなく重い。
「娘さんに危害を加えるつもりはありません。娘さんが刀剣を集めているという噂を聞き、事情があって調べていた次第です。」
 弥蔵は場数を踏んできただけに、闇の中に隠形している相手に対しても動揺を表さず、丁寧な口調で事実だけを論述する。弥蔵は、
―緊迫の時、虚妄を用いると破綻する。
ということを、知悉している。
「我々が何を集めようと関係なかろう。」
 弥蔵を突き離すような冷たい口調である。
「ご尤もです。事情をお話しします。わたしの郷里に代々伝わる宝剣が盗み出されて難渋しています。その娘さんが三条河原の老人に刀剣の収集を依頼していると聞き、郷里の宝剣を探す手掛かりが得られぬかと、不躾ながらあとをつけました。」
 弥蔵は、小さな暗い空間に滞留する一触即発の空気を加熱しないよう、ゆっくりと柔らかな口調で対応する。
「咄嗟の作り話としてはよくできてはいるが、にわかに信じられぬ。」
 弥蔵を取り巻く全ての気配が闇の中で弥蔵の精神に見えない触覚を伸ばして邪念の有無を探る。疑心暗鬼の沈黙が流れる。弥蔵は心身ともに外部に対する防備を解放して、周囲の気配に全てを委ねる。
 暫くして、弥蔵の精神に害意のないことを察した気配の一つが語調を僅かに和らげて、
「闇の中で話し続けるのは肩が凝る。そちらがよいというなら、明かりのある場所で話をしたいが如何かな。」
と、持ち掛ける。弥蔵は神経を弛緩させて、
「ありがとうございます。」
と、謝意を示す。
 闇中に複数の小さな灯火が浮かび上がる。薄い光に照らし出された五つの黒い輪郭が、弥蔵を囲み、無秩序に積み上がった瓦礫を踏み越えながら、視線の先にある廃屋へと誘導する。崩れ落ちた切妻破風らしき装飾や屋根瓦などの残骸を、廃屋から零れる僅かな光が照らす。
 その薄光は弥蔵の表情も幽かに照らし出す。
「以前、どこかでお会いしたような。」
 闇がこれまでとは異なる声質で呟きながら、弥蔵の表情を何度も窺う。
「もしや、羽柴家中の御仁では…。」
 仮の身分とはいえ自分の正体を言い当てられた弥蔵が、相手の表情を覗き込む。男は、弥蔵が想像していたよりも、若い。
「わたしどもは金ヶ崎の退き口で松永弾正忠配下にあって信長公の朽木越えを先導した漂泊の一族です。貴公を殿軍の羽柴陣中でお見かけしたような記憶がございます。お人違いでしょうか…。」
 遡ること七年前の元亀元年(一五七〇)、当時、信長の支配下にあった将軍義昭からの上洛要請を、信長の仕掛けた罠として拒み続ける朝倉義景を討伐するため、信長は、突如、京を進発して、電光石火の間に越前に侵攻した。しかし、織田氏と同盟関係にあり、また、従前より朝倉氏に深い恩義のあった北近江の浅井長政が悩み抜いた揚げ句、朝倉方に付いたことにより、信長率いる織田軍は背腹に敵を受け、絶体絶命の危機に陥った。
 弥蔵の横を歩く若い男が語った「金ヶ崎の退き口」とは、その織田軍が越前金ヶ崎にあって、浅井勢に退路を塞がれ、朝倉勢の猛追を受けながら、近江を経て京まで撤退した際の退却戦を指す。
 この合戦で、秀吉は全滅の危機に瀕した織田軍にあって自ら申し出て殿軍を務め、大損害を出しつつも、浅井・朝倉勢の猛攻をある時は受け、また、ある時は流しながら、全軍の退却を助けた。織田軍が全滅を免れたのは、羽柴勢の武功によるところが大きい。その決死の退却戦を弥蔵は清太の父清吾とともに、寄騎として羽柴陣中にいた重治の麾下で経験した。
 一方、この退却戦で、信長は久秀の献策を採用し、湖西から朽木を経て京へ至る裏街道の一つ、朽木街道を退路に採った。その際、久秀の陣中で具体的な道案内をしたのが、この若者の一族だった。
「あの戦場(いくさば)におられたか…。」
 場所が離れていたとはいえ、絶体絶命の状況を共有した経験は、人間に生来備わる自己防衛のための拒絶反応を抑制し、中和させる。
 その遣り取りを聞いた清太が湿り気のある地面からむっくりと立ち上がり、闇中に姿を現す。前触れもなく地面から沸き上がった清太の気配に、五つの影が一斉に身構える。
「わたしの主人です。」
 弥蔵の説明で五つの影が緊張を解き、清太と弥蔵を堆く重なった廃材の裏側へと案内する。十数人の老若男女が緊張と好奇の視線を二人に注ぐ。清太達が入った場所から見て最も奥まった位置に先刻の娘の姿が見えた。
 清太達は周囲に勧められるまま、焼け残った大梁を地面に横たえた即席の長椅子に座る。
―年格好はわたしよりも少し上だな…。
 清太は、二本の長椅子の間で燃えている焚き火に照らされた若者の容姿を観察する。
 若者が焚き火を挟んで清太達の対面に席を取る。若者の両脇に一人ずつ、さらに、清太と弥蔵を挟む形で長椅子の両端に二人が座る。若者も含めいずれも痩身だが、全体として無駄のない均整の取れた体格である。
「我々は神楽を生業にして、津々浦々を巡る漂泊の一族です。わたしはこの一族の族長で伊織と申します。」
 焚火の向こう側にいる若者が名乗った。
―挙措に隙がないのは、舞踊の修練によるものか。
 清太は、伊織を含め自分達の周囲を固めている男達の無駄のない動作に理由を見つける。
 続いて、弥蔵が自分達の出自を説明する。
「我々は阿波の僻地で暮らす山の民です。主人は我々一族を束ねる族長の嫡流で清太、わたしは郎党の弥蔵です。ちなみに、伊織殿は旅の一族とのことですが、御本地(ほんぢ)はいずこでしょうか。」
 伊織は、
「旅の一族ですので、本地はございません。強いて言えば、先祖累代の墓所は大和木津川にあります。」
と答える。弥蔵が「木津川」という地名を聞いて身を乗り出す。
「わたしどもは源平の世に源氏に追われ、人里離れた山塊の奥深くに逃げ隠れた平氏の末裔です。大和の山中、木津川の上流にも同族が落ち延びたと聞きますが、ご存じではないですか。」
 伊織の表情にさらに明度が加わる。
「我々も平氏の末裔です。」
 鎌倉・室町両幕府と時代は流れたとはいえ、平氏の落人という一族の出自は同族において親から子、子から孫へ連綿と伝承される。
 さらなる奇縁が、それまで清太達から物理、精神の両面で距離を置いていた一族全員の警戒心を解きほぐし、清太達を親しみの籠った温かい空気で包み込む。
 廃屋の奥から大きな徳利を捧げた媼が、なぜか、
「めでたい、めでたい。」
と言いながら、焚火に近付き、伊織の茶碗に軽く酒を注いで毒味をさせたあと、清太と弥蔵に茶碗を手渡し、皺だらけの笑顔を作って酒を勧め、焚き火を囲んでいる一族の男衆にも酒を注いで回る。
 全員に酒が行き渡ると、邂逅を賀して小さな宴が始まる。
 清太が伊織達に峡の御劔を探し求めてきたこれまでの経緯を説明し、
「恐ろしい思いをさせたかもしれません。申し訳ありません。」
と、奥にいる娘に改めて謝罪する。
「顛末は承知しました。御一族伝承の宝剣を盗まれ、さぞお困りでしょう。平氏所縁の好誼です。我々が存じていることをお教えします。」
 伊織が、冒頭、
―刀剣の収集は松永久秀からの依頼。
と結論を示して、物語を始める。
 久秀が三好長慶の配下にあって奈良や堺などで強い影響力を持つようになると、大和十津川に先祖代々の墓所を持つ伊織の一族も、いつの頃からか旅の途次に久秀のもとに立ち寄り、他国の情勢など土産話を届けるようになった。とはいえ、
―主従関係はない。
と、明確に否定する。一方で、伊織達の一族は久秀に種々の情報を提供することにより、往時、彼の支配下にあった大和国内で種々の便宜を得てきた。
 刀剣については、これまでに三条河原から持ち帰ったものを含め、各所で収集した二十振以上の刀剣を久秀に譲り渡していた。
 清太が御劔の特徴を説明する。
「お探しのような刀剣は記憶にありません。しかし、久秀はわたし達以外にも様々な手蔓を使って刀剣を収集しているようですので、久秀の手元には多数の刀剣があるはずです。その中にお探しの宝剣があるかもしれません。」
 清太が伊織の一族が大和に関係が深いことを踏まえて、質問を変える。
「信貴山朝護孫子寺の乙護法という僧侶をご存知ないでしょうか。」
 伊織が焚火の周囲にいる同族の男達に視線を一巡させるが、反応がない。
 伊織が背後を振り返る。
「爺さま、聞いていましたか。」
 一族の最長老とおぼしき痩せた老人が伊織の背後に近付き、か細い声で、
「乙護法という僧名は存じませぬが…。」
と断りながら、伊織の座っている長椅子の端に猫背をさらに丸めて腰掛ける。
「飛鳥の昔、聖徳太子が物部守屋討伐のため、河内稲村城へ向かう途次、信貴山に立ち寄り、戦勝を祈願したところ、にわかに天空から毘沙門天が現れ、太子に必勝の秘法を伝授したと申します。その後、太子は毘沙門天の加護を得て守屋に勝利し、祈願成就の御礼として、毘沙門天の仏像を刻み、「この山、信じ貴ぶべし」という意味を込めて「信貴山」と命名し、堂宇を建立されました。」
 老人の語りは一気に延喜・延長年間まで下る。

コメント

このブログの人気の投稿

【完結】ランニング、お食事 2022年5月~2022年12月

ランニング、グルメ、ドライブ 2023年4月〜

ランニング、グルメ、クライム 2023年7月〜