磁場の井戸:第三章 水牢(四)/長編歴史小説

 秀吉は、堤の普請に取り掛かる前日の天正十年五月七日、その竣工を催促するように、八幡山の本陣を、堤の東端、蛙ガ鼻に移し、堤の完成を待った。
 秀吉と言う男はよほどこういう大きな仕事が楽しいらしい。百姓や町人まで巻き込んで、お祭り騒ぎをしながら、蛙ヶ鼻の本陣から西に向かって美しい曲線を描くであろう堤の普請を督励した。秀吉は自ら各持ち場を回り、
「それ運べや、それ積めや。」
と、大声で騒いだ。それらしい姿は高松城の壁際からでも恐らく望見できたはずである。
 秀吉の特技の一つはその大声である。秀吉が騒げば、その声は陣所に響き、そこで普請している人々の気分をいやがうえにも高揚させた。そして、足軽に至るまでその声に釣られて、祭りで神輿を担ぐかのように、陽気に土嚢を担ぎ、定められた場所にそれを置いて行った。これすなわち、無数の人々を動かすということが、秀吉の真骨頂といえる。
 という調子で、秀吉が築堤を始めてから十二日目の天正十年五月一三日、織田勢は高松城の南側に開けた平野を締め切るための大堤防を神速をもって完成させた。高さ四間、幅は根元で十二間、天端で六間、その総延長は一里という大構造物で、天端の部分には敵の襲撃から堤を守るために堅固な柵を設け、さらに等間隔に物見のための櫓まで配されていた。
 秀吉は、
「できた、できた。」
と騒ぎながら、堤の無事を祈って、神酒を地面に撒いた。神酒は乾いた地面にすぐさま吸い込まれ、後に黒い染みを残すのみだった。その様子を見ていた織田勢の軽率達でさえも、城を水に沈めることなどできるのかという疑問が心中に湧いていた。そして、自然とそんな冷ややかな空気が秀吉以外の周囲の人々を支配していた。そんな冷たい目線を全く意に介すことなく、秀吉は躍り上がらんばかりの陽気な口調で自慢の大声を発した。
「堰を切れ。水を入れよ。高松城を水底の藻屑にせよ。」
秀吉の声と同時に、宇喜多勢の一手により高松城側に水を導き入れるために原古才に設けられた堰が、切って落とされた。最初、水は堰が切り込まれた部分から、ちょろちょろとせせらぎのように高松城を包む塘坡の堤内地にかぼそく流れ込んでいたが、その流れは時を経るに従って、堰を形作っている土を鈍く削り取りながら、急速に流量を増大していった。

コメント

このブログの人気の投稿

【完結】ランニング、お食事 2022年5月~2022年12月

ランニング、グルメ、ドライブ 2023年4月〜

ランニング、グルメ、クライム 2023年7月〜