磁場の井戸:第三章 水牢(五)/長編歴史小説

 宗治は、澄み渡った空の下、城の彼方で繰り広げられる儀式を、城内の櫓から眺めていた。兄の月清、そして末近信賀、高市允が宗治と共に、巨大な堰が眩い陽光の下で濁流により切削されていく光景を凝視していた。
堰の切り込みから溢れ出る水勢は、各人が頭の中で思い描いていたよりも激しかった。堰を奔出した濁水は白波を噴き上げながら、城の西の田畑、沼沢を水底に沈め、このままの勢いをもってすれば、時を経ず、城の周辺の深田が水流に飲み込まれるかのように思えるほど、水勢は強かった。
「よくもこれだけの水を集めたものでございますな。」
高市允が感心したように呟いた。
「足守川もこの空梅雨で河原が大きくなっておりましたが、集めればあるものですな。」
市允に返答するような形で、月清も呟いた。
 五人は四半刻もその流れを見つめ続けた。既に、決壊した堤から流れ出る水の勢いは目立って衰え始めていたが、水は未だに高松の城はおろか、城下にも至っていなかった。その一部始終を眺め続けていた月清が、再び言った。
「やはりこのようなことは人間の成すべき事ではないのでしょう。この地上にたった十数日で広大な湖を現出させるなどは、大師様ならいざ知らず、神仏のみの成せる技、我々のような人間が行うことではございません。」
月清は仏門に身を置くものとして、堤を築き、人工の湖を創り出すことの愚かしさを思った。宗治も、月清に同感であるというふうに、頷いた。
「神仏か、よほど神仏の加護を受けた者でなければ、これは成るまい。」
すでに、原古才あたりの田畑に溜まった水でさえも、その嵩を減らし始めていた。春先からの旱で、高松城を囲む平野に導かれた水の殆どは、乾いた地面に虚しく染み込んでいった。
高松城の雑兵達はこの様子を眺めながら、織田勢の愚かさを罵った。そして、罵りながら、自分達の考えていたとおり、この備中の広大な平野に突如として、湖を出現させるなどと言う気違い地味た行為が成功するはずがないことを、口々に語り合った。

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