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峡の劔:第十一章 兵法者(1)

第十一章 兵法者  清太は、重治に一報を届けるために伝輔を近江長浜へ先行させ、弥蔵とともに山陽道を東進する。清太の前方を少し離れて、浦上宗景とその旧臣六人、さらに、彼らの荷駄と信長へのささやかな手土産を運びながら、宗景を警護する黒田家中の将兵十数人の一行が、山陽道を上る。宇喜多直家が襲撃者を放っているという前提で選りすぐられた浦上旧臣達の面魂はいずれも不敵で、豪胆である。  早暁に姫路を出立した一行は、この日の宿所を須磨に定め、休息をほとんど取らず、早足で進む。  須磨に近付いた頃には山陽道は暮色に包まれ、夕凪が訪れる。旅程が終盤を迎え、強行軍による疲労と相まって、一行の警戒心が緩みがちになる。旅人に一時の憩いを提供する一本の大樹が長い影を地面に落とす。大樹が植えられた小塚から須磨まではおおよそ四半刻、既に周囲の景色は色彩を失い始めているため、一行はそのまま小塚を通過する。その時、 「浦上宗景殿。」 と、暗い樹冠自身が発したような低い声が呼ぶ。  一行が立ち止まると、小塚の周囲から無数の人影が湧き上がる。三十人前後の襲撃者が一行の前後に立ち塞がる。 「何者。」  宗景の上ずった叫び声を契機に、敵味方双方が抜刀する。宗景一行の中から網笠を深く被った痩身の武士が、茜色の夕陽を瑞(きら)厳(きら)と跳ね返す抜き身を気にも止めずに飄々と進み出る。  宗景一行に駆け寄ろうとした弥蔵が敵中にあるとは思えないその武士の大胆な行動に脚を止める。清太も武士の挙動を見つめる。 ―何をするつもりだ。  直進する武士が襲撃者達の包囲環と交錯する寸前、武士の進路を妨げる形になった襲撃者二人が抜き身の太刀を構えたまま、何かに操られるように包囲の輪を解き、武士に道を空ける。 「何かの術か。」  清太が弥蔵に小声で尋ねる。 「わたしも初めて見る光景です。」  清太と弥蔵はいつでも駆け出せる体勢を取りながら、武士の不可思議な行動を静観する。  武士は敵味方の視線を集めながら、包囲環を抜けて五歩ほど進み、停止する。そして、次の瞬間、反転しつつ刀を抜き、先刻、自分が作り出した包囲環の綻びに突進する。  襲撃者達は呪縛から解き放たれたように、乱れ騒ぎながら身構え、武士に対応するために激しく動く。武士は襲撃者達の騒擾の中に躊躇なく踏み込み、峰打ちの太刀を左右に払って瞬時に

峡の劔:第十章 貴人(2)

 浦上氏は、室町幕府の重鎮赤松氏の配下にあって、播磨・備前・美作に勢力を扶植した。戦国期に入った明応五年(一四九六)、赤松氏の当主政則が急逝すると、浦上氏の当主村宗は政則の婿養子赤松義村を擁立し、播磨の別所就治らとともに赤松氏の実権を掌握した。しかし、備前・播磨・美作三国の守護職として実権の奪還を志し始めた義村と村宗は激しく対立し、衝突へと発展した。この争いに勝利した村宗は、義村を強引に隠居させて赤松氏の家督を義村の嫡子赤松政祐に相続させ、さらに数年後、義村を暗殺して、赤松氏の実権を掌握した。これにより浦上氏の最盛期が訪れた。  その後、享禄四年(一五三一)に、室町幕府三管領の一家細川氏内部の権力争いに端を発した摂津大物の合戦で浦上村宗が討死すると、村宗の嫡子浦上虎満丸が一族浦上国秀の後見を得ながら、幼少の身で家督を相続した。しかし、村宗の討死を好機とみた山陰の尼子氏が、中国山地を越えて山陽に侵入し、播磨諸城を次々と攻略した。虎満丸は劣勢を挽回すべく仇敵赤松政祐と結んだが、退勢を挽回できず、天文八年(一五三九)には政祐とともに播磨を追われて和泉堺に落ち延びた。翌年、政祐は将軍足利義晴からその偏諱を賜り赤松晴政に改名し、浦上虎満丸は元服して同様に義晴から一字を賜って政宗と名乗り、その後、二人は将軍義晴の後ろ楯で播磨に復帰し、協力して勢力を拡大し、播磨に加えて備前を奪還した。しかし、天文二〇年(一五五一)、尼子晴久が再び美作・備前に侵攻すると、尼子氏との同盟を主張する兄政宗に対して、弟宗景は父村宗死後の混乱につけ込んで播磨を侵略した尼子氏との盟約を是とせず、兄弟は激しく対立し、宗景は毛利氏に与して備前天神山に拠り、播磨室津を拠点とする政宗との間で骨肉の争いを繰り広げた。 ―宗景は織田方では…。  清太が首を傾けるのを見て、弥蔵が、 「ここまでは天文、弘治年間の出来事でございます。」 と補足し、さらに続ける。  宗景は安芸の毛利元就や備中の三村家親の支援を得ながら、政宗側に付いた備前・美作国人衆の攻略を進めた。  永禄三年(一五六〇)に、尼子氏の当主晴久が急逝すると、備前・播磨国人衆が後ろ盾を失った政宗から次々と離反し、宗景に味方した。しかし、その後、宗景は美作の支配権を巡って三村家親と袂を分かち、家親支援に回った毛利氏との同盟を結果的に破棄した。  ここ

峡の劔:第十章 貴人(1)

 孝高が、姫路城を辞そうとする清太を、呼び止める。 「竹中様に返書を認めるので、明日夕刻、再度、足労を願いたい。」  清太は承諾して、一旦、姫路城を退去する。  翌日、夕刻、清太達は姫路城を再訪し、昨日と同じ小書院に入る。部屋には昨日の顔触れに加えて、落ち着きなく視線を動かす初老の武士が座っている。 「浦上宗景様です。」  孝高が初老の武士を紹介する。 ―備前・美作の山中で小さな蜂起を繰り返す浦上旧臣達に業を煮やした備前の宇喜多直家が秘かに忍びなどを使って掃討を進めている。 という程度は、清太も播磨入国後に把握していたが、それらは無数にある情報の一つに過ぎず、特に注意を払ってはいなかった。 「織田家中、竹中家家臣の池田清太と申します。」  清太は型通り宗景に対して挨拶したが、宗景は無言のまま、清太と弥蔵を一瞥する。  黒田家の家臣が宗景の略歴を代弁する。 「浦上宗景様は備前・美作を中心に勢力を広げた浦上氏の御当主で、現在は織田様にお味方されています。」  孝高が、宗景と清太の間に流れる何となく刺々しい空気を、故意に無視して、宗景が同席している理由を説明する。 「宗景様は安土に赴き、浦上氏再興を信長様に直接嘆願するため、まずは摂津有岡城の荒木村重殿のもとに参ります。しかし、宗景様は毛利や宇喜多に命を狙われております。そこで近江長浜への帰路、御両所に宗景様を護衛いただきたいとお願いする次第。」  初対面の印象で宗景の態度に嫌悪感を抱いてしまった清太は、 「拙者どもでは力不足でございますな。」 と、にべもなく拒絶する。同時に、このことが清太に、 ―重治様への書状を依頼すると言いながら、この老人の護衛が本心か。孝高殿の詐略に嵌まったな。孝高殿は策を弄し過ぎる。 という、複雑な感情を抱かせた。 「無論、当家からも護衛は出します。しかしながら、念には念を入れるため、是非ともご同行をお願いしたい。」  家臣達も懸命に説得する。 「主人への報告を急ぎますゆえ、ご容赦いただきたい。」  清太は拒否の姿勢を崩さない。 「貴殿のご事情はお察しする。では、伊丹有岡城までの護衛だけでもお願いできませぬか。何卒、お聞き届けを…。」  家臣達が妥協点を探りながら、清太を引き続き説得する。しかし、清太は拗れてしまった自分自身の感情を簡単に整理するつ

峡の劔:第九章 策士(2)

 清太と弥蔵は、身分ありげな武士の案内で姫路城内に入って、細い渡り廊下を通り、小さな庭園に面した書院造りの小部屋に入る。矢竹が厚く植えられた庭の向こう側に鬱蒼と繁茂している常緑樹が小書院からの眺望を遮り、周囲の様子を窺うことはできない。小書院の出入口は一枚の薄い障子戸だけで、そこさえ固めれば、この部屋に入った人間は容易には逃走できない構造になっている。 「何かと行き届いていますな。」  弥蔵が小書院の造作を眺めながら、小声で清太に呟く。  数人の武士が渡り廊下を踏む足音が聞こえてくる。清太は小庭を背にして平伏したあと、武士達の着座を見計らい、顔を上げる。清太の正面にやや距離を置いて、上座の中心に小柄な武士が、彼を扇の要にして二名ずつが両脇を、さらに清太達の背後を四名が固めて、清太達の挙動に油断なく注意を払う。 「竹中家中の池田清太、後ろに控えますは、同じく穴吹弥蔵と申します。」 「黒田孝高でござる。遠路の使者、大儀です。」  孝高は、 ―虚飾や詭弁を見逃さぬ。 という鋭い眼光を、清太達に向ける。清太は臆することなく、重治の言葉を伝える。 「主人重治が黒田様の播磨におけるご活躍に感服し、秀吉様も播磨のことは黒田様にお任せしておけば間違いないと周囲に語っております。」 「過分なる御言葉、かたじけない。」  孝高は表情を崩さない。  初対面の挨拶を交わすと、早速、清太が会話の舵を切る。 「播磨での織田氏の評判はいかがでしょうか。」  清太の質問が呼び水となり、孝高は貪欲に収集した情報と精緻な分析に基づき、播磨、そして、山陽・山陰、さらには、天下の鄒勢に関する持論を滔々と展開する。勿論、孝高は清太達の背後に、秀吉の帷幄にあって千里の外に策を巡らせる重治の存在を、強く意識している。  孝高曰く、革新に溢れる織田氏とは対照的に、毛利氏は、今は亡き山陽・山陰の覇者元就の遺徳に安住して保守的な色合いが濃く、旧態依然で、今後、一念発起したとしても、旧領維持までがせいぜいで、家勢は縮小衰退の途上にある。しかし、凡庸な播磨国人衆には霞の向こうにあって遠望することしかできない織田氏よりも、近視眼的に、かつ、明瞭に輪郭を把握できる毛利氏の容姿が美しく、また、大きく見える。さらに、播磨は、浄土真宗を中興した蓮如上人が布教のために高弟達を派遣したことなどにより真宗王

峡の劔:第九章 策士(1)

第九章 策士  清太と伝輔は四天王寺砦に戻ると、手負いからまだ十日余りしか経過していない弥蔵に、重治の指示で播磨に下向する旨を伝え、弥蔵の回復を確認する。 「鈍った身体を慣らすついでに、信貴山に使いいたしましょう。」  弥蔵は返答しながら、既に脚拵えを始めている。 「無理は禁物ぞ。」  清太の心遣いに、弥蔵が出立の準備を進めながら、心底嬉しそうな笑顔を浮かべる。  弥蔵は、亥介達に引き続き信貴山を監視するよう伝えたあと、何事もなかったように天王寺砦に戻ってきた。  清太は佐久間信盛の陣屋に赴いき、 「竹中様の添え状をもって陣をお借り致しましたが、戦功の機会を得ぬまま空しく退去せざるを得ぬ仕儀となりました。ご容赦ください。」 と、直接、信盛に詫びたあと、弥蔵、伝輔を伴って播磨へ出立する。  山陽道には旅商人や僧侶などを媒介して久秀の天王寺砦退去や北陸の情勢が無数の尾鰭を伴いながら伝搬する。それらは西に行くにつれて、 ―毛利氏、優勢。 という色彩へと変化し、人口を膾炙して巷間を巡る。その中には、 「越前では上杉謙信が柴田勝家を撃破して、既に上洛の途上にある。」 などというまことしやかな流言飛語も混入する。清太はそれらを耳にするたび、 ―たとえ妄言や誇張であっても、繰り返し耳に流し込めば、播磨の国人衆達は去就に迷うことだろう。 と想像し、また、 ―裏世間の小さな施術が時流を大きく変えることもある。 ということを改めて実感する。  姫路に到着した清太達は、近郊の小さな鎮守の杜に紛れ込み、手頃な大きさの祠を見つけて当面の拠点に定めたあと、万一に備えて伝輔に留守(りゅうしゅ)させ、清太と弥蔵だけで姫路城に赴き、「竹中重治からの使者」として公式に来訪を告げ、重治の書状を門番に差し出す。  姫路城は姫山と呼ばれる小高い独立丘峰全体を戦国風に要塞化した山城である。室町時代初期に築城されたが、それを孝高の祖父黒田重隆が戦国風の山城に仕立て直した。以降、黒田家が三代にわたって手を加えてきた姫路城は山陽道の中でも指折りの堅城となり、また、その城下は賑わいのある町の一つになっている。  黒田氏は流浪の境遇にあって播磨に流れ着いた重隆が広峯神社と提携して黒田家伝来の目薬を製造・販売することで財を成した。その後、播磨国人衆小寺氏の要請で出仕したことに

峡の劔:第八章 暗夜行(3)

 二人は部屋の障子を軽打する音で覚醒する。  障子が開き、重治が入室する。 「遠路、貴重な報せを届けてくれた。慌ただしいことだが、次は播磨に下って貰いたい。」  重治は結論を先に述べて、背景の解説を始めた。  信長は、まず久秀の翻意を慫慂する。しかし、久秀がそれを受け入れるとは考えがたい。そうなれば、必定、信長は短期に事態の収束を図るため、信貴山城討伐の大軍を催す。  秀吉は柴田勝家の援軍として北陸に出陣しているが、秀吉と重治は、 ―甕割り柴田は籠城など守勢の場面で大いに力量を発揮するが、野戦はお世辞にも巧者とは言えぬ。 と評し、その野戦の相手が軍神上杉謙信となれば、敗北は必至と値踏みする。  中国地方に視線を移すと、毛利氏が久秀の謀叛を契機にして織田勢力との境界付近に位置する播磨や伯耆などの国人衆に硬軟織り混ぜた激しい揺さぶりを掛けるはずであり、織田家中で山陽道の申し次を自認する秀吉が北陸で拱手していては織田氏に靡然する国人衆に大きな不安が広がりかねない。さらに、織田勢が北陸で兵力を大きく毀損すれば、中国地方における織田氏の信用は下落し、秀吉の求心力も低下する。  重治は播磨一帯の動揺が増幅しないよう、秀吉本人あるいは羽柴家の然るべき立場の者が播磨に下向する必要を説いた上で、織田氏と毛利氏を天秤に掛ける播磨国人衆について事前の情勢探索を清太に指示し、特に黒田官兵衛孝高の名前を挙げ、彼の観測と展望を入念に確認するよう付け加える。  黒田孝高は播磨の一勢力に過ぎない小寺氏の家老でありながら、播磨の最大勢力である別所氏をはじめ複数の播磨国人衆を説いて織田方に引き入れた智謀の人である。一方で、 「織田家中には孝高を口舌の徒、縦横家の類いなどと陰口し、信を置けぬと酷評する者達も少なくない。」 と重治は語った。  清太と伝輔は重治と別れて、再び騎上の人となり、夕刻、長浜に到着して、伝輔の案内で主人不在の竹中屋敷に宿をとる。翌朝、二人は湖上を帆走して坂本で下船し、さらに騎走して大原に戻る。 「お疲れ様でございます。仕度が出来次第、夕餉にいたしますので、それまで暫くお休みください。よしのさんももうすぐ戻って参ります。」  出迎えた於彩の言葉の末尾に、清太は鼓動の早まりを感じつつ、離れ屋に入って、伝輔とともに畳の上に寝転がり、疲労の蓄積した身体を休め

峡の劔:第八章 暗夜行(2)

 清太は伝輔を先導にして馬に乗り、越前北之庄へ向かう。 ―大原の嘉平屋敷に立ち寄って、最新の情勢を頭に入れておきたい。  そう考えた清太の脳裏に、一瞬、よしのの面影がよぎり、鼓動が微かに高鳴る。しかし、疾駆する馬の揺動がそれをすぐに掻き消す。  清太達は陽の高いうちに大原に着くと、於彩が入れた冷たい焙じ茶を旅装のまま一気に飲み干し、井戸水に浸した手拭いで顔と手足に付着した砂埃と汗を拭き取る。その間に、於彩が屋敷を出て、嘉平を畑から呼び戻す。  清太は離れ屋にある縁側に腰を下ろして、嘉平から直近の情勢を聞く。 「既に織田勢の先陣は越前北之庄を進発し、能登七尾城の救援に向かったと聞きます。織田勢と上杉勢の衝突は間近でしょう。」  嘉平から北陸方面を中心に情勢を一通り聴取した清太は、自身の認識と事実の間に大きな乖離がないことを確認した。逆に言えば、 ―北陸では久秀の決起を促すような材料は見当たらない。 ということになる。  清太は嘉平との面談を終えると、乗馬を嘉平に預け、旅装を解くことなく、伝輔とともに慌ただしく大原を出立する。 ―夜道は騎行よりも脚走がよい。  二人は人影の消えた洛北街道を自分の脚で駆ける。清太の前方にはまだ円形に近い十八夜月に照らされた伝輔の背中が白く浮かぶ。二人は近江大津を経て、琵琶湖東岸の北国街道を北上し、深更を過ぎて比叡の山並みに月が沈んだあとも、夜空に明滅する星々だけを頼りに、速力を落とさず、超人的な体力で漆黒の夜道を馳駆する。  未明、二人の前方、朝靄の向こう側に薄墨で刷いたように滲む北之庄城の輪郭とその周囲に揺らぎを含みつつ点在する篝火が浮かぶ。北陸への出陣を命じられ、北之庄城下に参集した織田軍の屯営である。屯営と言っても、敵兵と直接接していないため、遠目で見ても灯火の勢いに強い緊張は感じられない。 「今からでも侵入できぬことはないが…。」  清太は伝輔の意見を求める。 「不測の事態が起こらぬとは言えません。夜明けも近いので、ここで一旦休止して、明朝、改めて出立しては如何でしょうか。」  伝輔は冷静に自分達の疲労を計量して、方途を示す。日頃から重治の薫陶を受けている伝輔の判断には無理がない。甲丞を継承する立場にある清太にとって、伝輔の思考方法には見習うべき点が多い。  二人は郊外にある小さな廃寺の破れかけ

峡の劔:第八章 暗夜行(1)

 八月十七日深更、冴えわたった月の下で響く孟秋の虫の音を乱さぬよう、久秀と近習達が枚(ばい)を含ませた馬に乗り、夜陰に紛れて密かに天王寺砦を出た。  百足という兎吉らしき影が再訪することを期待しながら、松永陣屋を監視していた亥介と総馬が息を潜めて久秀一行の静かな出立を見つめる。 「隠密には向かぬ月夜だが、夜討か…。」  総馬が呟く。 「夜討ちにしては兵が少ない。それに他の陣屋は寝静まったままで動く気配もない。後をつけてみるか。」  亥介が一行を見つめながら、総馬に答える。  二人は一行と十分な距離を取りつつ、追跡を開始する。  十七夜の月が西に傾き始めた夜半の摂津平野を、一行は何かを恐れるように無声無音のまま一列になって南行する。  早秋の深更に特有の冷気を帯びた夜露が夜空から降り注ぎ、一行の精神を湿らせ、人馬の足取りを重くする。殿軍に位置する武将が妄想に怯えるように幾度も背後を振り返り、追手の有無を確認する。一行は和泉に入ると、堺の町域を避けて郊外の田園地帯を進み、次第に進路を東に変える。一行の進む街道は生駒山脈に向けて上り勾配を加えながら、山々を被覆する濃い樹叢に至る。山中に入った一行に微かな安堵の色が流れ、緊張と背後への警戒を緩めて、馬の枚を外し、山径を松明で照らしながら騎行に速度を加える。徹夜の行軍で一行の疲労は限界に達しつつあったが、峠を越えて朝靄の煙る薄明の向こうにまほろばの大和盆地を望むと、一行は生気を取り戻して、久秀の居城信貴山城に辿り着く。  信貴山城は古刹朝護孫子寺の北方に高々と聳える信貴山の峻険な山頂に天守を構える防御に偏向した堅牢な山城である。  久秀の入城を見届けた総馬が、清太達に報せるべく、天王寺砦へ蜻蛉返りする。  亥介は信貴山城を引き続き監視するため、この場に留まる。  清太は日が高くなっても戻らない亥介と総馬を案じて小屋を出る。  昨日までに比べて砦内を多くの使者が忙しく往来するなど、天王寺砦全体の重心が上方に移動したような安定の低下が感じられる。それは松永陣屋に近付くにつれ、喧騒へと変質していく。  清太は馴染みになった門番に陣屋内の様子を尋ねる。 「今朝方、陣屋の主殿(あるじどの)が忽然と消えたらしい。」  回答の内容とは裏腹に、門番の口調は楽観的で、どこか他人事のようでもある。  清太は門

峡の劔:第七章 黒衣の旅僧(2)

 黄褐色の微粉末を全身に浴びた弥蔵が崩れるように地面に蹲り、薄れていく意識の中で左腕に刺さった細い針を懸命に抜き取って、小さな傷口に何度も唇を押し当て、血を吸い出し、地面に吐き捨てる。弥蔵が咄嗟に受け止めた細針の不気味な蒼い光跡は毒の塗布を意味していた。清太は毒薬が全身に回らぬよう、自分の髪を止めている紐を外して弥蔵の左腕の付け根を緊縛する。次第に動作が鈍っていく弥蔵に代わり清太が傷口から毒を吸い出す。不純物のない弥蔵の鮮血を舌の上で確認した清太は毒薬と妖薬の双方で意識を喪失していく弥蔵を背負って、小屋へと戻る。 「弥蔵が手傷を負った。傷は浅いが、毒にやられている。」  清太が短く告げながら、苦しげに呼吸する弥蔵を床に横たえる。亥介と総馬が弥蔵を診る。弥蔵の左腕が鈍い土色に変色し、左手の指先が痙攣している。 「まずは解毒です。」  総馬が土間にある甕から水を汲み、左腕の傷口を何度も洗う。亥介が鎧櫃の中から薬籠を取り出し、真新しい木綿布に峡に伝わる解毒の膏薬をたっぷりと塗布して、弥蔵の傷口全体に当てる。さらに、亥介は白湯に溶かしたこちらも峡伝来の解毒剤を、ゆっくりと弥蔵の口に流し込む。  弥蔵は荒い呼吸を繰り返しながら、時折、苦しげな呻きを発する。 「毒に身体を、妖薬に精神を犯され、激しい苦痛と幻覚に襲われているのでしょう。しかし、若様の素早い処置のお陰で、毒は致命的には回っておらぬようです。それにしても、床下に潜む弥蔵殿を察知し、さらに、ここまで追い詰めるとは相当な手練ですな。」  清太は弥蔵が手傷を負った際の状況を語った。 「弥蔵は百足と呼ばれた旅僧の従者と干戈を交えながら、「兎吉」と小さく叫んでいた。相手からの応(いら)えはなかったが、夕闇とはいえ弥蔵が「兎吉」を見誤るとは考えられぬ。」 「峡を捨てた上に、得体の知れぬ妖僧の従者になるとは阿呆な奴じゃ。」  総馬は若いだけに感情を先行させて、自分と同じ丙部出身の兎吉を罵る。清太は、総馬の発言に直接触れずに、 「黒衣の旅僧の正体はわからぬが、凄腕であることは間違いない。兎吉一人であれば、捕えることは容易だが、旅僧の邪魔が入るようならば、事は簡単には運ばぬかもしれぬ。なぜ、旅僧が退いたのかは解せぬが、旅僧がその気になれば、わたしも無傷では済まなかったかも知れぬ。」 と、呟く。 「何れにしても

峡の劔:第七章 黒衣の旅僧(1)

 数日後の夕刻、松永陣屋の門前に墨染めの布で全身を覆った旅僧が現れる。  弥蔵が旅僧の唇の動きを読み取る。読唇術などの細かい芸当は経験豊富な弥蔵の十八番である。 ―弾正殿に数寄の僧が喫茶しに参ったと伝えよ。  弥蔵が清太の方を振り返って旅僧の言葉を伝える。  松永陣屋には、織田氏の伝令や使者は当然だが、戦陣であるにも係わらず茶の湯を嗜む商人や茶道具を納めに来た商家の手代など様々な人間が出入りする。  清太は「茶」に関して多少の知識はあったが、「茶」を名目に戦場の陣屋に得体の知れない者が多数出入りし、さらに、侘び寂びなどと言いながら、主客のみで小さな部屋に籠って余人を近付けず語り合うことについて、先日の藤佐の件もあり、相当な疑念を抱いている。 「妖怪の類いは夕刻に姿を現すものと相場が決まっています。少し様子を見て参ります。」  冗談交じりに言った弥蔵の影が、松永陣屋の砦柵の向こう側に吸い込まれる。  四半刻ほど経過する。  夕陽が山の端に懸かり、濃い暮色が周囲を支配する。  清太の瞳が、夕闇を突いて陣屋の砦柵を飛び越える弥蔵の影を、捕える。  直後、弥蔵を追跡する形で別の影が砦柵を跳び越える。 ―先刻の旅僧…。  清太は弥蔵の背後にある黒い影を識別する。  弥蔵の軌跡が、清太の潜む樹幹を避けるように右へと緩い円弧を描く。  旅僧が弥蔵を追跡しながら、短く口笛を吹鳴する。尖った高音に反応して、清太の左側、十間ほど離れた位置に、忽然と殺気が湧き上がる。清太は太い樹幹の背後に姿を隠し、杖を握る左手に力を込めながら、右手を懐に入れて小柄を握る。旅僧は一心不乱に疾走している弥蔵との距離を次第に縮める。  清太の左側に湧いた殺気が弥蔵の前方に回り込もうと移動する。弥蔵はその意図を避けるため、進路を左方へ曲げる。  結果的に弥蔵は清太の潜む樹幹の脇を駆け抜ける。  執拗に弥蔵に追い縋る旅僧がその樹幹を通過した刹那、清太が立て続けに二本の小柄を旅僧に投じる。  小柄は旅僧の影に吸い込まれる寸前に、黒衣に弾かれたように失速し、乾いた音を立てて地面に転がる。  清太は剣を抜き、旅僧に襲い掛かる。旅僧は大きく真横に跳び、清太が振り抜く瞬速の太刀筋を躱す。清太は大胆に跳躍して、渾身の斬撃を繰り出す。旅僧は全身を包む黒衣を大きく揺らしながら、後方に跳

峡の劔:第六章 四天王寺(2)

 ほどなく老僧が細長い形状の宝物を収めた綾織の袋を両手で奉戴しながら、金堂を退出する。 ―宝剣…。  亥介達は老僧の手元を凝視する。  その瞬間、老僧は金堂の入口を警護する四人の僧侶を手招き、突然、亥介達を指さす。老僧と亥介達の視線が絡まる。遠くにあるはずの老僧の瞳が二人の視界に大きく広がる。 ―魅入られる。  二人は視線を外して、老僧の瞳から逃れる。しかし、老僧が自分たちを指し示す指先が二人の瞳の中でゆっくりと回転しながら次々と分裂し、二人を妖異の世界へと引き摺り込む。二人の視界が無数の指先に支配される寸前、指は消滅し、微笑を浮かべた老僧の皺顔に変化する。その刹那、僧侶達が次々と半鐘、木鉦、指笛などを鳴らし、寺域全体に侵入者の存在を知らせる。 「嵌められた…。」  総馬が呟く。  老僧は何事もなかったように悠然と中門へ歩いていく。  伽藍内にいる僧兵、僧侶が亥介達の足下に集まり始める。伽藍内の騒擾は外部にも伝播するが、伽藍の外側にいる僧達は侵入者の位置を特定できないまま、いたずらに右往左往している。亥介は背後を振り返って総馬の袖を引き、 ―撤収じゃ。 と、目顔で告げて促す。回廊内の僧侶、僧兵達が篝火を集めて亥介達の姿を求めつつ、老僧が指し示した場所に出鱈目に矢を射込む。回廊外の護衛も回廊内に集まる篝火と矢唸りを頼りに亥介達の足元に集まる。 ―囲まれる。  亥介は回廊の外側に向けて高々と着衣を一枚だけ脱ぎ捨てる。空中に舞った亥介の着衣を賊と誤認した回廊外の護衛達が雄叫びを上げながら、その布切れに無数の矢玉を浴びせる。護衛達の意識を逸らしている間に、亥介と総馬は腹這いのまま素早く屋根の上を移動し、先刻の突風で篝火が消えたままの中門外側にある小さな植込みの闇溜まりに静かに着地し、寺域の騒擾を背中に感じながら、四天王寺をあとにする。  寺域の外に広がる漆黒の闇の向こうを、二人は目を凝らし、先刻の老僧の存在を探る。しかし、闇の向こうには静寂だけが広がっていた。  亥介達は小屋に戻り、清太と弥臓に老僧の妙技を始め四天王寺の中心伽藍で起こった出来事を詳細に報告した。 「伽藍全体に妖術をかけ、宝剣を盗み出し、最後には亥介と総馬の存在を僧兵達に告げて、自分の退去を容易にするとは、心憎いばかりの施術だ。」  亥介と総馬の表情は固い。 「老僧は自分の

峡の劔:第六章 四天王寺(1)

 亥介と総馬は天王寺砦に入って以来、日々、四天王寺に赴き、日中は寺の周囲から境内の建物や庭の造作、樹木や置物の配置などを調べ、夜更けになると境内へ侵入する。  神社仏閣における宝剣盗難を伝聞している四天王寺では、陽が沈むと偸盗の侵入に備えて多数の篝火を焚き、僧侶、僧兵が境内を巡回して不審者を厳重に警戒する。逆に言えば、これらの行為は四天王寺に宝剣があることを示唆しており、亥介達が四天王寺に日参している理由もそこにあった。亥介達は警戒の間隙を縫って、毎夜、灌木や建物の影などに潜みながら、偸盗の出現を待つ。  この日も、薄雲に霞んだ眉月が瀬戸内の細波立つ海面に沈み、暗い夜空に無数の星々が明滅する。夜半を過ぎれば、肌に触れる涼感を帯びた微風が秋の到来を感じさせる時節だが、今夜の四天王寺は多量の湿分を含んだ不快な生暖かい空気に覆われている。 「今宵はことさらに蒸せる。」  総馬が額に滲む汗を拭いながら、小声で呟く。亥介と総馬は百を超すであろう僧兵達に厳重に警備されている四天王寺の中心伽藍を囲む回廊の瓦屋根の上に俯せて、伽藍内部の様子を窺っている。 ―昨夜までとは何かが違う…。  二人は怪異の予感に、 ―臨兵鬪者皆陣裂在前。 の九字を唱え、邪気を払う。  中心伽藍の僧侶、僧兵達は不自然に上昇する暑気に、ある者は全身から噴き出す汗を幾度も拭い、ある者は扇子をあおぐ。時間の経過とともに、僅かに涼を与えていた微風さえも停止する。中心伽藍内部の不快が極大に達し、下品(げぼん)な僧兵達は襟を寛げて素肌を露出し、一部の者は口渇に耐えられずに水を求めて持ち場を離れる。  突然、烈風が起こり、伽藍内に蓄積した湿分と暑気、さらには、伽藍内に残留していた僅かな警戒心を吹き払う。 ―何かが始まる。  亥介と総馬が中心伽藍を見つめる。  再び烈風が中心伽藍を吹き抜け、中心伽藍の正面入口に当たる中門で燃え盛っていた篝火を掻き消す。中門の足下にできた闇溜まりに、突如、湧出した老僧が中門を固めている屈強な僧兵に歩み寄る。声を掛けられた僧兵は老僧の出現に何の疑念も持たず、先導して中心伽藍の内部へと案内する。 ―面妖な…。  外部から見ている亥介と総馬にとっては明らかな異状である。  僧兵に先導された老僧は、耿々と周囲を照らす篝火の中、中心伽藍を警護する僧侶、僧兵達に慰労の言葉

峡の劔:第五章 悪党の頭領(1)

 陽が夕凪ぎの瀬戸内海に傾斜し、情景が茜色を帯び始める。 ―日が沈んだ向こう側に西方浄土があるというならば、さぞ美しいことだろう。  清太は、瀬戸内の多島海に沈んでいく韓紅の夕陽を天王寺砦から眺望して、阿波剣山の山頂から眺望する、焼けるような紅い夕空とは全く別趣の、儚さを含蓄した佳景に心を奪われた。この日も精神を透明にして凝然と美しい夕陽を眺めていると、清太の視界の隅を見覚えのある旅装束の武士が横切った。 ―よしのを拐かそうとした悪党の頭領。  その頭領が松永陣屋の門前に立ったあと、門番の案内で陣屋に入っていく。  清太は門番に歩み寄り、掌に幾ばくかの銭を握らせて、武士の素性を尋ねる。門番は下卑た愛想笑いを浮かべ、銭を素早く懐に入れながら答える。 「わしも初めて会った武士じゃ。「久秀に兵法者の籐佐が茶を飲みに来たと伝えよ。」と言うておった。」  久秀は織田氏の武将であるとともに、著名な茶人、数寄者である。 ―怪しい。  清太は直感する。  幼少期から、時々刻々と転変する峡の厳しい自然の中で、清太は祖父や父から、 ―逡巡は命を危機に曝す。そうならぬため、自らの直感を磨き、そして、その直感を信じて行動せよ。 と、繰り返し教授されてきた。清太は修業を通じて自身の直感を研磨し、さらに、実践を積み重ねて、様々な事象に躊躇なく、直感に従って行動できる心胆を練り上げてきた。 「少し探ってくる。」  清太は隣にいる伝輔に言い残して駆け出し、夕闇に溶融し始めた松永陣屋の外側にある灌木の影に同化し、直後、軽々と砦(さい)柵(さく)を飛び越え、陣屋内に散在する小さな闇を素早く選び、残照を頼りに兵糧を使う雑兵を避けながら、陣屋の内部へと侵入し、一棟の建物の床下に滑り込む。床板の隙間から灯火の薄光だけが射し込む暗闇を、清太は気配を押し殺して匍匐で進む。耳を澄ませば廊下が軋む不規則な音に混じって、複数の会話が耳朶に流れ込む。清太はそれらの会話の断片から余人に気付かれることを恐れる密談を探り当て、慎重に接近する。  清太は峡における鳥獣との接触を通じて習得した動物的な感覚で、人間を含めた動物が他者との接触を警戒するために備えている無色透明な結界を触覚できる。  清太が幽かに漏れる会話との距離を計る。相手に自分の存在を気付かれないために確保すべき距離は、相手の他者

峡の劔:第四章 梟雄(2)

 大原から見上げる空間は峡よりも広いが、漆黒の夜空を背景にして両側に隆起する山嶺、さらにその遙か先で明滅する星々は峡の夜空を連想させる。  離れ屋を出た清太達はその夜空を見上げながら、母屋へ向かう。  於彩と於妙が、先日と同様、慣れた手付きで夕食の準備を進めている。よしのが料理を運びながら、清太に小さく一礼する。  清太はきびきびと働く於妙を呼び止め、小声で尋ねる。 「よしのさんの記憶は少しでも戻りましたか。」 「いえ、まだ何も。でも、明るさを取り戻していますよ。」  於妙は笑顔のまま続ける。 「よしのさんは働き者で、よく気が利きます。暫くは、家事を手伝って貰うつもりですが、落ち着けば寂光院に奉公させてもよいと思っています。」  清太は、記憶と一緒に生きる場所も失ったよしのが、仮初めとは言え、安住の場所を得たことを心底喜んだ。  よしのが清太の料理を運んできた。清太は彼女の心に残留しているはずの悲哀に触れないよう、優しく声を掛ける。 「大原の暮らしは如何ですか。」  よしのが清太の膳部に山菜や小魚の載った皿を並べながら、この屋敷に来た時には見せたことのなかった明るい表情で、清太をまっすぐに見つめ返す。 「ここは洛中の喧騒から離れて、静かな山奥にひっそりと佇む桃源郷のような場所です。周囲を囲む美しい山々を眺めていると、心が落ち着きます。」  よしのが話題を探して、少し間を置く。 「清太さんの故郷も山奥だとお聞きしましたが、大原のようなところでしょうか。」 「わたしの故郷は険しい山塊を幾つも越えた先にある秘境です。普段、余人が立ち入ることはありません。また、大原のように川や水田はなく、急峻な斜面を耕して雑穀を作り、深い森に分け入って獣を狩り、木の実を採って、糧を得ています。」  よしのは、峡の大自然が想像していた以上に過酷であることを知り、真剣な表情になって、さらに尋ねる。 「冬は雪が積もるのですか。」 「この天井ほども雪が積もります。しかも、命に係わるような極寒です。」  よしのは目線を上に傾け、縦横に組まれた大梁を見上げながら、峡の積雪を想像する。 「そんな雪の中を歩けるのですか。」  よしのが素直に驚く。 「吹雪の時には、景色は全て白色です。とても歩くことはできません。」  よしのと清太は短い時間ではあったが、会話を愉

峡の劔:第四章 梟雄(1)

第四章 梟雄  清太と弥臓は重治から預かった伝輔という若者とともに、船上にあって琵琶湖を南進する。  湖上の船中、弥蔵が清太に久秀の略歴を語る。  久秀は、室町幕府に大きな影響力を持ち、畿内に一大勢力を形成した阿波守護代三好長慶に重用されて、世に出た。長慶が永禄七年(一五六四)に逝去すると、跡目を相続した長慶の養子三好義継の後見として当時三好三人衆と呼ばれていた三好長逸、三好政康、岩成友通とともに三好氏、さらには、室町幕府を専横し、永禄八年(一五六五)には三好三人衆と共謀して室町幕府十三代将軍足利義輝を京都二条御所において弑逆する。 ―将軍殺し。  清太は室町幕府の存在や征夷大将軍という地位に何らの感傷も持ち合わせてはいないが、久秀と三好三人衆による欲望に塗れた反逆に対して彼らの精神のありように強い疑問を覚える。  その後、久秀は三好家内部の権力を巡って三好三人衆と袂を別ち、以前、敵対した三好義継と手を結んで、永禄十年(一五六七)に、古都奈良において三好三人衆・筒井順慶の連合軍と合戦に及び、三好三人衆が籠った東大寺に火を放った。  焼け落ちた大仏殿と毘盧遮那仏の無惨な姿に奈良の民衆達は、 ―必定、仏罰が下る。 と噂し、影で久秀を貶めた。  永禄十一年(一五六八)、岐阜から南近江を平定して上洛を果たした信長に対して、久秀は茶道具の大名物九十九髪茄子を献上して臣従を誓い、大和一国切り取り次第の手形を得て、宿敵筒井順慶などの敵対勢力を押さえ込んだ。  しかし、元亀三年(一五七ニ)、甲斐の武田信玄が足利義昭の要請を受けて、上洛の途につくと、久秀は三好義継や三好三人衆と再び手を結んで、信長に叛旗を翻した。しかし、信玄が上洛途上で病魔に倒れた結果、残された反織田勢力は支柱を失い、打倒信長の企図は水泡に帰した。そして、元亀四年(一五七三)七月、信長は足利義昭を追放して、室町幕府の命脈を絶ち、久秀の籠る多聞山城を攻めた。降伏開城した久秀は織田氏への帰参を許されたものの、大和一国を召し上げられ、同国信貴山に移った。大和一国は織田氏の重臣原田直政に与えられたが、直政が石山御坊の合戦で討死すると、信長はその後任に久秀の宿敵筒井順慶を充てた。 「おそらく、久秀はこの人事に多いに不満を持っています。」  弥蔵が話しを結んだ。  清太達は大原に戻り、洛中で御劔の

峡の劔:第三章 軍師(2)

「清吾が亡くなったのは誠に残念だ。」  重治は清太の端正な顔立ちに清吾の俤を感じながら、微かに瞳を潤ませる。 「よい目をしている。真実を見透すことのできる瞳だ。清吾の薫陶の賜物だな。峡はよい後継者を得た。」  重治は感慨深げに旧知の弥臓に語り掛ける。重治の口調は静かだが、情感があり聞く者に落ち着きと温かみを感じさせる。 「清太も存じておるかもしれぬが、…。」  重治は前置きして、清吾が初めて菩提山城を訪れた時の様子から始まり、清吾、そして、峡との様々な思い出を語る。そこには、清太が知っている事柄もあり、初めて聞く内容もあるが、峡の外部から見た重治の話は清太にとってはどれも新鮮に聞こえる。清太は、それぞれの出来事の表裏両面を改めて知り、ときに大きく頷き、ときに重治に質問して理解を深める。 「わたしと峡との付き合いはまだ長くはないが、格別に深いと思っている。」  重治は回想を締め括り、会話の重心を織田氏を中心とした天下の情勢に移していく。  天正三年(一五七五)四月、信長は三好康長が拠る河内高屋城を落とすなど摂津、河内で次々と蜂起する本願寺、阿波三好氏などの反対勢力を捩じ伏せながら、石山御坊攻略のため、兵十万を摂津四天王寺に進めた。信長が畿内に兵力を集中させ、東海方面が手薄になったと見た甲斐の武田勝頼は、信長と同盟関係にある徳川家康の本拠三河に侵入し、国境に近い長篠城を囲んだ。これを見た信長は三千挺の鉄砲を駆使し、武田信玄が育て上げ、当時天下無敵と賞賛された武田騎馬軍団を完膚無きまでに叩き潰した。  これにより東海方面の不安要素を取り除いた信長は、八月、加賀・越前二国を支配していた一向一揆を殲滅し、北陸方面の本願寺勢力を一掃して、柴田勝家を越前北ノ庄に置き、北陸攻略の拠点とした。  さらに、十月、信長は求めに応じる形で石山御坊と和睦し、山城から摂津、河内の安定確保に注力しながら、明智光秀に丹波攻略を命じるなど、さらなる勢力拡大を図った。  この時期、信長の勢力伸長を見た播磨国人衆の別所長治、小寺政職、赤松広秀が秀吉を申次にして信長に拝謁した。また、この頃、土佐一国を掌中に収めた長宗我部元親が信長に使者を出して阿波侵攻の了解を得るとともに、嫡男弥三郎の元服に当たって信長から一字を譲り受けるなど、遠近の戦国大名が勢力伸長著しい信長との交誼を求めた。

峡の劔:第三章 軍師(1)

第三章 軍師  翌早朝、清太達四人は二手に分かれて、嘉平屋敷を出立する。  清太と弥蔵は、 ―織田信長の家臣であり、羽柴秀吉の寄騎である竹中重治の耳目になって働く。 という峡の仕事に就くため、近江長浜に向かう。亥介と総馬は兎吉と宝剣を探索するため、洛中に出張る。それぞれが自分達の居場所や状況について飛脚などに託し、嘉平屋敷に届けることになっている。  清太と弥蔵は大原から北へ伸びる朽木街道を進む。暫く行くと、細い街道の右側に繁茂する樹林の密度が低下し、樹間から琵琶湖とその湖上に点々と浮かぶ帆船、そして、畿内有数の穀倉地帯近江平野が垣間見え、さらに霞の向こうには信長が築いた安土城が遠望できる。  二人は朽木街道を東に外れ、湖港堅田へと向かう。琵琶湖の東西両岸から陸地が迫り出した狭窄地形の西側にある堅田は遥遠に広がる琵琶湖の北湖と南湖の境界に位置する湖上交通の要衝である。日本海の海産物をはじめ北国諸国で採れた物産は敦賀で荷揚げされ、北国街道を通って近江長浜など北近江の港市に陸送され、そこで再び船積みされて湖面を渡り、南近江の堅田や大津に集積されたあと、畿内に配送される。京近江周辺が安定的に織田勢力の治下となって以降、琵琶湖周辺の物流はこれまで以上の活況を呈し、琵琶湖水運の一翼を担う堅田衆の本拠堅田も往時の繁栄を取り戻している。  清太と弥蔵は運良く出発間際の便船を見つけて、飛び乗る。  帆が風を孕み、船は滑るように静かな湖面を進む。  船が安土城を真横に見上げる位置に来る。 「燦々と輝くように煌びやかな城だな。」  清太は、想像を遙かに超越した安土城の巨大と壮麗に、目を見張る。  安土城が右舷から背後に移動すると、湖東の田園地帯が広がり、さらに北上すれば、近江長浜に至る。  秀吉は、天正元年(一五七三)に浅井久政・長政父子討伐の恩賞として、信長から浅井氏の旧領である北近江一帯を拝領すると、「今浜」と呼ばれていたこの土地を「長浜」に改名して、早速、長浜城の築城に着手した。  清太と弥蔵が長浜を訪れたこの時期、長浜城は既に竣工していたが、城下では未だにそこかしこで木挽きや槌音が響き、様々な屋敷の作事が進められている。長浜城へと続く大手筋の両側には真新しい材木特有の芳香を放つ新築の屋敷や商家などが並ぶ。人の手による新興の都市とは言え、自然の中から

峡の劔:第二章 悪党と娘(4)

 話柄が尽きたところを見計らって、清太が、 「あの娘のことですが、当面の間、この屋敷で預かってはいただく訳には参りませぬか。」 と、嘉平に持ち掛ける。今日の道中、弥蔵と話し合った結果であり、このことに強い想いのある清太が嘉平に切り出すということにしていた。  嘉平は、 「内向きのことですので、わたしの一存では決めかねます。」 と言って、台所に下がった於彩を部屋に呼び戻し、事情を説明する。 「宜しいですよ。」  於彩は迷いなく快諾する。嘉平は隣に座る妻の豪気な性格に改めて関心しながら、 「家内が良ければ、わたしに異存はございません。娘さんをお預かりしましょう。」  清太と弥蔵が改めて頭を下げる。 「でも、娘さんをお預かりするにあたって、一つだけお願いがございます。仮でも結構ですので、お名前を付けてあげて貰えませんか。」  於彩が提案すると、全員が賛同する。  於彩が娘を呼ぶ。清太が事情を説明すると、娘が小さな唇を開く。 「見ず知らずのわたしにお情けをかけていただき、ありがとうございます。記憶もなく、名前もわからず、行く宛もございません。何でもお手伝いいたしますので、納屋の片隅なりともお貸し下さい。宜しくお願いします。」  丁寧な言葉遣いが娘の出自の良さを感じさせる。 「色々とあったようですが、当分の間、安心して、ゆっくりお過ごしなさい。でも、一緒に暮らすのに名前がないのも不便です。どのように呼んだら宜しいかしら。」  於彩の言葉に娘は困ったように周囲を見回す。清太が、 「わたし達の故郷に吉野川という大河があります。その名前を取って「よしの」ということで如何でしょうか。」 と言った。娘は記憶が戻るまでの間、 ―よしの。 と呼ばれることになった。

峡の劔:第二章 悪党と娘(3)

 清太と娘は弥蔵を残して、於彩に勧められるまま、小径を挟んだ屋敷の正面を流れる小水路に向かい、水路脇に粗く組まれた石造りの洗い場に座って、足拵えを外した素足を流水に浸す。 ―着物が濡れないように。 と、僅かに上げた裾の隙間から白く柔らかい娘の小脛が覗く。  清太は水面の細波を茜色に染め出す夕陽に目を細めながら、娘に尋ねる。 「ご気分はどうですか。」  娘は足下の流れを静かに見つめながら、小声で答える。 「まだ、助けていただいた御礼を申し上げていませんでした。本当にありがとうございました。」  娘が清太の方に身体ごと向き直って、深く辞儀しようとするのを、清太は掌で制して、笑顔で問い掛ける。 「何か思い出しましたか。」  娘は両足を流れに浸したまま、再び川面に視線を落として、小さく首を振る。清太は会話の糸口を失い、押し黙ったまま、夕陽に染まる大原の山相を仰視して、峡を出発して以降の出来事や風景を思い返す。  大原の小世界は、摂津周辺で目にした戦乱を幻影かと思わせるほど平穏だった。  嘉平夫妻はよほど来客慣れしているのか、先着の清太達に亥介と総馬を合わせた五人の突然の来訪に慌てる様子もなく、手際良く対応していく。嘉平は夕餉の食材を調達するため、日没間近の高野川へ釣りに出掛け、於彩は清太達四人分と娘の寝具などを手早く整えると、屋敷裏の畑から適当に野菜を調達し、夕食の支度に取り掛かる。夕陽が山の端にかかる頃には、嘉平夫妻の息子治平が洛中から、治平の妻於妙が寂光院から帰宅し、準備を手伝う。  治平は嘉平と一緒に洛北の山中に自生する薬草や山菜を採取・加工して洛中で商いながら、於妙の奉公先である寂光院から野菜や日用品の仕入を請け負う。嘉平は楽隠居のような身分で、商いをほぼ治平に任せている。於妙は姑である於彩を後継して、治平が洛中で仕入れた品々を尼寺寂光院に納めるとともに、尼僧達の身の回りの世話をしている。  大原寂光院は天台宗尼寺の古刹である。推古二年(五九四)に、聖徳太子が父用明天皇の菩提を弔うために創建したと伝えられ、その後、文治元年(一一八五)、平清盛の息女で高倉天皇の中宮となり、安徳天皇を生んだ徳子が、源平合戦ののち、長門壇之浦で入水した安徳天皇と平家一門の菩提を弔うために、建礼門院真如覚比丘尼として侍女とともに寂光院に入った。  の際、建礼門

峡の劔:第二章 悪党と娘(2)

 まだ、陽は高い。  清太達四人ならば、夜更けには当初の目的地である洛北大原まで辿り着けるはずだが、意識を失ったままの娘を伏見街道の路傍に放置することもできない。  気を失ったままの娘を弥蔵が背負い、一行は亥介が探してきた無住寺に入る。  弥蔵は娘の身の回りの道具を求めるため、また、亥介達は夕食を手配するため、清太と娘を残して、一旦、無住寺を離れる。  清太は意識を失ったまま本堂の床に横たえられた娘の顔立ちをそっと確認する。娘の肌は透き通るように白い。形の整った卵形の顔立ちに小作りな目鼻、ふっくらとした唇が印象的で、容姿から想像すると、年頃は清太よりも少し下と思われる。  粗雑な麻袋に閉じ込められていたため、着物の所々に汚れが見えるが、その身形からは比較的裕福な町家の娘を想像させる。  清太は悪党達に立ち向かった時に感じた、 ―吉凶を占う筮竹。 という神聖性を改めて娘の清楚の中に感じつつ、その感情とは別趣の微かな胸の高なりを覚え、娘から視線を外して本堂の内部を見回す。正面には開いたままの御厨が見えるが、残置されているのは外枠のみで、内部の仏像は無造作に毟り取られている。 ―仏寺でさえもこのありさま、これこそ乱世だ。  清太は娘の身の上に降り掛かった不幸な出来事と、無住寺の荒廃を重ね合わせながら、胸中で呟き、本堂の中に小さく響く娘の息遣いから気を逸らすため、意識的に浅い微睡みに落ちていく。  破れた雨戸から茜色の光芒が浅い角度で薄暗い本堂に射し込む。  娘の唇から言葉らしき小さな音色が零れる。  暫くののち、娘はゆっくり瞼を開く。直後、跳ね起き、叫び声を上げる。娘の興奮は次第に激昂へと、言葉は罵倒へと変化する。  娘の体内を怒濤のように恐怖の嵐が駆け巡る。  娘は体力を使い果たすまで叫び続けたあと、本堂の隅に蹲り、周囲に憎悪の視線を清太達に撒き散らす。清太達は、悪党に拐かされたままと思い込んでいる娘自身が縄縛から解き放たれたことを自認し、精神の平衡を取り戻すまで、根気強く待つ。娘は錯乱した自分を静かに見守る清太達の温厚で柔和な態度を肌で感じ、徐々に落ち着き始める。  弥蔵が頃合いを見て、穏やかな口調で娘に名前を尋ねる。娘は小さく顎を上げ、何かを探すように空中に視線を泳がせる。しかし、次の瞬間、娘は再び険しい表情に戻り、沈黙とともに顔