磁場の井戸:第二章 舞台(五)/長編歴史小説


 夕刻の訪れと共に、宇喜多勢は和井元へと退いた。この日も、先日と同様、鉄砲戦に終始した。視界を妨げる白煙と、鼻腔を刺激する硝煙の臭いが、高松城の周囲を弛むように流れていた。
宇喜多勢は、城に向かって楯を並べ、その影を利用して、城兵に応射した。寄せ手、守り手とも物陰に隠れて、敵の影を狙った。
「寄せ手の死者二〇余かと。」
人目に付きにくい高松城の北側の山稜の杣道を、敵兵の影を避けるようにして高松城内へと潜入し、宗治の前に現れた七郎次郎が、宗治に知らせた。
(その程度のものだろう。)
宗治は七郎次郎に頷き返しながら、自分のこの日の戦の結果に対する読みが概ね間違っていないことを確認した。
 宗治は、射撃戦において断然有利であるはずの城方の損害の大きさに、敵の巨大さを知った。味方は強固な城壁を頼りにして防戦し、敵方は貧弱な一枚の楯だけを頼りに城方と向き合った。にもかかわらず、織田勢の優勢な火力に、城内では百名近くの城兵が命を失っていた。
(押しまくられた。)
という気持ちだけが宗治の胸中に残った。鉄砲の数で与えられる攻撃力と城壁や楯板で与えられる守備力との単純な足し算が、この結果を生んだことは、自分の心の中においてでさえも否定しようがなかった。高松城は敵との相対比較において、決定的に攻撃力が不足していた。
 無言のまま、考え続けている宗治に向かって、七郎次郎は思考をとぎれさせることを詫びるような小さな声で言った。
「本日、宮地山城が落城、城主乃美元信様は織田方に城を明け渡し、陣を払いました。」
宗治は、七郎次郎の言葉が耳に入らなかったように、表情を変えることなく、月光のない薄闇を見つめていた。
 七郎次郎は言葉を止めた。乾いた闇の中で二人の間に静寂が流れた。七郎次郎は宗治の言葉を待ちながら、息を潜め、気配を絶った。刻の経過とともに、闇の帳が、宗治と七郎次郎とが作る狭い隙間に滑り込んだ。
 宮地山は険しい山の頂に造作された要害で、周囲は峻険な断崖に囲まれ、敵兵の接近を激しく拒んでいた。秀吉は宇喜多勢をして、何度かこの要害に力攻めを試みたが、要害に加え、城兵は城主乃美元信のもと一丸となって防戦し、敵を城壁にさえも近づけない奮戦を演じた。
 これには宇喜多勢も辟易とし、秀吉も力攻めの愚を悟り、宮地山に対しては持久策を採った。秀吉は宮地山が山城であることに目を付け、城内の水の出所を探した。探し当てるや、有り余る兵力を投入し、水の手を城内から奪取した。宮地山城は水の手を切られて、初夏の照りつけるような暑さの元で徐々に干上がり、この日、落城した。
「元信殿も無念であったろう。」
宗治は闇の中で、一人、呟いた。宗治は、元信の心情を計り、それを「無念」と言う言葉で表現した。七郎次郎は、宗治の言うところの「無念」という言葉の中に隠されている想いを察した。
(乱陣に分け入り、頭を空にして、無心に刀槍を振るい、いつの間にか首が胴から離れている。この戦の終焉をそんな形で迎えることができなかった乃美様の気持ちを無念と言いたいのだろう。)

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